「国家安全法制」導入で再び緊迫する香港

 晴れた日は自転車で一回りすることにしている。
 緑が美しく風が心地よい、いい季節だ。

 きょうのガードレールの花。
 道端に咲く花といえば、今の主役はヒメジョオンだろう。

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 「日本には1865年頃に観葉植物として導入され、明治時代には雑草となっていた。(略)要注意外来生物に指定されているほか、日本の侵略的外来種ワースト100にも選定されている」(wikipedia)

    江戸末期に導入され、しばらくすると「雑草」になり、今は排除すべき存在になっているという。よく見ると、きれいな花である。

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 アジサイも咲き始めている。初夏である。
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 中国の全人代全国人民代表大会)で最終日のあす28日、香港での反政府的な動きを取り締まる「国家安全法制」を導入する方針が採択される予定だ。

 また、香港立法会(議会)はきょう27日、中国国歌の侮辱行為を禁じる「国歌条例」案の審議を再開した。

 「国歌条例」とは、中国の国歌を侮辱する行為に刑事罰を科すもの。中国本土で2017年、国歌の替え歌など侮辱行為を禁止する「国歌法」が成立したのに合わせて、習近平指導部は、香港でも同様の内容の条例を制定するよう求めていた。

 これを受けて、香港政府は、国歌を侮辱した場合、最高で禁錮3年と5万香港ドル、日本円でおよそ70万円の罰金を科すほか、学校やメディアを通じて、国歌についての教育を強化することなどを盛り込んだ条例案を去年、立法会に提出した。条例案の審議は、去年6月に中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正をめぐる大規模な抗議活動が続いて一時中断。去年10月から立法会での審議が再開されたが、本格的な議論ができないままとなっていた。政府は、立法会の会期末が7月に迫る中、6月4日には採択に持ち込む予定だ。

 国家安全法と合わせて市民の反発が強まっており、各地で抗議活動が行われた。警察の取締りは一段と厳しさを増していて、360人もが逮捕されたという。

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たくさんの若者が逮捕された(27日AP)

 周庭さんのツイッターより

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 中国共産党は断固として民主派を追い詰めるつもりで、実際には、香港の人々にこれを止める手段はない。

 民主活動家、黄之鋒(ジョシュア・ウォン)さんが記者会見し「アメリカだけでなく、イギリスなどヨーロッパの国々も中国に対する制裁の動きがある。中国政府が香港の独自性を壊そうというのなら、香港の反発だけでなく、国際社会からの反発に直面することに気付くべきだ」と述べたが、国際社会の圧力に頼るしかない状況だ。

 海外の動きについては日経新聞が以下のように伝えている。
 《トランプ政権が想定するのは、2019年11月に成立した香港人権・民主主義法に基づく制裁措置だ。同法は大きくわけて2つの制裁手段がある。一つは香港の人権弾圧に関わった中国共産党の関係者らの米国内の資産凍結や査証(ビザ)の発給停止措置だ。

 こうした制裁は形式的な側面が強く、比較的発動しやすい。米国が重視する民主主義や法の支配を揺るがしかねない事態に断固たる対応をとる姿勢を示すことになる。

 もう一つは米国が香港に与えている関税やビザ発給などの優遇措置の見直しだ。米国は香港を中国本土と異なる関税地域と位置づけ、対中国の制裁関税や厳格な輸出管理の対象外としている。

 同法は香港が一国二制度に基づく「高度な自治」を維持できているかどうかの検証を米政府に義務付け、議会への毎年の報告を求めている。一国二制度に問題があると判断すれば、香港に与えている優遇を見直す。

 米シティグループは米国が香港の優遇を取りやめた場合、「モノの貿易に大きな影響が出る可能性は小さいものの、輸送や旅行などのサービス貿易に目に見えた影響が及ぶ」と分析する。中国企業は軍事技術に転用可能なハイテク製品などを香港を通じて輸入するケースがあり、米国の制裁の一環でこうした抜け穴がふさがれる可能性もある。

 米国勢調査局によると、19年に米国にとって最大の貿易黒字国・地域が香港(約260億ドル)だった。米国は電気製品などを香港に輸出しているが、貿易中継地としての色彩が強い。また米投資銀行などは香港をアジアの統括拠点と位置づけて多くの人材を配置しており、香港への制裁は米国企業への打撃となりかねない。

 米国が制裁に踏み切れば、中国は報復に動く可能性が高い。中国外務省の趙立堅副報道局長は27日、トランプ氏の発言に「いかなる外部勢力の干渉も許さず、必要な反撃措置をとる」と反発した。制裁は米国にとっては「もろ刃の剣」といえる。

 欧州連合EU)のミシェル大統領は26日、「我々は中国の行動について甘くない」と中国に警告した。英国、オーストラリア、カナダの3カ国は、「香港市民が直接参加せずに法律を導入すれば、一国二制度の原則を明らかに損なう」との共同声明を発表した。

 日本では、菅義偉官房長官が27日の記者会見で、香港情勢に関して「政府として強く懸念している」と語り、「日本の懸念は外交ルートを通じて中国にしっかり伝えている」と明らかにした。

 菅氏は「一国二制度のもと従来の自由で開かれた体制が維持され、民主的、安定的に発展することが重要だ」と主張。「主要7カ国(G7)をはじめ関係国の動向などを情報収集し適切に対応したい」と述べた。》
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59636800X20C20A5EA1000/

 

 香港の一国二制度の事実上の終焉が迫っている。

 香港の若者たちを応援しつつ、心身の無事を祈る。

コロナ禍があぶりだす日本のガラパゴス化

 ガードレールの花。

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 これはアザミではなくて、アメリオニアザミだろう。
 ネットを見たら「環境省から要注意外来生物に指定されている危険な生物です。見た目は日本のアザミと変わらず綺麗な花を咲かせる為、知らずに触ってしまい怪我をしてしまうケースもあるので注意が必要です」とある。
 名前とは違ってヨーロッパ原産だとか。
 ドスがきいた外見だが、こういう解説を読むとなおさら悪役という印象になる。トゲがすごくて、駆除するのは大変そうだ。
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 朝日新聞の記事をもとに世相を語るコラム【高世仁のニュース・パンフォーカス】の3回目「コロナ禍があぶりだす日本のガラパゴス化」を公開しました。
https://www.tsunagi-media.jp/blog/news/3
 きょうはこれを紹介します。一部、ブログ記事と重なりますがご容赦ください。

 

 緊急事態宣言が日本全域で解除された5月25日、わが家にようやく2枚のアベノマスクとやらが届きました。
 なんとも皮肉なタイミングに苦笑いしながら、一枚写真を撮りました。わが国のコロナ対策を象徴する歴史的資料になるかもしれません。

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 危機のときは、人も国も試されるものです。
 朝日新聞の朝刊で私が好きなコーナーの一つに、社説や読者の「声」が載るオピニオン面の「朝日川柳」があります。23日にはこんな句が載っていました。

 リーダーのメダルの色をコロナ決め (京都府 近藤政子)

 世界がコロナで騒ぎ出したのが1月下旬。ここまでくると、国ごとの対策の優劣が見えてきて、国のトップも比べられてしまいます。支持率急降下の安倍首相はメダルをもらえそうにありませんが、問題はリーダーだけではありません。
 最近、「日本ははたして先進国なのか?」という疑念がわいてきます。わが国の社会が、世界の標準から周回遅れになっているのでは、と思うようになったのです。

 シンガポールの調査会社が、23カ国で新型コロナ危機への対応の評価をそれぞれの国民に聞いたところ、日本がダントツの最低という結果でした。
 政治、経済、地域社会、メディアの4分野それぞれを100点で採点し、合計を4で割って点数を出しますが、平均45点のところ、日本はなんと16点!ちなみに、政治5点(100点満点で!)、経済6点、地域社会6点、メディア47点。日本国民の失望と不満の大きさを示しているのでしょう。

 給付よりスピード感のある辞職 (東京都 長谷川節)

 同じ日の「朝日川柳」からの一句です。
 「辞職」とはもちろん東京検察検事長の黒川氏ですが、コロナ対策の方は、首相のたび重なる「スピード感をもって」の約束がむなしく響くばかりです。

 遅れに遅れているのが、政府の目玉対策の一人10万円が受け取れる『特別定額給付金』の手続きです。
 ご存じのように、「オンライン申請方式」と「郵送申請方式」があり、マイナンバーカードを持っている人はパソコンやスマートフォンでオンライン申請ができます。高市早苗総務相は、給付を早めるため「オンライン申請」を強く推奨していました。 
 
 ところが実際は、手続きを早めるはずのオンライン申請が、逆に行政の実務を滞らせているというのです。なぜでしょうか。
 役所で行われていることを知って驚きました。特別にオンライン申請の担当者を置き、パソコンを見ながら、申請内容に不備がないか、1件づつ住民基本台帳と目視で突き合わせ、さらに振り込み口座もいちいち確認するという作業をしていたのです。記入間違いがあるので気が抜けない作業です。このため、オンライン申請の方がはるかに手間がかかり、アナログな郵送方式の方が早く処理できると分かりました。総務省も郵送の方が現場の作業が楽な状態となっていることを認めています。


 5月21日の東京・多摩版に「オンライン申請停止へ」という記事が載りました。

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 東京・八王子市が「確認に手間がかかるので」オンライン申請を24日までで停止し、「作業のスピードを上げるために郵送に絞ることにした」というのです。現場の負担に音をあげたのでしょう。追随する自治体が現れ、東京・国分寺市も26日からオンライン申請を中止することを決めました。

 ドイツではフリーランスへの「コロナ助成金」が、オンライン申請して2日後には銀行口座に振り込まれています。これは4月はじめのことです。
 他の国にやすやすとできることが、なぜ日本ではできないのでしょうか。
 見えてきたのは、日本の行政インフラの恐るべき後進性です。

 まず、マイナンバーです。
 思えば2003年、「住民基本台帳カード」が導入されましたが、有効交付枚数 約717万枚と国民のわずか5.6%にしか普及しないまま、15年に発行終了となりました。
 次に出てきたマイナンバーは「社会保障、税、災害対策の行政の3分野で利用できる」とのうたい文句で始められましたが、5年経っても普及が進んでいません。どこが便利なのかわからず、私もまだカードを持たないままです。あの12桁のランダムな個人番号も覚えられません。

 他の国はどうなっているのか、調べてみました。
 スウェーデンでは、1947年から国民共通番号制度が始まり、IT化も早く、2003年からネット上で確定申告ができるようになりました。
 子どもが産まれると、助産師が出産証明者を作成し、税務署に送付。税務署は10桁のID番号を発行しますが、最初の6桁は生年月日なので覚えやすく、この一つの番号で、税務や社会保障業務、年金管理、自治体の社会サービスなど行政事務全般で利用できるため、利便性が非常に高い。例えば、パスポートの発券は、以前は警察などの行政機関に照会するため長時間かかったそうですが、今はIT化で、申請後わすか数分で可能になっています。
 一方で、プライバシー保護の法制度も整備されており、行政機関同士であってもデータベースの共有はできない仕組みになっています。福祉や人権、ITでも先進国のスウェーデン、さすがです。
 これに対して、わが日本では、マイナンバーを使ってオンライン申請すると行政実務がパンクするのです。コロナ禍ではじめて見えた、信じたくない現実です。

 もう一つ、愕然とさせられたのが、感染者数の報告漏れや重複が大量にあったというニュースでした。

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 5月12日の記事で、東京都内での感染者数について、「保健所からの報告漏れが111人分」あり、「そのほか35人分が重複」していたので「差し引きした76人」が実態より少なく報告されていたというのです。
 まさかと思う失態ですが、これで終わりではありませんでした。

 「都は21日、保健所からの報告漏れが新たに58人確認されたと発表した。二重計上なども11人あり、都は差し引きした計47人分を感染者総数に追加した」。(22日朝日記事)しかも、「誤りが見つかったのは3月26日~5月3日分」とあり、ミスが長期にわたって繰り返し起きていることが分かります。
 対策を立てる上でもっとも基本的なデータである感染者数を間違えるとは、どうしたことか。その原因はなんと、ファクスの使用にありました。

 「各保健所は都にファクスで感染者を報告していたが、保健所が送信をしていなかったり、都のファクスに不具合があったりした」と記事は伝えています。

 実は、いまどき日本ほどファクスを使う国は他にありません。来日した外国人はよく「まだファクスを使っているのですか」と驚きます。
 米国では、ファクスは博物館の技術史のコレクションに入りました。米紙「ニューヨークタイムズ」は7年も前に「ハイテクの日本でなぜファクスが使われているのか」という記事で、ローテク技術のファクスは社会に深く根付いた「文化」にまでなったと、日本のガラパゴス化を揶揄していました。

 日本で今もファクスが使われるにはそれなりの理由もあり、いちがいに否定するつもりはありません。ただファクスは、送ったはずの文書が届いていなかったり、他の書類に紛れたりという事故が起きやすいことを私自身、経験しています。さらにファクスで受け取ったデータは、集計のため、あらためてパソコンに入力する必要があり、そこでまたミスをする可能性があります。

 国家的に重要なデータを迅速に処理しなければならないときに、ファクスを使うのはすぐにやめるべきです。
 新型コロナウイルス感染は、第二波、第三波が確実にやってきます。遅いうえに不正確なデータ処理は、私たちの命にかかわってくるのです。

 政府には、緊急事態宣言の解除で一息つくのではなく、あらわになった行政インフラの致命的な遅れの改革に、今こそ取りかかってほしいと思います。

中国政府による香港の完全破壊が始まった(周庭)

 ガードレールの花。きょうはヒルガオ

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 ヒルガオは日本の在来種だそうで、奈良時代遣唐使が唐より持ち帰ったアサガオに対して、昼も咲いているのでヒルガオと呼ばれるようになったという。
 アサガオが園芸種として扱われるのに、ヒルガオは雑草扱い。いたるところに勝手に咲いている。
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 いつのまにか立夏も過ぎて小満(しょうまん)だ。あらゆる命が満ちていく時期。
 二十四節気、七十二候は、農作業とむすびついた節目なので、麦の収穫や蚕の世話などが登場する。もう麦秋である。

 初候「蚕起食桑」(かいこおきて、くわをはむ)が20日から、
 26日からが、次候「紅花栄(べにはな、さく)、
 31日からが、末候「麦秋至」(むぎのとき、いたる)。
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 中国が全人代で、香港の「一国二制度」を骨抜きにする法案を可決する。香港「基本法」の例外規定を使って新たに国家安全法を導入し、自由な言動を圧殺しようというものだ。

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《【香港時事】中国で開幕した全国人民代表大会全人代、国会)で、香港版「国家安全法」導入に関する審議が始まった。一国二制度」下の香港では原則として中国本土で制定された法律がそのまま適用されることはない。しかし、香港の憲法に当たる「基本法」には例外規定が設けられており、習近平政権は今回、その規定を用いて強行導入を図る構えだ。一国二制度を骨抜きにする動きに対し、香港民主派のみならず国際社会の反発は必至だ。
 香港基本法18条には「付属文書3に記された全国的法律」は例外として香港でも実施されるとしている。香港立法会(議会)での審議などは必要なく、中央政府による頭越しの法施行が可能だ。現在、付属文書3には中国の国籍法や外交特権などが含まれているが、全人代常務委員会はここに国家安全法を組み込む方針だ
 中国では国家安全法が2015年に成立しているが、今回導入が目指されるのは、香港向けにアレンジした「オーダーメード」(香港紙)の国家安全法。草案には、同法の実施状況を監督するため中央政府の直轄機関を香港に設置する方針などが盛り込まれている。
 もともと基本法では、国家に対する反逆行為を禁じる法整備を求めているが、03年に香港政府が関連する法制定を目指した際には大規模なデモが発生し頓挫した。香港の識者の間では「中央は既に香港政府を信用していない」との見方が強く、昨年多発したような反政府デモを完全に封じる狙いもあり、直接的な影響力行使に踏み切った。》

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香港民主派は激しく反発している(抗議の会見:NHKBS国際報道より)

 欧米などからさっそく反対の動きがあるほか、株価も急落している。
《22日の香港株式相場は急落。MSCI香港指数が2008年の世界金融危機以降で最悪の下落に向かっている。》https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-05-22/QAPLV3DWX2PX01

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 周庭さん、ツイッターで「一国二制度の完全な崩壊」だが「諦めず戦っていく」と決意表明。
 香港民主派からは、「これで終わりだ」との声も上がっているというが、香港への支援がいっそう重要になっている。

文春スクープに見る検察と新聞のなれ合い

 黒川弘務・東京高検検事長が、新型コロナで緊急事態宣言が出されている今月、全国紙記者らと賭け麻雀をした疑いがあると報じた『週刊文春』を買ってきた。

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 同誌によると、黒川氏は今月1日と13日、産経新聞社会部記者Aが所有する部屋で、同社の別の社会部記者Bおよび朝日新聞の元記者とも一緒に賭け麻雀をした。三名の記者は元検察担当で、黒川氏らは両日とも翌日未明まで滞在した。賭け麻雀は刑法の賭博罪に問われる可能性がある。
 また、麻雀をした際の黒川氏のハイヤー代は産経記者側が負担した。これは国家公務員倫理規定に抵触する可能性がある。

 

 この報道で、黒川氏は辞任に追い込まれた。
 これまでの法解釈を無理やり変更してまで定年延長を閣議決定した安倍首相は赤っ恥をかくことになった。
 文春の見事なスクープである。

 

 ところで、この報道を知って、検察と新聞との関係に驚いた人が多いのではないだろうか。そんなにズブズブの関係なのか!と。

 記事によると―
《黒川氏は昔から、産経や朝日はもちろん、他メディアの記者ともしばしば賭けマージャンに興じてきた。その際には必ず各社がハイヤーを用意する「接待マージャン」が通例だった。
「だいたいどの社も、仕事終わりの夜六~七時ごろからスタート。記者二人と黒川氏が連れてきた法曹関係者や検察の後輩の四人でやることが多かった」(司法関係者)》

 日本の検察や警察と記者クラブとの関係はきわめて独特で、「なれあい」といってもよい伝統的体質がある。

 

 以前、北海道警の「裏金」問題を取材したとき、ジャーナリストの大谷昭宏さんと元北海道釧路方面本部長の原田宏二さんに対談してもらった。そのとき、裏金の使途についてびっくりするような証言があった。

takase.hatenablog.jp

 
原田「もちろん飲み食いもありましたが、裏金のなかで一番大きな額を占めたのは、年に2回の異動のさいの餞別だと思います。上は道警本部長から下は駐在所の巡査まで、おそらく一人残らず餞別システムの恩恵を受けていたんですよ。
 僕が総務課長だったときのこと。本部長室で辞令交付やるんですが、警視以上の所属長クラスがズラッと来ますね。本部長室に入りきれないくらいです。本部長が一人ひとり、辞令を渡すとき、その横に僕が立ってるんです。本部長の机の上に、辞令の順番通りに餞別の入った袋が、ダーっと並んでいるんです。そして、本部長が辞令を読み上げるときに、こちらに手を出すので、私がのし袋を手渡すんですよ。」

 階級が上に行くほど、餞別の額は大きくなり、本部長3年やれば家が建つなどと言われるそうだ。
 すると大谷さんがこういった。

大谷「だけどね、新聞記者もね、本部長とか課長クラスから餞別もらってましたから」

原田「我々だって、渡してました」

大谷「そうでしょ。ということは、俺らもかなり裏金もらってるよ。僕の場合は、本部長、刑事部長、捜査一課長、みなくれましたからね」

 硬派ジャーナリストとして知られる大谷さんでも、警察から「かなり」の裏金をもらっていたとは。 

 現金でもらう以外に、記者クラブと警察との定例の野球大会などのレクリエーション、飲み会などさまざまな機会に「裏金」で便宜がはかられたという。
 警察と記者クラブとが異様な癒着関係にあることを示している。

 裏金は公金であり、国民の税金を山分けしているということだから、とんでもない話だ。

 検察にも裏金の慣習がある。警察と同じように、捜査費が裏金になって、ゴルフや飲食費などに使われていた。

takase.hatenablog.jp


 かつて、検察の裏金システムを実名で内部告発する決意をした大阪高検公安部長の三井環氏は、テレビ朝日週刊朝日とのインタビューを予定していたちょうどその日に、詐欺罪で逮捕され、懲戒免職になった。
 裏金は触れてはならない存在なのだ。恐ろしい話である。

 今回の文春のスクープは、検察においても警察の場合と同様、記者らとのなれ合いの構造が続いていることを推測させる。

 新聞、テレビなどのメディアが、こうした関係を清算しないと、権力の闇に関するスクープはもっぱら雑誌からという情けない、そして民主主義にとって危うい事態が続くのではないか。 

100年前の「スペイン風邪」流行の教訓

 ガードレールにしがみつくように生える草花が目に付く。

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 これはムシトリナデシコ(虫取り撫子)というらしい。(ハエトリナデシコ、コマチソウ、ムシトリバナの別名があるという)
 ネットで調べると、名前の由来は、茎上部の葉の下に粘液を分泌する部分があって虫が付着して捕らえられることがあることだが、アリよけで、食虫植物ではない。
 江戸時代にヨーロッパから鑑賞用として移入されたものが各地で野生化しているという。もともと観賞用だったという素性だけあって、きれいな花だ。
 ガードレールの花をもっと調べてみよう。
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 12日、BS1スペシャル「ウイルスvs人類3 スペイン風邪 100年前の教訓」を観た。今のコロナ禍にとってとても教訓的だったので紹介したい。

 スペイン風邪と呼ばれるインフルエンザは1918~20年に世界中で大流行し、なんと当時の世界人口の4分の1にあたる5億人が感染した
 死者は4000万人とされるが、統計が不十分で最大1億人が死亡したとみられる。画家エゴン・シーレ社会学マックス・ウェーバーも感染して死亡している。

 1918年1月、アメリカ中西部の基地で発熱・頭痛を訴える兵隊が大量に発生したことが最初の感染とされ、4か月で世界に広がった。
 しかし当時は第一次大戦の最中。戦争当事国は感染を認めず、中立国のスペインの名がつけられたのだった。

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 いったん収まったかに見えたスペイン風邪は1918年9月に第二波がやってくる。
 2年間で米軍はインフルエンザで57,460人の死者を出した。第一次大戦での米軍の戦死者が50,280人だから、戦争より犠牲者が多かったのだ

 1918年11月11日、第一次世界大戦終結するが、これはスペイン風邪が影響して早い終戦になったと言われる。
 ドイツ軍参謀本部次長 ルーデンドルフは「ドイツ軍が戦いに敗れた理由はアメリカ軍ではない。いまいましいインフルエンザのせいだ」と語っている。

 また、戦後処理にもスペイン風邪は影響を与えた。
 1919年1月にパリ講和会議が開催され、敗戦国ドイツへの巨額な賠償を主張するフランス首相クレマンソーに対し、アメリカ大統領ウィルソンは寛大な措置をと訴え対立。 
 ところがウィルソンはスペイン風邪にかかりダウン。フラフラになってクレマンソーの主張に屈し、ドイツには過酷な賠償が課せられた。

 経済困難に陥ったドイツでは社会混乱が続き、その後ヒトラーナチスが台頭、結果的にドイツは再び戦争の道へと歩みだす。

 磯田道史氏(歴史学者)がこんな日本史のエピソードを紹介した。
 徳川慶喜は1868年(慶応4年)正月にはやり風邪(インフルエンザ)にかかった。
 病床から這い出てきた慶喜は、家臣からの「薩長、討つべし」の突き上げに、済み上がりで思考力の弱っていたため、「いかようにとも勝手にせよ」と言ってしまった。この一言で幕府軍は京都に進軍、鳥羽伏見の惨敗を招き、徳川政権が倒れることにつながった。

 パンデミックは歴史の攪乱要因にもなるし、短絡的な方向に世の中が向かいやすくなるということだ。

 

 次は、第2波、3波の恐ろしさだ。
 日本では1918年春 第1波がきた。台湾巡業から帰った相撲界に広がり「力士病」と呼ばれ、次に兵士に感染し「軍隊病」の名もついた。このときはそれほど死者が出なかったようだ。
 1918年秋にきた第2波で、多くの若い人が死亡したとされる。働き盛りを直撃して社会への影響も大きかった。
 さらに第3波では死亡率が第2波の1.2%に比べ5.3%と高くなった

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 日本でのスペイン風邪による死者は45万人(推計)にもなった。このあと1923年に起きた関東大震災での死者が10万5,000人だから、スペイン風邪の被害がいかに甚大だったか分かる。
 後からの感染の破壊力をみるとき、ウイルス変異の可能性を考えなくてはならない。

 

 感染抑制と経済活動・学校教育活動はトレードオフ(両立しない)の関係で、調整が難しい。
 フィラデルフィアは行動制限をせずに流行を招いたが、行動制限をやってはじめは抑え込んだかに見えたセントルイスでも、制限を解除したあと、感染が拡大した。

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 日本での教訓に、軍艦「矢矧(やはぎ)」(軽巡洋艦)のケースがある。
 第一次大戦で連合軍側についた日本は、太平洋、インド洋方面でドイツ軍に対する海上警備、索敵行動に従事した。「矢矧」は1918年11月9日、任務交代のためシンガポールに到着。スペイン風邪を警戒して2週間調査したが、シンガポールの感染は収まったとみて21日と22日、乗組員を交代で半数づつ4時間に限って上陸を許可した。
 マニラに向かった艦内で4人が発熱。乗員469人の9割以上が罹患し、マニラで48人が死亡する事態に。行動制限の解除の難しさを痛感させられる。

 スペイン風邪の流行はたった100年前、これほどの被害のあった、たくさんの教訓を学ぶべき出来事なのに、実際はほとんど忘れ去られていた。
 今回のコロナ感染まで意識しないできた私も反省させられた。

 23日に再放送があるようなので、関心のある方はどうぞご覧ください。

プノンペン陥落から45年、「キリング・フィールド」を観る

 政府・与党は、検察庁法改正案の今国会での成立を断念し、継続審議とすることを決めた。
 安倍内閣が急いで強行採決しようとしていたのを、およそ1週間で予定変更させたわけである。
 先日の元検察官14人の抗議に続き、きのう18日、熊﨑勝彦氏ら東京地検特捜部長経験者や横田尤孝(ともゆき)・元最高裁判事を含む元検察官、計38人が、「検察の独立性・政治的中立性と検察に対する国民の信頼が損なわれかねない」として、政府に再考を求める連名の意見書を森雅子法相あてに提出した。
 こうしたいわば身内からの抗議やツイッターデモなども効いたのだろうし、また内閣支持率が大きく下がっていることも大きい。

 朝日新聞社が16、17両日に実施した世論調査によると、安倍内閣の支持率は33%で、4月調査の41%から下落した。「激減」と言ってもいいほどの下がりようだ。
 不支持率は47%で、4月調査の41%から上昇した。
 2012年12月発足の第2次政権以降で、内閣支持率が最低だったのは森友・加計問題への批判が高まった18年3月と4月調査の31%で、今回の33%はそれに次いで低い。
 同調査では、検察庁法改正案について、「賛成」は15%にとどまり、「反対」が64%だった。新型コロナウイルスの感染拡大の防止に向け、安倍首相が指導力を「発揮している」と答えた人は30%(4月調査は33%)で、「発揮していない」の57%(同57%)の方が多かった。やることなすこと、国民にそっぽを向かれている。

 去年の英語民間試験導入やコロナ禍での給付金問題など、安倍内閣が予定の変更を余儀なくされるケースが続く。

 検察庁法改正は、次の国会で通すと言っているので引き続き要注意だが、声を大きく上げれば政治を動かせるという学習効果に今後期待したい。
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 テレビの映画放送が多い。
 NHKBSで映画「キリングフィールド」(1984年)を観た。

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プラン役を演じたハイン・ニョールはアカデミー賞助演男優賞をもらった

 1975年4月のプノンペン陥落までカンボジアで取材していたニューヨークタイムズのシャンバーグ記者の体験を映画化したもので、たぶん過去2回は観ているだろう。

 クメールルージュ(ポルポト派)によるプノンペン入城の際、シャンバーグは現地助手のプランを国外脱出させることに失敗。のこされたプランは、集団農場で恐怖支配と強制労働を体験、そこから逃避行を敢行し、九死に一生を得てタイ国境の難民キャンプにたどり着き、迎えにきたシャンバーグに会う、という話が描かれている。

 私は土地勘があるので、リアリティがいま一つという場面がいくつかあるが、1975年のインドシナ三国の解放戦争勝利は、私の人生を分岐点の一つになった記念すべき出来事であり、この映画は何度観ても感慨深い。

 ベトナムラオスカンボジア三国で「解放側」が勝利したのは45年前、私は大学在学中だった。私はこれに大いに感動して、ベトナム研究にのめり込み、大学院に進むことにした。単純なやつだなと笑われるだろうが。

 その後、アカデミズムではなくテレビ屋になってこの地域を取材することになった。

  「社会主義の理想」が最終的に潰えたのがベルリンの壁崩壊からの東欧共産圏とソ連体制崩壊だったとすれば、1975年のインドシナ三国の解放闘争勝利の後の目を背けたくなるような惨状はそのプレリュードとして、とくに私を含むアジアの若者にとっては大きな衝撃だった。

 歴史にもまれな大虐殺、同士討ちともいえる社会主義国間の戦争、あふれ出る大量の難民・・・アメリカ帝国主義との闘争に打ち勝った民族独立と社会主義大義はどこに行ってしまったのか、と。

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 1975年4月、クメールルージュがカンボジアを「解放」したあとは、首都プノンペンの全住民を地方に移動させるなど、中でかなり異様な政策が採られているらしいという以外、情報がほとんど出てこなくなった。

 1977年の秋、私はベトナム戦争後初めての直行便で、私はホーチミン市と名前を変えたサイゴンに行った。

 町を歩いていると、若者がすうっと寄ってきて、英語で話しかけてきた。
 「いま、カンボジアと戦闘が起きているのを知っていますか」。まさか。
 「連日、軍のトラックが国境から負傷兵を載せてきます」。
 そういうと、あたりを見回し、呆然とする私を残して急ぎ足で去っていった。

 ベトナム労働党共産党)とカンボジア共産党(クメールルージュ)はもとは一緒のインドシナ共産党で、いわば盟友の関係だったはずなので、信じられなかった。

 その後、カンボジアで大量虐殺が行われているとの情報が、命からがら国境を越えてタイに逃げてきた難民たちから寄せられるようになった。

 日本ではその真偽をめぐって論争が巻き起こった。
 カンボジア通と言われる専門家や現地に長く住んだ人たちに虐殺否定派が多かった覚えがある。「おとなしい仏教徒カンボジア人が、見境なく人殺しをするなんて」というのだった。
 また、左翼の一部でも、戦争に反対し民衆の立場に立つ勢力が政権についた国で虐殺などありえないと虐殺否定派が優勢だった。

 その論争を収めた『虐殺と報道』(すずさわ書店、1980年)に、カンボジアを取材したカメラマン石川文洋氏は「同胞を百万人以上も殺してしまうという、きわめて悪質な大虐殺がポル・ポト政権下のカンボジアで起こったことは事実であると信じています」としてこう書いている。
 「もし、大虐殺がなかったことが明らかにされた場合、私は現場へ行きながら、事実を見誤った責任をとって今後、報道にたずさわる仕事をやめる覚悟でいます」。
 石川さん、クビをかけるというのだ。この論争がいかに激烈なものだったか、また、当時のジャーナリストたちがいかに「熱かった」かをしのばせる。

 カンボジアを取材していた少なくないジャーナリストが、クメールルージュに捕まって処刑された。
 そのなかには、カメラマンの一ノ瀬泰三氏(『地雷を踏んだらサヨウナラ』の)やフジテレビの記者、日下陽氏、カメラの高木裕二郎氏など日本人もいる。

 内戦中から、「ベトナムカンボジアのゲリラは違う」ということは外国人記者にも次第に知られるようになっていた。
 ベトナムでは「ベトコン」に捕まった記者が丁重に扱われたすえに解放され、拘束中の経験を特ダネ手記にしたケースがあった。その後、それなら私もと、ベトコンに捕まろうとするジャーナリストまで出た。一方、カンボジアのクメールルージュに捕えられた外国人ジャーナリストは帰ってこなかった。

 例外のケースが一つある。

 私の元上司だった日本電波ニュース社の鈴木利一氏は、1971年4月、UPIプノンペン支局長、ウェブ・ケイト氏(ニュージーランド出身)とともにプノンペン近郊でゲリラ兵に拘束された。死亡したとの憶測が流れ、ケイト氏の家族は葬儀まで執り行っていたが、23日後突然解放された。
 実はその地域は北ベトナム軍との共同作戦区域で、クメールルージュが殺そうとするのをベトナム側が抑えたのだった。
 
 90年代半ば、本格的な虐殺検証番組をやることになり、私はカンボジアで改めて取材し、独自にクメールルージュのオリジナルの文書を入手したうえで、米国のエール大学で、当時クメールルージュによる虐殺研究の第一人者、ベン・キアナン教授にインタビューした。
 犠牲者の数を彼がおよそ170万人と推定したと記憶している。その推定の根拠が合理的で、私の現地取材の印象にも合致していたので、番組ではその数を採用した。
 「解放」時のカンボジアの人口が750万人くらいだったから、2割を超える人々が亡くなったことになる。

 当時のクメールルージュの罪を裁く法廷が2年前開かれた。
https://www.bbc.com/japanese/46231709
 《カンボジアポル・ポト元首相が1970年代に率いた政治勢力クメール・ルージュ」政権の高官2人に(11月)16日、大量虐殺の罪で有罪判決が下った。大量虐殺で有罪判決が下るのは今回が初めて。

 判決が下ったのは、ポルポト政権で人民代表議会常任委員会議長(国会議長)を務め、序列第2位だったヌオン・チア被告(92)と、同政権で元首職にあたる国家幹部会議長だったキュー・サムファン被告(87)。

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左がキューサムファン。右がヌオン・チア(去年死亡)

 2被告は、国連が支援する法廷で、イスラム系民族のチャム族とヴェトナム系民族に対する大量虐殺の罪で裁判にかけられた。

 今回の有罪判決は、クメール・ルージュ政権が実行したのが実際に大量虐殺であったとの、国際法の下で初の認可となる。

 カンボジアでは1975年から1979年の間、短命だったが残忍だったクメール・ルージュ政権の下、最大で200万人の死者が出たと考えられている。

 死者の多くは飢餓や過度の労働に倒れたか、もしくは国家の敵として処刑された。

 BBCのジョナサン・ヘッド東南アジア特派員によると、クメール・ルージュ政権によるカンボジア国民の殺害は国際的な大量虐殺の定義に当てはまらないため、これまで政府高官らは人道に対する罪で訴追されてきたという。(略)

 権力を握り暴力的な支配を行った4年間で、クメール・ルージュは自分たちの敵と認識した対象を全て拷問し、殺害した。その対象は知識人や少数民族、前政権の当局者、そしてこうした人々の家族にまで及んだ。(略)

 同法廷は2006年、クメール・ルージュ政権の残虐行為について指導者や責任者を裁くことを目的に設置された。カンボジア人と世界各国の裁判官が判決を下す。これまでにかかった運営費用は約3億ドル(約340億円)とされるが、有罪判決が出たのは現在までに3人だけとなっている。

 2010年、同法廷はドッチの別名でも知られるカイン・ゲク・イウ被告に有罪判決を下した。拷問室と監獄の複合施設として悪名高い、プノンペンのトゥール・スレン政治犯収容所の所長だった。

 クメール・ルージュ政権の外相だったイエン・サリ被告もキュー・サムファン被告およびヌオン・チア被告と同じ裁判で、2つの案件に関する審理にかけられていたが、2014年に最初の案件の第1審判決が出る前に死亡している。イエン・サリ被告の妻でクメール・ルージュ政権の社会問題相だったイエン・チリト被告もこの裁判にかけられていたが、公判に立てる精神的状態ではないと判断され釈放が命じられた。イエン・チリト被告は2015年に死去した。(略)》
 
 私が取材した限りでも、あのポルポト政権下で起きたことは筆舌に尽くしがたい。虐殺現場では衣類が散らばり、ここそこに地面の黒ずんだところがある。死体の油が地表に染み出しているのだ。土の中から出ている骨や髪の毛を踏みつけながらカメラを回した。
 ポルポト政権下のカンボジアは、普通の独裁ではなく、ナチズムやスターリニズムのような「全体主義」だったのだろう。

 そのクメールルージュを中国が全面支援したことが、その後の二つの戦争(ベトナムカンボジア侵攻と中国のベトナム侵攻)を招くことになる。
 だから、中国はカンボジアの虐殺と二つの戦争の犠牲に対して責任がある。
 私の中国に対する警戒意識の原点でもある。

ロッキード世代からの「検察庁法改正案」批判

 空地を占拠した赤クローバー=ムラサキツメクサ

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 日本には牧草として明治時代に入ってきたという。当時はハイカラな草だったのだろう。植物の素性、日本に入ってきた歴史を知るのもたのしい。

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 こちらは園芸種でバラのカクテル。
 遠くからも目立つ快活な花で、思わず自転車を停めて見入った。
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 自粛期間を利用して、ツンドクだった本を読み始めた。

 以前からイリヤ・プリゴジン(プリゴジーヌとも、1977年ノーベル化学賞受賞)の「散逸構造」の理論を勉強したいと思っていた。生命だけでなく物質も自己組織化、自己複雑化するとなると、宇宙の歴史が一変する。

 エリッヒ・ヤンツ『自己組織化する宇宙』(工作舎)(600頁を超す分厚い本!)にとりかかったが、熱力学第二法則やらエントロピーがどうしたという話やら出てきてすぐにつまづいた。
 そこで、Youtubeの「ヨビノリ」(予備校のノリで学ぶ)の講座で熱力学をにわか勉強。その後も量子論など、未知の話が出るたびにネットで調べ物をしてなんとか本にくらいついていったら、40頁目あたりから俄然面白くなって、きょう300頁を超えた。

 さらに勉学意欲が沸いてきて、佐藤勝彦相対性理論から100年でわかったこと』(PHP)とリサ・ランドール『ワープする宇宙~五次元時空の謎を解く』(NHK出版、これも600頁超)、スチュアート・カウフマン『カウフマン、生命と宇宙を語る~複雑系からみた進化の仕組み』(日本経済新聞社)を並行読みしている。

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 いま好奇心が爆発している状態で、こんなに勉強意欲が出てくるのは人生初めてかもしれない。どうしたことだろう。
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 「検察庁法改正案」が衆議院内閣委員会で審議入りしたが、ネットでは「#検察庁法改正案に抗議します」のハッシュタグで、今日までに900万件以上のツイートがあったという。
 15日には、松尾邦弘・元検事総長ら検察OB14人が法案に反対する意見書を法務大臣に提出し記者会見した。異例のことである。

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意見書提出後に記者会見する清水勇男・元最高検検事(手前)。奥は松尾邦弘・元検事総長

 この意見書には、「フランスの絶対王制を確立し君臨したルイ14世の言葉として伝えられる「朕は国家である」との中世の亡霊のような言葉を彷彿とさせるような姿勢であり、近代国家の基本理念である三権分立主義の否定にもつながりかねない危険性を含んでいる」など痛烈な批判の言葉が連ねられている。

 ここまでの行動に出るには、このままでは亡国への道になるとの危機感、悲壮な覚悟があったのではないか。

 意見書には、「今回の法改正は、検察の人事に政治権力が介入することを正当化し、政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め、検察の力を殺ぐことを意図していると考えられる」とした上で、最後にロッキード事件の捜査について触れている。

 私もロッキード事件当時の記憶を呼び起され、モリカケはじめ今の腐敗臭ただよう政治が正されずにいることに感慨を覚えた。その部分を紹介したい。

 かつてロッキード世代と呼ばれる世代があったように思われる。ロッキード事件の捜査、公判に関与した検察官や検察事務官ばかりでなく、捜査、公判の推移に一喜一憂しつつ見守っていた多くの関係者、広くは国民大多数であった。

 振り返ると、昭和51年(1976年)2月5日、某紙夕刊1面トップに「ロッキード社がワイロ商法 エアバスにからみ48億円 児玉誉士夫氏に21億円 日本政府にも流れる」との記事が掲載され、翌日から新聞もテレビもロッキード関連の報道一色に塗りつぶされて日本列島は興奮の渦に巻き込まれた。

 当時特捜部にいた若手検事の間では、この降って湧いたような事件に対して、特捜部として必ず捜査に着手するという積極派や、着手すると言っても贈賄の被疑者は国外在往のロッキード社の幹部が中心だし、証拠もほとんど海外にある、いくら特捜部でも手が届かないではないかという懐疑派、苦労して捜査しても造船疑獄事件のように指揮権発動でおしまいだという悲観派が入り乱れていた。

 事件の第一報が掲載されてから13日目の2月18日検察首脳会議が開かれ、席上、東京高検検事長の神谷尚男氏が「いまこの事件の疑惑解明に着手しなければ検察は今後20年間国民の信頼を失う」と発言したことが報道されるやロッキード世代は歓喜した。後日談だが事件終了後しばらくして若手検事何名かで神谷氏のご自宅にお邪魔したときにこの発言をされた時の神谷氏の心境を聞いた。「(八方塞がりの中で)進むも地獄、退くも地獄なら、進むしかないではないか」という答えであった。

 この神谷検事長の国民信頼発言でロッキード事件の方針が決定し、あとは田中角栄氏ら政財界の大物逮捕に至るご存じの展開となった。時の検事総長は布施健氏、法務大臣は稲葉修氏、法務事務次官は盬野宜慶氏(後に最高裁判事)、内閣総理大臣三木武夫氏であった。

 特捜部が造船疑獄事件の時のように指揮権発動に怯えることなくのびのびと事件の解明に全力を傾注できたのは検察上層部の不退転の姿勢、それに国民の熱い支持と、捜査への政治的介入に抑制的な政治家たちの存在であった。

 国会で捜査の進展状況や疑惑を持たれている政治家の名前を明らかにせよと迫る国会議員に対して捜査の秘密を楯に断固拒否し続けた安原美穂刑事局長の姿が思い出される。

 しかし検察の歴史には、捜査幹部が押収資料を改ざんするという天を仰ぎたくなるような恥ずべき事件もあった。後輩たちがこの事件がトラウマとなって弱体化し、きちんと育っていないのではないかという思いもある。それが今回のように政治権力につけ込まれる隙を与えてしまったのではないかとの懸念もある。検察は強い権力を持つ組織としてあくまで謙虚でなくてはならない。

 しかしながら、検察が萎縮して人事権まで政権側に握られ、起訴・不起訴の決定など公訴権の行使にまで掣肘を受けるようになったら検察は国民の信託に応えられない。

 正しいことが正しく行われる国家社会でなくてはならない。

 黒川検事長の定年延長閣議決定、今回の検察庁法改正案提出と続く一連の動きは、検察の組織を弱体化して時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動きであり、ロッキード世代として看過し得ないものである。関係者がこの検察庁法改正の問題を賢察され、内閣が潔くこの改正法案中、検察幹部の定年延長を認める規定は撤回することを期待し、あくまで維持するというのであれば、与党野党の境界を超えて多くの国会議員と法曹人、そして心ある国民すべてがこの検察庁法改正案に断固反対の声を上げてこれを阻止する行動に出ることを期待してやまない。

[追記]この意見書は、本来は広く心ある元検察官多数に呼びかけて協議を重ねてまとめ上げるべきところ、既に問題の検察庁法一部改正法案が国会に提出され審議が開始されるという差し迫った状況下にあり、意見のとりまとめに当たる私(清水勇男)は既に85歳の高齢に加えて疾病により身体の自由を大きく失っている事情にあることから思うに任せず、やむなくごく少数の親しい先輩知友にのみ呼びかけて起案したものであり、更に広く呼びかければ賛同者も多く参集し連名者も多岐に上るものと確実に予想されるので、残念の極みであるが、上記のような事情を了とせられ、意のあるところを何卒お酌み取り頂きたい。