クラスター爆弾禁止が示す未来1

takase222008-05-30

きのう、アイルランドのダブリンで、クラスター爆弾の禁止条約が採択された。ほぼ即時全面禁止に近い内容で、参加110カ国の全会一致だった。
クラスター爆弾とは、集束爆弾ともいい、一ケース(親爆弾)に子爆弾が数百個という単位で格納されている。(写真)
空中で無数の子爆弾が散らばり、文字通り雨のように降っていくわけだ。爆撃の記録映像をテレビで見ると、広い面積が一瞬にして土煙に覆われるのが分かる。問題は、非常にたくさんの不発弾が残ることで、子どもを含む非戦闘員がこれに触れて犠牲になる例があとを絶たない。
今回の条約採択で、民間人に被害を与える確率の低い、ごく一部の新型クラスター爆弾以外は、保有、製造、移転などが一切禁止される。
クラスター爆弾は、ベトナム戦争でも多用された。米軍は、「ボール爆弾」という野球の玉くらいの大きさの子爆弾や、「木の葉地雷」という小型地雷をばら撒いた。後者は、畑や森の木の葉に似せて巧妙にも緑色に塗ってあり、数え切れない子どもたちが、これを踏んで足を失った。私はこの両方を、実際に手に取って見たことがあるが、明らかに市民殺傷を目的にした兵器に激しい憤りを感じたものだ。
今回のクラスター爆弾禁止条約を作ろうという機運が世界的に高まった契機は、06年のイスラエルによるレバノンヒズボラ攻撃だった。クラスター小爆弾400万発を投下、100万発という膨大な数の不発弾が残されたという。
私は恥ずかしながら、少し前まで、クラスター爆弾などという兵器は、日本とは無縁だと思っていた。ところが保有しているだけでなく、小松製作所や石川島播磨の子会社などで製造までしていたのだ。防衛省の立場では、クラスター爆弾は効果的な防御用兵器だという。たしかに、北朝鮮軍の兵士や工作員が上陸した場合を想定すると、クラスター爆弾で海岸を掃討するのは効果的だろう。産経新聞は、今回の条約採択は、日本の「専守防衛」という国是を揺るがしかねない事態だと危機感をあらわにしている。
専守防衛という、国土防衛力を著しく阻害する“戦略”を信じる日本の場合、クラスターの使用は海空自衛隊の装備がほぼ全滅、敵が着上陸侵攻を仕掛けてくる、いわば本土決戦の時。運用は次のように“最終兵器”としての重要性を帯びている。
 『襲来する敵に湾内遠方、次いで水際でクラスター攻撃。それでも、敵の一部は上陸に成功する。だが、上陸地点には地雷原がある。敵が地雷原を前に前進をやめれば、味方火砲・戦車が攻撃するから、敵は動きを止められず、地雷のない地点に移動・集中する。実はトラップ=ワナで、味方火砲・戦車が移動地点を狙い集中攻撃する』
 「誘致導入攻撃」という戦法だが、従来型対人地雷は禁止され、もはやない。クラスターまで失えば戦法は絶望的だ。従って(1)子爆弾が10個未満(2)攻撃対象識別機能(3)不発時の自爆−など、条約の定義をクリアしているドイツ製など、極めて限られた新型クラスターを新たに大量導入しなければならない。しかし、過去4年、平均年340億円も減らされ続けている防衛費を考えると、段階的に導入せざるを得ない状況で、配備を完了するには10年の空白を覚悟せねばならない。》http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080529-00000983-san-pol
もちろん、各国の事情が考慮されなければならない。例えば、地雷廃絶が望ましいとは言っても、韓国が38度線に地雷敷設することは当然だ。フィンランドが対ロシア国防の観点から地雷禁止条約を批准していないのも理解できる。
しかし、北朝鮮核兵器を持ったから日本も持てという議論になってはならないと思う。日本は非核への動きに貢献することによって、北朝鮮を包囲する国際的な立場を強める方がより効果的だからだ。クラスター爆弾禁止条約も日本は賛成にまわってよかったと思う。
安全保障論は別の機会に書くとして、今回の条約採択は、今後の国際政治と日本の外交を考えるうえで、非常に重要な「事件」だった。
私が注目したのは、条約の中身ではなく、「市民主導の軍縮交渉」といわれる、国際政治を動かした「手法」である。
私たちに希望を抱かせる、新しい時代がやってきた予感がする。
(つづく)