現代における報道写真の意味2

 アザミ。通勤路のコンクリートの割れ目から生え出て花を咲かせた。

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 いかめしいとげとげの総苞には鮮やかな色の花が似合っている。
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きょうのツイッターより
 《中学の美術担任が最後の授業で言った「英語が上手いと17億人に伝わるけど、絵が上手いと70億人に伝わる」という一言で、休み時間に絵ばっか描いてた自分を冷やかす人がいなくなった。》http://twitter.com/meshimaccho/status/1145878457655554048
 なるほどね、いい話だ。
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報道写真家、渋谷敦志さんと今福龍太さんのトークの続き。

 

今福:
 写真のぎりぎりの誠実さということを、渋谷さんは日本のたぶん写真家、フォトジャーナリストの中でも、もっとも深く考えながら撮ってらっしゃると思うが、そういう写真の誠実さについてもっとも深いところで考えたフォトジャーナリストの一人が、水俣に長く暮らしていたユージン・スミスという人ですね。
 彼は戦争報道もやったが、とりわけ水俣に深く入り込んだ。その彼の有名な言葉が、Let truth be the prejudice で、彼の墓碑にもこの言葉を刻んだ。直訳すると「真実を偏見にせよ」ということ。(注)
 水俣を取材して変形した指や体、そして苦しげな表情などにカメラを向けていくこと自体が、苦しいことだと思うが、彼はやり続けた。
 「これが水俣の真実だ」みたいなことを彼は決して考えていない。むしろ真実は常に偏りをもっているものだと。どれだけ真実を求めようとしても、すべてのものが、ある種の偏見、先入観の産物でしかない。
 逆にいうと、一つの真実はないということ。どんな真実も偏りをもっているのだと。倫理的には、これは真実じゃない、間違ってる、違うんじゃないかと我々は迷うんだけれども、真実の厚み、深み、ゆらぎというものから真実にアプローチしていくかぎり、それは偏見の産物かもしれないけれども、それはもっとも真実に近い偏見として、ギリギリの産物になるということだと思う。
 スミスは墓碑までそういう文言を残したが、ぼくらは深く受け止める必要があると思っていて、そうするとオブセッション、脅迫観念から逃れられる。この真実を絶対自分は撮らなきゃいけないという考え方自体が不遜なのかもしれない。
 個人主義的な意味では、一人の悲惨な人々と向き合っていくときのディレンマから逃れられなくなるが、人間はそもそも事実とか真実とかを考えるときにもっているある種の神話というか、これが唯一の真実だと思うこと自体がプレジディス、先入観なんだと。
 そうすると、ぼくらが持っている先入観は、問題はあるんだけれども、真実という厚みをもったものに置き換えてやる、という考え方で現場に立てば、また違ったビジョンが出てくる可能性はあるかと思う。

渋谷:
 スミスは僕も座右の書だが、僕がおぼえている問いかけの言葉は「写真家の責任」。
 撮らせてくれる人と写真を観てくれる人に責任を果たすのが写真家としてのモラルでは。
 自分は写真を撮らせてくれる人とこうして観て下さる人との間の、最近好んで使う言葉だが、「オーガニックなつながり」のなかで何かを届ける。「根幹の言葉」を写真でとどけていきたいと思っている。
 スミスもそういうなかで「真実」ということへの考え方を深めていったのではないかと想像する。

 

注)スミス自身は、この言葉について

「反語的に使った言葉です。人間はだれでも、偏見を免れることはできない。すべての人間がなんらかの偏見を持っている。私もそれから自由ではないでしょう。しかしせめてこれを真実に近づけたい、そう願うからです」と言っているという。


(つづく)

住民を益する対北朝鮮制裁

 トランプ大統領の動きに世界中のメディアが釘付けだ。朝鮮中央通信も「トランプ大統領の提案で、板門店で『歴史的な対面』が行われた」と大々的に伝えた。このパフォーマンス力は大したものだと言わざるをえない。

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 トランプ氏の言動はアメリカの保守本流や国軍主流とは異なるもので、考え抜かれた戦略にもとづくものとは考えにくい。だから、今回の現職大統領初の北朝鮮入境と3回目の米朝首脳会談をどう評価すればよいのか、メディアにもためらいが見える。非核化協議再開、緊張緩和をもたらしたと歓迎するむきもあるが、大方はただの選挙対策、レガシーづくりではと冷ややかだ。
 私は、トランプ氏が、北朝鮮の変化をもたらさない安易な妥協、たとえば制裁の解除を、やはりパフォーマンスでやってしまわないかと危惧する。

 

 実は10日ほど前、脱北して今は日本に暮らすSさんという女性と会った。60年代初頭に「帰還事業」で北朝鮮に渡った在日朝鮮人の両親のもと、Sさんは北朝鮮で生まれ育った。まだ少し流暢さに欠ける日本語で、向こうでの体験を語ってくれた。
 90年代後半の「苦難の行軍」のときは、飢えて亡くなる人が続出した。朝、隣人と顔を合わせると、互いに「生きてる?」と挨拶した。10日間、食べ物がなく、水だけ飲んでいたことがあったが、そのときはすべてが食べ物に見えた。自分の子どもでさえも。もう普通の精神状態ではなかったという。

 興味深かったのは、話題が北朝鮮への経済制裁におよんだとき。

 同席の一人が、「制裁なんて効いてない。役に立たないのではないか」と尋ねると、Sさんは間髪を入れずに「いえ、制裁を止めてはだめです!」と厳しい口調で言って、私たちを驚かせたのだった。
 まず、制裁が始まると、それまで見たことがなかったモノが市場に現れたという。例えばマツタケやメンタイコなど、外貨稼ぎの商品が輸出できなくなって、値崩れして安く国内に出回った。その時期、初めてマツタケを食べた住民は多いという。また、冬、火力の低い煙ばかり出るひどい石炭ではなく、外貨稼ぎ用の質の良い無煙炭が使えるようになって、とても喜んだ。つまり、制裁は住民の暮らしにとってプラスだというのだ。
 さらにSさんは、北朝鮮への経済支援は、保衛部(秘密警察)や安全部(警察)の住民支配を強める効果をもたらすとも語った。

 90年代後半、生活難の住民が生きるか死ぬかの境で警察にも食ってかかるようになっていた。治安機関の権威が揺らいでいたが、2000年、金大中平壌金正日と会った後から、急に「やつら」(警察など)が威張り出した。韓国からの大量の援助で、上からお金が降りてきて、力を盛り返したのだという。
 制裁は、権力の住民コントロール力を弱め、庶民の暮らしを豊かにする。だから制裁は続けるべきだとSさんは言うのだ。
 Sさんの意見は、北朝鮮に対する制裁を考えるとき、一つの参考になると思う。

現代における報道写真の意味

 板門店で、トランプと金正恩の電撃会談。驚きました。さらには、金委員長を「ホワイトハウスに招く」って?そこまで言うか・・
 トランプ大統領は、とんでもないひとりよがりなのだが、まわりが相手せざるを得なくなって、結果乗せられていくんだな。
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 きょう18時からBSフジ サンデースペシャルで、ジャーナリスト安田純平さんの特番が放送された。ディレクターの菅家久さんが獄中日記を丹念に読みこんで、拘束の実態とそこでの安田さんの格闘を描いている。フリーランスとしての悩みなども赤裸々に綴られていて、私自身も学ぶところがあった。これで安田さん拘束事件についての一応のまとめとしたい。
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 ジャーナリストの生き方ということでは、もう3週間も前、6月9日になるが、報道写真家の渋谷敦志さんの写真展「まなざしが出会う場所へ -渇望するアフリカ-」(富士フイルムフォトサロン)に行ってきた話をしたい。

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 渋谷さんは釜ヶ崎で写真を撮り始め、その後、アフリカをはじめ世界各地の紛争地などを取材してきた「旅する写真家」だ。
 《「アフリカの水を飲んだ者は必ずアフリカに回帰する」という諺(ことわざ)の通り、20年もの間、アフリカ通いを続けている。主に紛争や飢餓、難民や貧困の現場を取材し、困難を生きる人びとから「おまえは何しに来た」と問うまなざしを突きつけられてきた。なぜ撮るのか。写真で何ができるのか。葛藤し続けた20年でもあった。そのまなざしに何度も挫折しそうになった。それでもなお、ファインダー越しに見つめ、見つめられ、まなざしが交差する場所から目をそらさないこと。そこに自分が写真を撮り続ける理由の源を見出してきた。置き去りにできない眼との対話の記録ともいえる今回の写真展が、世界や他者とのつながりを再想像する場となってほしいと願っている。》(渋谷さん)
 9日は、渋谷さんと文化人類学の研究者、今福龍太さん(東京外語大教授)とのギャラリートークがあった。とても興味深く、学びの多い内容だったので、さわりを紹介したい。

 渋谷さんの写真には、難民など極限に置かれた人々が多く被写体として登場する。カメラを向けるのがためらわれるほどの状況において、なお写真を撮る意味は何かというテーマが話された。

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今福:

 渋谷さんは難民キャンプなど、人道的な、ヒューマニズム的な観点からいえば、悲惨な現場を見て、自分はなぜそこにいるんだと、こういう現場にカメラもって侵入していって撮る。それが写真の宿命でもある。
 深いディレンマの中で、ものを考えるところが、渋谷さんのすごく誠実な部分と倫理を作ってきた。その問題を少し深めてみたいと思う。

 サルガド(セバスチャン・サルガド=世界的な報道写真家)ともよく話をするが、彼はあまりにも悲惨な戦争なり飢饉なりの風景をあまりにも美しく撮りすぎると言われて批判されている。こんなに酷い状況をこんなに美しく撮っていいんだろうか、と。
 サルガドの映像をただ美しいと見るのは目の浅い部分だ。想像力の足りない部分。

 我々はヒューマニズムに過剰な価値を置いていて、それは人間の命を重要なものとしてとらえようとしているのだが、一方で人間中心主義に陥るわなにもなるわけで、そこは微妙なところだ。ヨーロッパ的なヒューマニズムでは。
 難民キャンプなどで子どもたちが次々に亡くなっていくような現場を見ると、どうしても、個人の命の大切さにもとづく、ヒューマニズムの感覚を発動してしまって、「では自分は何ができるのか」「写真家は救うことはできない」となって迷うわけだ。
 だけど、サルガドは人間がそうやって苦悩している現場は、必ずしも悲惨なものとか悲劇的なものではないという。むしろ人間の尊厳が脅かされたり押しつぶされそうになっていくときに、人間の苦悩という風景が生まれるという。人間の苦悩の風景を写し取るということは、人間の最も深い尊厳の時を証言する、写し取る、そういう行為になるんだと。
 だから悲惨でかわいそうだという考え方を超えなきゃいけないということだ。ある種の美しさと尊厳の風景。人間悩んでれば、悩んでるほどそうなるんだと。サルガドは、もっとも美しい写真を撮る人だと言われるが、それへの最終的な応答はそういうことだと思う。
 だから「個人」の写真を撮っているのではない。個人の写真を撮っているのであれば、悲惨で悲しいことだが、「人間」の風景ということであれば、個人を超えた風景がそこにある。
 人間はどういう状況であれ、、どこにいようと、幸福と不幸とつねにかかえて、生きていく。物質的に豊かな、例えばアメリカ社会で生きてる人間が、アフリカの苦しんでいる子どもたちより幸福かというと、必ずしもそうは言えない。
 日本もそうかもしれないが、文明社会、高度資本主義社会が持っている病理というものは、もっと見えない形で人間の命を蝕みつづけている。
 そう考えると、ブラジルやアフリカの人々は物質的には貧しいし、病気や様々な原因で短い命で終ってしまうかもしれないが、社会全体の病理によって知らず知らずのうちに冒されることからは解放されているという部分もあるかもしれない。
 渋谷さんの倫理的なジレンマというのは、もうちょっと広げて考えていくいくことで反転させていくことができればと思う。

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今福龍太さん

渋谷:

 日本やアメリカ、世界中で、人がバラバラにされてしまうあたりに苦しさ、生きづらさを感じることがある。
 それをリカバリーしていくために失ってはならない感覚は何だろうということをつねに自分に問いかけながらやっている。特に困難な状況にある人の写真を撮っていると、分かりえない、相手の気持ちにはなれないし、替わってあげることもできない以上、何かしら他人事として見るしかない部分もあるが、それでも分かりたいという気持ちもある。でも分かりえない、そのジレンマをずっと抱えながら、でも撮り続ける。
 そこで、僕自身が「つながり」をつくりたい、写真を撮ることで、また写真をこうやってみなさんに見ていただくことで、人と人とのつながりを支えていけるような場をつくる、そういう仕事をしたいと思っている。

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谷敦志さん。1975年、大阪生まれ。

 それをつうじて、私と出会った人が、確実に、大きな声では届けえなかった言葉というものを、言葉とは違った形で持ち帰っていただいて、日常、時間をかけて、それぞれの生活のなかで、小さな変化を重ねていっていただけるのではないか。そういう地道なアクション、僕なりのリアクションとはそういうことかなと。苦しい言い訳かもしれないけど。
(つづく)

「介護」をめぐる家族の冒険

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 きのうの朝刊に全面広告。
 G20で香港のことを取り上げるよう訴えている。
 《【香港共同】香港から中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案を巡り、香港の市民らは28日までにG20大阪サミット開幕に合わせ、米国や日本など約10カ国・地域の新聞にG20で香港問題を取り上げるよう訴える全面広告を出した。国際的な関心を集め、中国の習近平指導部や香港政府に圧力をかけるのが狙い。
 広告費用はクラウドファンディングで協力を呼び掛け、約10時間で当初目標の2倍以上の約670万香港ドル(約9200万円)を集めた。ニューヨーク・タイムズ朝日新聞、韓国紙の朝鮮日報のほか、フランスや英国などの主要紙に掲載された。》
 

 26日、《香港中心部には数百人のデモ隊が集まり、米国や英国、日本を含むG20参加国の領事館まで行進。条例完全撤回への取り組みを後押しするよう各国首脳に求める陳情書を提出した。
 夕方の集会では「香港解放を」と書かれたプラカードも掲げられた。参加者の多くは黒い服を着用し、抗議の歌を歌って、G20の首脳に権利保護を要請した。デモ隊の望みは逃亡犯条例をG20の議題とすることだが、中国外務省の高官は議論を許さない姿勢を示している。》


 10時間で1億円近くを集めるとは、香港の若者の行動力はすごいな。G20ではまともに議題には取り上げられなかったようだが。
 昔むかし1968年のこと、パリの学生街カルチェ・ラタンからはじまった5月革命が世界各国に飛び火し、日本では全共闘運動が盛り上がった。そこから、カウンターカルチャーや近代文明への見直し、エコロジー運動なども生まれてきた。
 そんなことを思い出しながら、香港の動きが日本を含む世界の若者を活性化すればいいのに、と思うきょうこのごろです。
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 5月発行の「地平線通信」(481号)に、母親が急に倒れて介護に迫られた体験を書いた《「介護」をめぐる家族の冒険》と題する文章が載った。
 うちの母親はまだなんとか一人暮らししているが、私も筆者と年齢が近く、身につまされる。書いたのは、日本の漁業、漁民の事情に詳しいジャーナリスト大浦佳代さん。


■4月18日の夜、妹から「お母さんが家で倒れて、救急搬送された」と電話が。ぞわっと寒気立ちました。つい10日前の81歳のお誕生祝いでは、あんなに元気だったのに。実家は前橋。飛び乗った新幹線の中で、苦労の多い母の人生とさらなる試練を思い、涙がこぼれました。
◆翌朝、88歳の父、妹と病院へ。母は意識がなく、頭に穴を開けて血を除く手術をすることに。「手術の目的は救命。後遺症は重いでしょう」という医師の言葉に目がくらみました。とはいえ介護下着やおむつの買い物や各種手続きなど実務にも直面し、泣いてばかりもいられない。さらに88歳の父は衰えが目立ち、深刻な現実を初めて明確に認識しました。両親の年を考えれば予測できたことで、介護中の友人もザラ。例えるなら原発事故の想定みたいなもので、うかつでした。
◆母は4人の子を産みました。長子のわたしは東京暮らし。6年前に夫をがんで亡くし今は独り。上の弟は京都の会社勤めで未婚。妹は多忙な教員で、実家から車で1時間ほど町に、同じく教員の夫と中高生の子ども2人と暮らしています。実家に残っているのが末っ子の弟。知的障害の認定を受けていて、母は倒れるその日まで、この子を羽の下でしっかりと守ってきたのです。母の入院による動揺が心配でしたが、意外と安定していてほっと安堵。
◆まずは取り急ぎ、母が管理していた家計の通帳や弟名義の貯蓄や保険などをざっと確認。母が通っていた医療機関やサービスを調べて連絡し、不要な定期購入などを解約。弟の医療の確認と職場(母の人脈で得たパートタイム)への事情説明。親戚と母の友人への連絡、ご近所回りなど、やることは山積み。もちろん日々の家事や庭の手入れもしなくちゃ。幸い、最近はわたしと妹がこまめに通っていたせいか、母が意図的に伝えていたためか「お母さんがいないとわからない」ことは、ほぼなかった。お母さん、偉い!
◆問題は、父と末っ子の2人暮らしです。妹が週末に日帰りで来るほか、わたしが週に1泊できるかどうか。介護のことは無知だったけれど、地域包括センターに電話してケアマネージャーに来てもらい、さしあたり週2回3時間の父のデイサービス利用と、週2回1時間のホームヘルパー利用(夕食の支度)を申請。介護認定の手続きも進めます。末っ子については、家庭以外に楽しい「居場所」を見つけてあげたい。近いうちに市の保健センターに相談に行こう。
◆次に心を砕いたのは、きょうだいのチームづくりです。母の強い求心力で、うちは年末年始、GW、お盆休みに全員が実家に集まるしきたりでした。とはいえ京都の弟が「ひね者」で、昼から酒を飲んでは世間への不満をまきちらすのが常。母だけがそんな息子を受け止め、叱りつけていたものです。今こそ、彼も変われるチャンス? そこで、母の病状や家のことを簡単な日誌にして弟と妹にメールし、情報共有することにしました。みなが気持ちでも実務でも一丸になれたらと。しかし、ひね者はさすがに筋金入りだった。GWに帰省したので、本人が希望した庭の草取りを任せたのに、働くわたしたちを横目に、相も変わらず昼から酒びたりで野球中継を見ながら毒づいている。何てこった! 酒の切れ目を見て、チームの大事な一員だとおだてつつ説教したけれど、はたして効き目はあったかな。まあ、しばらく役割を与え続けてみよう。
◆父がわたしを「お母さん」と、呼び間違うようになりました。何とも複雑な思いです。母のほうは、手術の翌日からリハビリを開始。「寝たきりにさせない」今の医療は驚きです。リハビリも3種類あり、別々の療法士が来てくれる。すごい! でも母の回復は順調ではありません。左半身が完全麻痺し、嚥下も無理。しかも脳内に水がたまって再手術が必要かも。やっと目が開いて、孫のお見舞いに片頬で笑うようになったのに。リハビリ治療は150日間が上限で、その後は介護施設入りだそうです。質のよい施設の空きを求めてさまようのだろうか。父はどうなるのだろう。弟の将来は? わたしの老後は?
◆老後に備え、乏しいながら貯蓄を心がけているのですが、NPO活動をしている友人がある日「貯蓄なんかしない。社会的価値ある活動をしてきたから、生活保護を受ける」と堂々と言い放ち、あっけにとられました。自分の仕事の価値はどうだろう。先ごろ『漁師になるには』(ぺりかん社)という本を出しました。人に「買ってください」とお願いしたい著作はこれが初めて。10人の若い漁師の生き方働き方を紹介し、漁業の概要や漁師への道を解説した本です。少しでも漁業や漁村のことを知ってもらい、応援してほしい、できれば漁師を増やしたいと願っています。ちなみに取材経費はすべて自費。でも生活保護を堂々と受けられるほどの価値ある仕事かどうか……。自信はないです。(大浦佳代 フリーライター、海と漁の体験研究所代表) 

 読ませる文章だ。

 家族一つ一つの事情はみな違っていて固有の大変さがあることをあらためて思う。

    でも、いろいろ問題はあるが、佳代さんのリーダーシップもあって、まとまりがよい一家のようだが、うちはこうはいかないだろうな。
 少子化で、これから親の面倒を見るのはますます大変になるだろう。結婚していない人も多い。一人暮らしの高齢者が倒れたらどうなるのか。
 いま老後2000万円足りないなんてことが話題になっているが、あれは厚生年金が基準で、国民年金の人はどうなるんだ。

    「NPO活動をしている友人」のように胸をはって「生活保護を受ける!」と言えるだろうか。私の知り合いのフリーランスがこの文章を読んだらどう思うかな・・・などなど、

    社会全般の問題から個人の生き方まで、実にいろんなことを考えさせられる。

安田純平さんの「ザ・ノンフィクション」特別編が放送されます

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近所のおばさんたちが立ち話していた

 私のオフィス近くの裏地屋さん。オフィスはお茶の水と神田の中間地点にあるが、この辺は昔ながらのお店や建物がまだ残っている。それが1軒また1軒と消えていく。写真のおばさんたちも昔からのお店がなくなってさびしいという。これからこのブログで紹介していきたい。

 陽射しがきついなと思ったら、とっくに夏至になっていた。
22日から初候「乃東枯」(なつかれくさ、かるる)になってて、明日27日からは、次候「菖蒲華」(あやめ、はなさく)。末候「半夏生」(はんげ、しょうず)は7月2日から。
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 このところ、ちょっとせわしかった。
 海外で取材が壁にぶち当たっているスタッフとのやりとり、急な企画書を書くためのリサーチ、実家の処理のための日帰りの帰省などでドタバタしていた。
 そして月末になって資金繰りの日々。今月は一段と厳しい。少なくない取引先に支払いを待ってもらい、迷惑をかけてしまうのが心苦しい。
 きょうは30日放送の番組のMA(Multi Audio)で終電での帰宅になった。MAとは、すでに編集された映像に、ナレーションや効果音、音楽などを入れ音声を調節する作業で、最終工程だ。もっともMAは日本独特の和製英語で、海外ではaudio post productionというそうだ。
 きょうはこの番組のお知らせです。
 シリアで拘束され去年10月に帰還したジャーナリスト安田純平さんが主人公の1時間55分の特番です。3月17日放送の『ザ・ノンフィクション』の特別編で、こんどの日曜、30日にBSフジで放送されます。
 

6月30日(日)18:00~19:55
〈BSフジサンデースペシャル〉ザ・ノンフィクション「デマと身代金~安田純平・3年4ヶ月の獄中日記~」特別編
 シリアで、3年4ヶ月にわたって拘束されたフリージャーナリスト・安田純平、44歳。帰国後の会見で安田は「犯人が誰なのか?」、「なぜ拘束されたのか?」、「なぜ解放されたのか?」わからないと語った。
 安田の監禁生活は過酷そのものだった。時にナイフを胸につきつけられ、時にかすかな物音も許されずに、身動き1つ、唾も飲み込むこともできない状況だった。だが驚くべきことに、そんな中にあって安田は、5冊もの日記を書き続けていたのだ。
 今、明らかになる恐るべき監禁生活の実態。だが、生きて帰国した安田を待っていたのは、バッシングや身代金に関するデマの数々だった。番組では、安田が綴った貴重な日記を詳しく紹介、知られざる監禁生活と様々なデマやバッシングについて、安田が告白する。 http://www.bsfuji.tv/thenonfictionsp/pub/index.html

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MAスタジオにて。中央がナレーターの目黒泉さん。新潟出身だそうで、笹巻きをたくさん差し入れてくれた。私は先日帰郷した際に買ってきたサクランボ(佐藤錦)を差し入れ。

 ザ・ノンフィクションの倍以上の長さで、日記をじっくり紹介していきます。どうぞご覧ください。

原発とジャングル3

 きょうは暑いなか浅草の仲見世に行く。海外取材に出る人が協力者に謝礼であげるお土産を買うためだ。

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仲見世通り

 レンタル浴衣を着てそぞろ歩きする外国人と修学旅行の生徒が目立つ。

    宝蔵門(仁王門)にかけられた大わらじ。山形県村山市で作られたものだと初めて知った。

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 太平洋戦争が始まった1941年以来、10年に一度あらたに作って奉納する。これが8代目で、去年10月に奉納されたものだそうだ。2トン半の藁を使いのべ800人が1ヶ月かかって作るという。ごくろうさまです。
 写真家の鬼海弘雄さんが浅草で撮る肖像写真の背景は朱色の壁だが、きっとこの宝蔵門の側面だなと思いながらぐるっと回ってきた。
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 最近、無理にがんばらないという考え方が「いいな」と思う。
 グレートジャーニーの探検家、関野吉晴さんの連載「語る―人生の贈りもの」が朝日新聞で始まったがその連載1回目(18日付)にこんな文章が載っている。
 《旅や冒険の醍醐味は「気づき」。自分が普遍的だと思っていることが、実は他の人にとっては特殊なことだと分かる。そうすると物の見方が変わり、自分が変わることがおもしろいんです。》
 《エチオピアでは、ヤギやラクダを飼っている人に「もっとたくさん増えたらいいですね」と声をかけたら「いや、これを大切に育てるのが私たちの役目です」と言われた。足るを知る人たちなんですね。いま、「好きな言葉を書いて」と言われると、自戒を込めて「ほどほどに」と書いています》

 関野さんが「ほどほどに」と本に献辞を書いているのを実際に見たことがあるからこれはほんとの話。

 次は山本太郎参議院議員
 《僕が目指す社会は、究極は、頑張らなくても生きていける世の中です。もう、「これトチったら俺の人生終わりだな」みたいな世の中はやめにしたいんですよね。そういう状態が続く人生は地獄ですよね。「まぁいいか」みたいな余裕が欲しい。
 何をもって頑張るかは個人差があるので、それを測るのは難しい。でも、頑張れない時に頑張ってもロクなことがないから、ゆっくり休んで、それを国が支えて、そろそろ力が湧いてきたという時に頑張ってもらう方が、ずっと生産性は高いですよ。だって、無理しても壊れるだけだもん。
 だから、「いいよ、頑張らなくても」という世の中になればどんだけいいか。今はあまりにも地獄すぎると思うんです》(山本太郎『僕にもできた!国会議員』筑摩書房
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019061500001.html?page=2
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 「原発とジャングル」について書きっぱなしで(いつものように)失礼しました。続きです。https://takase.hatenablog.jp/entry/2019/05/07
 ブラジル・アマゾナス州南部のジャングルの民、ピダハンの社会が、我々が想像する「野蛮、蒙昧、悲惨」の社会ではなく、意外にも「幸福感みなぎる」「一種のユートピア」だったとエヴェレットは報告した。
https://takase.hatenablog.jp/entry/2019/05/07
 渡辺京二さんはしかし、「原発がいやならジャングルへ戻れ」と言われて、我々は本当に戻れるだろうかと問う。戻れないはずである。
 《いったん「文明」を知り、その中でしか暮したことのない者が、いかにフリーでありある意味で幸せであろうとも、そのような原初状態に戻ることを望むだろうか。望むものはいまい》と渡辺京二さん。
 「狩猟採集経済以後、人類が獲得したものは物心両面においてとほうもなく巨大多様」で、我々はその獲得物を放棄できなくなっている。我々の価値観もそれをベースに形成されてしまっている。
 例えば、都会人が田舎暮らしをしたいと地方に移住することを考えてみよう。自給自足に近い暮らしを夢みる人でも、近くに病院や介護施設があるか、子どものいる人は学校があるか、交通の便はどうか、などなど最低限の利便性が前提でなければ話が進まない。
 幸福度ランキングでは重要な指標に平均寿命や識字率などが必ず入ってくる。「文明人」にとっては、医療施設がないというだけで、ジャングルの暮らしはすでに「しあわせ」ではないのである。何を「しあわせ」と感じるかがジャングルの人々とはすでに違っている。
 ただ、近代文明のなかで、こんなはずではなかったという思いは募っている。労働を省力化してくれるはずの「交通・通信・情報手段の発達が人間をより一層多忙にして来たことは、各自おのれを省みさえすれば直ちに明らかだ」。
 ただ、ジャングルの暮らしには、文明によって規定されない、人類にとって普遍的な「しあわせ」があることも確かだ。
 では、どうすればよいのか。この「ジャングルと原発」(『原発とジャングル』晶文社)で渡辺さんは、「近代文明を超克」するという彼のテーマへの最終結論とも思える主張を述べている。
 《問題は、物質文明=科学技術の進展は不可避な自然過程かどうかということだ。マルクスはそう考えたし、吉本(隆明)氏はその点において全くのマルクス派である。自らを省みて、その点が私は違うと思う。マルクス・吉本がそう考えるのも無理はないと認めつつ、私はそうは思わないとあえて言いたい。文明の賜物を保持しつつ、ピダハンのような管理と支配のないフリーな共同社会をめざすことはできると思う。できると思うのは私が根が夢想家だからである。必然のワナから自覚的に抜け出せるのではなくては、人間に生まれた甲斐がないと思うからである。》
 《望ましい文明の見取り図なら、掃いて棄てるほどあるのだ。しかし、それを実現する手続き、いやそれ以上に心構えこそ問題なのだ。(略)つまりはおのれの霊的自覚の問題になるのかも知れない。》
 《自然過程とは詮じつめると、文明的諸装置の出現・進化は必然であり、いったん獲得した文明的利便は放棄できないということだろう。しかし、原発というエネルギー発生装置が出現したのは人類史の必然=自然過程だったとしても、放射性物質を他のエネルギー源に替えることはわれわれ人間の自由な選択に属する。
 自然過程という「物神」を素直に承認したくない。戦後の凡庸思想家、いや思想家などおこがましい一独学者である私の、これが最後の一句だ。》
 平たく言うと、まずは一人ひとりの深い自覚だということだろう。

香港 今回の運動の成功は団結と速度(チャン・ジーウン監督)

 オフィスのある神田小川町の交差点。ヤマボウシが白い花をつけた。 

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 香港が気になって仕方がない。
 「雨傘運動」を描いたドキュメンタリー映画『乱世備忘 僕らの雨傘運動』が緊急再1上映となったので、何とか時間を作って観に行く。
 2014年、大学生が中心になって「真の普通選挙」を求めデモ・集会を行なった。警官隊の催涙弾を雨傘で防いだことから雨傘運動と呼ばれるようになった。学生たちはテント村まで作って香港の中心街の路上を占拠したが、政治を動かすことができないまま占拠だけがつづく事態に市民からの批判も起き、最後は警察による排除で79日間の運動が終焉した。真の民主選挙は実現せず、民意が反映しない形で政府も立法会も選ばれることになってしまった。
 映画は運動の始まりから挫折までを追う。ごく普通のノンポリ青年がデモに参加し、街中が人波で埋まるのを見て「ほんとにこれが香港なの?」と驚き、仲間と一緒に活動に目覚めていく。彼らの表情が実に生き生きしている。映画の最後は、志を曲げないであろう20年後の自分を語るのだが、運動は挫折しても心は前を向いている。
 上映後、会場(ポレポレ坐)と香港のチャン・ジーウン監督とをスカイプで結んだトークセッションがあった。

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伯川星矢さん(左)とチャン監督(右)

 会場から、「雨傘運動と今回の運動の違いは?」との質問。
チャン監督:
 「雨傘運動では、一つは運動の進め方をめぐっていろいろ対立が起きた。次に、中心地の路上を占拠したことに酔いすぎた、香港人はここまでできるんだという思いに酔ってしまって通りを占拠することが自己目的化した。
 今回の違いの一つは団結。いろんなやり方の違いが共存できた。こっちはデモやってて、あっちはまた小グループで別のことやってたりしても団結できた。
 二つ目は全てが速かった。雨傘のときは同じ場所を79日間占拠することに酔ったが、今回は政府に期限を設けて、何日までにこれをせよと、そういうスピード感があった。それが今回の教訓です」。
 雨傘運動が挫折した後、香港には「無力感」が漂っているなどと言われたが、しかし一度刻まれた運動の経験は今回に蘇ったのだろう。
 会場で監督と受け答えするのは、伯川(はくがわ)星矢さんという香港生まれの人で、素晴らしい通訳兼MCぶりだった。冒頭、自らの建設作業員のような出で立ちを説明。
 6月12日、香港警察がデモ隊を強制排除したさい、記者が威嚇発砲されたり棍棒で殴られるなどの被害をこうむった。デモ参加者の頭部や眼部を狙ってゴム弾を発射したとも言われ、こうした警察の暴力に抗議するため、記者たちはヘルメット、ゴーグル、反射服を着用して警察の記者会見に出席した。
https://www.excite.co.jp/news/article/EpochTimes_43789/
 伯川さんはそのコスプレで現れたというわけだ。
 伯川さんからのメッセージ
 「日本人に何か行動してください、というのではない。みなさんに知ってほしいというのが上映会含めての趣旨。そして、ツイッターなどで発信すれば香港に注目しているんだよということが分かる。それだけでも(香港人にとって)大きな力になる」。
 もっといろいろ勉強しよう。