メダカのいる鉢にしっかり氷が張った。全国的に寒い日だった。
戦争が終わって60年以上になるというのに、いまだに「愛国心」は、戦争や右翼と結び付けられている。愛国心など必要ないだけでなく、そんなものを持つべきでないという主張は根強い。これはとても不幸なことだ。
愛国心は、国家にとってではなく、むしろ私たち一人ひとりにとって必須のものだと思う。人のアイデンティティにかかわる重要な要素だからである。
アイデンティティとは、あなたは誰(何)ですか?と聞かれたときの答えだ。
たとえば、私は高世仁です。高世家の長男です。娘を持つ父親です。東京の住民です。ジンネットの社長です・・・アイデンティティは重層構造の入れ子人形「マトリョーシカ」になっている。一番内側に「個人」、その上に「家族」、その上に「町」、「会社」とかぶさっていく。中には「老人会」や「ボランティア団体」、「阪神タイガースのファンクラブ」などが大事なアイデンティティの要素だという人もいるだろう。
人というものは関係性の総体であり、マトリョーシカ全体がその人のアイデンティティなのだ。そして、「地球市民」を口先だけでなく、真に実感してアイデンティティ要素にしている人は、まだごくわずかで、たいていは「日本(国民)」が一番外側に来るだろう。
人は「国」への帰属を否定することはできない。日本なんか関係ない、おれは世界に生きるんだ、と粋がっても、日本銀行券で切符を買い、日本国の旅券を使わなければ、この国を脱出することもできない。最も拘束力の強いアイデンティティ要素である。この点、辞めることができる会社やボランティア団体とは異なる。
若い人たちが簡単に自殺してしまうが、背景にはアイデンティティの危機があると思う。自分を肯定できないでいるのではないか。
自殺したいという人には、カウンセラーは自分を認めるよう指導する。いろいろ欠点もあるけど、「自分はこれでいいんだ」と感じさせることが重要だという。
「夜回り先生」で知られる水谷修さんが、リストカットした子どもたちに、「いいんだよ」「いいんだよ」と繰り返すのは、そういうことだと私は解釈している。
(ちなみに、水谷修さんは私の小学校の3年下で、妹と仲がよかったので、家によく遊びに来ていた。東京弁でよくしゃべる子だった。)
「自分はかけがえのない存在なんだ」、「この家族でいいんだ」、「立派な会社だ」、「いい仲間にめぐまれた」・・・そして、「日本は素晴らしい」というふうに、肯定感は、マトリョーシカ全体に行き渡らなくてはならない。だから「国」への帰属意識は、マトリョーシカ全体に影響する。「日本はどうしようもない国だ」「日本に生まれたのが不運だった」と思っている人が、個人として健全な「肯定感」をもつことは困難だ。
今の人類の発展段階からいうと、国家を飛び越えて、いきなり世界にはいけない。むしろ、「国」への帰属をしっかりとさせてはじめて世界に行ける。言語教育でも母語をまず徹底してマスターすべきなのである。
本来、愛国心は、戦争にも右翼にもつながっていない。むしろ、私たち一人ひとりの健全なアイデンティティ形成に結びついているのである。