100年前の「スペイン風邪」流行の教訓

 ガードレールにしがみつくように生える草花が目に付く。

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 これはムシトリナデシコ(虫取り撫子)というらしい。(ハエトリナデシコ、コマチソウ、ムシトリバナの別名があるという)
 ネットで調べると、名前の由来は、茎上部の葉の下に粘液を分泌する部分があって虫が付着して捕らえられることがあることだが、アリよけで、食虫植物ではない。
 江戸時代にヨーロッパから鑑賞用として移入されたものが各地で野生化しているという。もともと観賞用だったという素性だけあって、きれいな花だ。
 ガードレールの花をもっと調べてみよう。
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 12日、BS1スペシャル「ウイルスvs人類3 スペイン風邪 100年前の教訓」を観た。今のコロナ禍にとってとても教訓的だったので紹介したい。

 スペイン風邪と呼ばれるインフルエンザは1918~20年に世界中で大流行し、なんと当時の世界人口の4分の1にあたる5億人が感染した
 死者は4000万人とされるが、統計が不十分で最大1億人が死亡したとみられる。画家エゴン・シーレ社会学マックス・ウェーバーも感染して死亡している。

 1918年1月、アメリカ中西部の基地で発熱・頭痛を訴える兵隊が大量に発生したことが最初の感染とされ、4か月で世界に広がった。
 しかし当時は第一次大戦の最中。戦争当事国は感染を認めず、中立国のスペインの名がつけられたのだった。

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 いったん収まったかに見えたスペイン風邪は1918年9月に第二波がやってくる。
 2年間で米軍はインフルエンザで57,460人の死者を出した。第一次大戦での米軍の戦死者が50,280人だから、戦争より犠牲者が多かったのだ

 1918年11月11日、第一次世界大戦終結するが、これはスペイン風邪が影響して早い終戦になったと言われる。
 ドイツ軍参謀本部次長 ルーデンドルフは「ドイツ軍が戦いに敗れた理由はアメリカ軍ではない。いまいましいインフルエンザのせいだ」と語っている。

 また、戦後処理にもスペイン風邪は影響を与えた。
 1919年1月にパリ講和会議が開催され、敗戦国ドイツへの巨額な賠償を主張するフランス首相クレマンソーに対し、アメリカ大統領ウィルソンは寛大な措置をと訴え対立。 
 ところがウィルソンはスペイン風邪にかかりダウン。フラフラになってクレマンソーの主張に屈し、ドイツには過酷な賠償が課せられた。

 経済困難に陥ったドイツでは社会混乱が続き、その後ヒトラーナチスが台頭、結果的にドイツは再び戦争の道へと歩みだす。

 磯田道史氏(歴史学者)がこんな日本史のエピソードを紹介した。
 徳川慶喜は1868年(慶応4年)正月にはやり風邪(インフルエンザ)にかかった。
 病床から這い出てきた慶喜は、家臣からの「薩長、討つべし」の突き上げに、済み上がりで思考力の弱っていたため、「いかようにとも勝手にせよ」と言ってしまった。この一言で幕府軍は京都に進軍、鳥羽伏見の惨敗を招き、徳川政権が倒れることにつながった。

 パンデミックは歴史の攪乱要因にもなるし、短絡的な方向に世の中が向かいやすくなるということだ。

 

 次は、第2波、3波の恐ろしさだ。
 日本では1918年春 第1波がきた。台湾巡業から帰った相撲界に広がり「力士病」と呼ばれ、次に兵士に感染し「軍隊病」の名もついた。このときはそれほど死者が出なかったようだ。
 1918年秋にきた第2波で、多くの若い人が死亡したとされる。働き盛りを直撃して社会への影響も大きかった。
 さらに第3波では死亡率が第2波の1.2%に比べ5.3%と高くなった

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 日本でのスペイン風邪による死者は45万人(推計)にもなった。このあと1923年に起きた関東大震災での死者が10万5,000人だから、スペイン風邪の被害がいかに甚大だったか分かる。
 後からの感染の破壊力をみるとき、ウイルス変異の可能性を考えなくてはならない。

 

 感染抑制と経済活動・学校教育活動はトレードオフ(両立しない)の関係で、調整が難しい。
 フィラデルフィアは行動制限をせずに流行を招いたが、行動制限をやってはじめは抑え込んだかに見えたセントルイスでも、制限を解除したあと、感染が拡大した。

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 日本での教訓に、軍艦「矢矧(やはぎ)」(軽巡洋艦)のケースがある。
 第一次大戦で連合軍側についた日本は、太平洋、インド洋方面でドイツ軍に対する海上警備、索敵行動に従事した。「矢矧」は1918年11月9日、任務交代のためシンガポールに到着。スペイン風邪を警戒して2週間調査したが、シンガポールの感染は収まったとみて21日と22日、乗組員を交代で半数づつ4時間に限って上陸を許可した。
 マニラに向かった艦内で4人が発熱。乗員469人の9割以上が罹患し、マニラで48人が死亡する事態に。行動制限の解除の難しさを痛感させられる。

 スペイン風邪の流行はたった100年前、これほどの被害のあった、たくさんの教訓を学ぶべき出来事なのに、実際はほとんど忘れ去られていた。
 今回のコロナ感染まで意識しないできた私も反省させられた。

 23日に再放送があるようなので、関心のある方はどうぞご覧ください。