地方を覆う大競争の波

きのうの「クローズアップ現代」は《地域再生のヒントを探せ〜地場産業 復活の条件〜》と題して、今治市のタオル産業の復活物語をやっていた。
今治のタオル業界は、当代きっての人気アートディレクター・佐藤可士和さんと連携。吸水性の良さを表すための、統一基準を設けることで、新たなブランド作りを行った》(番組サイトより)
メードインチャイナに押されて衰退の一途だった今治のタオル産業。復活をかけ、繊細で優雅なデザインの高級品の生産にシフトした。ところが期待に反して、これが売れない。そこで、「吸水性」に活路を求め、一見「高級」イメージの逆をいく真っ白な無地のタオルを今治ブランドで売り出す作戦に切り替え、成功が見えてきた・・・という話だ。
いい話である。「危機」が襲い「困難」に陥った。何とかしなくてはと「挑戦」したが「挫折」を味わう。だが、さらなる「努力」の結果、ついに「希望」が出てくる。感動的なドラマの要素も網羅されている。
視聴者の反応も好意的だ。
「あきらめず、こつこつ頑張ってると、本物はいつか支持される・・・他のものづくりに関わっている人たちもとても元気付けられる」(ある視聴者のブログより)
地域振興、地域再生が叫ばれる中、こうした成功事例を紹介することには大きな意味がある。そのことを十分に認めた上で、それでも私には大きな疑問が残る。
日本中が、今治のような例に続かなくてはならないのか?はたしてそんなことは可能なのか?
どこの地域も、のほほんとしていられなくなったのは確かである。いま、各地の自治体は、ない知恵を絞り、アドバイザーとかコンサルタントとかいう肩書きの人たちと悪戦苦闘を続けている。差別化をはかって、大競争時代を生き抜くためだ。しかし、その大競争をもたらすグローバリゼーションという前提を問い直してみるべきではないか。
日本のほとんどの市町村は、「○○日本一!」などという突出した特産品のない、平凡な地域である。ごく普通の町でよいではないか。どこでも、誰でも、安心して暮らすことができるのが一番ではないだろうか。