私の田舎は山形県南部の置賜地方だ。
江戸時代になって出羽米沢には越後から上杉家が封ぜられ、名君、上杉鷹山公が出た。ケネディやクリントン大統領が最も尊敬する日本人として名を挙げたといわれる人物である。
ひどく貧しかった藩の財政を何とかしようと、勤勉、節約を徹底し、漆産業や養蚕などを興した。私の実家の村、「漆山」はその名残であるし、父方の実家のある集落には「高世」という姓の家が数軒あり、もともとは会津(福島県)から移ってきた漆職人集団だったという。「高世」とは漆職人たちの出身集落の名だそうだ。もっとも、移住してきた年代は鷹山公の時代より前、直江兼続が置賜を領地にしたときか、関ヶ原のあと上杉家が移封されたときらしい。
また、鷹山公は、非常に先駆的な政策を施行したが「無医村をなくす」というのもその一つだったそうだ。母の実家は、そのとき無医村に派遣された藩医の末裔である。
置賜とは、このように上杉家および鷹山公とそれぞれの家が「物語」を密に共有している土地柄なのである。西郷さんと薩摩の関係に似ているかもしれない。
鷹山公は倹約と飢饉対策のため、垣根は食べられるものを植えよと指導し、多くの家が棘のあるウコギを垣根にしていた。人びとは、もったいない精神が徹底し、様々な野草を食する。玄関先や庭にはウルイを植えて食べていた。荒地を這う雑草のヒョウ(スベリヒユ)も干して食べる。私は、今でも、ほろ苦いウコギのおひたしや、ウルイのぬめりある食感、ヒョウの酸っぱい日なたの味が大好きである。
なお、ウコギと鷹山公については、http://www.mindp.co.jp/ukogi/explain/explain.html
スベリヒユに関するサイトを見ると、山形では「ヒョウ」と呼ばれるとわざわざ書いてある。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A6
ウルイは「山形のうまいもの」というサイトで紹介されていた。いま、人気が出ているのだそうだ。http://www.nmai.org/umaimono/kinoko/urui.html
私の小学校には、鷹山公の大きな肖像(写真)が飾ってあり、先生方の口からは、折に触れ、鷹山公の偉業が語られた。学校だけでなく、親戚や地域の人からも鷹山公の話を聞かされた。こうやって育つと、これはもう、自分が生まれ育った地域に対する誇りの一部となってくる。
今から思うと、私は「郷土愛」の教育をかなりきちんとされていたようだ。そのことに、感謝の念が沸いてくる。