「介護」をめぐる家族の冒険

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 きのうの朝刊に全面広告。
 G20で香港のことを取り上げるよう訴えている。
 《【香港共同】香港から中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案を巡り、香港の市民らは28日までにG20大阪サミット開幕に合わせ、米国や日本など約10カ国・地域の新聞にG20で香港問題を取り上げるよう訴える全面広告を出した。国際的な関心を集め、中国の習近平指導部や香港政府に圧力をかけるのが狙い。
 広告費用はクラウドファンディングで協力を呼び掛け、約10時間で当初目標の2倍以上の約670万香港ドル(約9200万円)を集めた。ニューヨーク・タイムズ朝日新聞、韓国紙の朝鮮日報のほか、フランスや英国などの主要紙に掲載された。》
 

 26日、《香港中心部には数百人のデモ隊が集まり、米国や英国、日本を含むG20参加国の領事館まで行進。条例完全撤回への取り組みを後押しするよう各国首脳に求める陳情書を提出した。
 夕方の集会では「香港解放を」と書かれたプラカードも掲げられた。参加者の多くは黒い服を着用し、抗議の歌を歌って、G20の首脳に権利保護を要請した。デモ隊の望みは逃亡犯条例をG20の議題とすることだが、中国外務省の高官は議論を許さない姿勢を示している。》


 10時間で1億円近くを集めるとは、香港の若者の行動力はすごいな。G20ではまともに議題には取り上げられなかったようだが。
 昔むかし1968年のこと、パリの学生街カルチェ・ラタンからはじまった5月革命が世界各国に飛び火し、日本では全共闘運動が盛り上がった。そこから、カウンターカルチャーや近代文明への見直し、エコロジー運動なども生まれてきた。
 そんなことを思い出しながら、香港の動きが日本を含む世界の若者を活性化すればいいのに、と思うきょうこのごろです。
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 5月発行の「地平線通信」(481号)に、母親が急に倒れて介護に迫られた体験を書いた《「介護」をめぐる家族の冒険》と題する文章が載った。
 うちの母親はまだなんとか一人暮らししているが、私も筆者と年齢が近く、身につまされる。書いたのは、日本の漁業、漁民の事情に詳しいジャーナリスト大浦佳代さん。


■4月18日の夜、妹から「お母さんが家で倒れて、救急搬送された」と電話が。ぞわっと寒気立ちました。つい10日前の81歳のお誕生祝いでは、あんなに元気だったのに。実家は前橋。飛び乗った新幹線の中で、苦労の多い母の人生とさらなる試練を思い、涙がこぼれました。
◆翌朝、88歳の父、妹と病院へ。母は意識がなく、頭に穴を開けて血を除く手術をすることに。「手術の目的は救命。後遺症は重いでしょう」という医師の言葉に目がくらみました。とはいえ介護下着やおむつの買い物や各種手続きなど実務にも直面し、泣いてばかりもいられない。さらに88歳の父は衰えが目立ち、深刻な現実を初めて明確に認識しました。両親の年を考えれば予測できたことで、介護中の友人もザラ。例えるなら原発事故の想定みたいなもので、うかつでした。
◆母は4人の子を産みました。長子のわたしは東京暮らし。6年前に夫をがんで亡くし今は独り。上の弟は京都の会社勤めで未婚。妹は多忙な教員で、実家から車で1時間ほど町に、同じく教員の夫と中高生の子ども2人と暮らしています。実家に残っているのが末っ子の弟。知的障害の認定を受けていて、母は倒れるその日まで、この子を羽の下でしっかりと守ってきたのです。母の入院による動揺が心配でしたが、意外と安定していてほっと安堵。
◆まずは取り急ぎ、母が管理していた家計の通帳や弟名義の貯蓄や保険などをざっと確認。母が通っていた医療機関やサービスを調べて連絡し、不要な定期購入などを解約。弟の医療の確認と職場(母の人脈で得たパートタイム)への事情説明。親戚と母の友人への連絡、ご近所回りなど、やることは山積み。もちろん日々の家事や庭の手入れもしなくちゃ。幸い、最近はわたしと妹がこまめに通っていたせいか、母が意図的に伝えていたためか「お母さんがいないとわからない」ことは、ほぼなかった。お母さん、偉い!
◆問題は、父と末っ子の2人暮らしです。妹が週末に日帰りで来るほか、わたしが週に1泊できるかどうか。介護のことは無知だったけれど、地域包括センターに電話してケアマネージャーに来てもらい、さしあたり週2回3時間の父のデイサービス利用と、週2回1時間のホームヘルパー利用(夕食の支度)を申請。介護認定の手続きも進めます。末っ子については、家庭以外に楽しい「居場所」を見つけてあげたい。近いうちに市の保健センターに相談に行こう。
◆次に心を砕いたのは、きょうだいのチームづくりです。母の強い求心力で、うちは年末年始、GW、お盆休みに全員が実家に集まるしきたりでした。とはいえ京都の弟が「ひね者」で、昼から酒を飲んでは世間への不満をまきちらすのが常。母だけがそんな息子を受け止め、叱りつけていたものです。今こそ、彼も変われるチャンス? そこで、母の病状や家のことを簡単な日誌にして弟と妹にメールし、情報共有することにしました。みなが気持ちでも実務でも一丸になれたらと。しかし、ひね者はさすがに筋金入りだった。GWに帰省したので、本人が希望した庭の草取りを任せたのに、働くわたしたちを横目に、相も変わらず昼から酒びたりで野球中継を見ながら毒づいている。何てこった! 酒の切れ目を見て、チームの大事な一員だとおだてつつ説教したけれど、はたして効き目はあったかな。まあ、しばらく役割を与え続けてみよう。
◆父がわたしを「お母さん」と、呼び間違うようになりました。何とも複雑な思いです。母のほうは、手術の翌日からリハビリを開始。「寝たきりにさせない」今の医療は驚きです。リハビリも3種類あり、別々の療法士が来てくれる。すごい! でも母の回復は順調ではありません。左半身が完全麻痺し、嚥下も無理。しかも脳内に水がたまって再手術が必要かも。やっと目が開いて、孫のお見舞いに片頬で笑うようになったのに。リハビリ治療は150日間が上限で、その後は介護施設入りだそうです。質のよい施設の空きを求めてさまようのだろうか。父はどうなるのだろう。弟の将来は? わたしの老後は?
◆老後に備え、乏しいながら貯蓄を心がけているのですが、NPO活動をしている友人がある日「貯蓄なんかしない。社会的価値ある活動をしてきたから、生活保護を受ける」と堂々と言い放ち、あっけにとられました。自分の仕事の価値はどうだろう。先ごろ『漁師になるには』(ぺりかん社)という本を出しました。人に「買ってください」とお願いしたい著作はこれが初めて。10人の若い漁師の生き方働き方を紹介し、漁業の概要や漁師への道を解説した本です。少しでも漁業や漁村のことを知ってもらい、応援してほしい、できれば漁師を増やしたいと願っています。ちなみに取材経費はすべて自費。でも生活保護を堂々と受けられるほどの価値ある仕事かどうか……。自信はないです。(大浦佳代 フリーライター、海と漁の体験研究所代表) 

 読ませる文章だ。

 家族一つ一つの事情はみな違っていて固有の大変さがあることをあらためて思う。

    でも、いろいろ問題はあるが、佳代さんのリーダーシップもあって、まとまりがよい一家のようだが、うちはこうはいかないだろうな。
 少子化で、これから親の面倒を見るのはますます大変になるだろう。結婚していない人も多い。一人暮らしの高齢者が倒れたらどうなるのか。
 いま老後2000万円足りないなんてことが話題になっているが、あれは厚生年金が基準で、国民年金の人はどうなるんだ。

    「NPO活動をしている友人」のように胸をはって「生活保護を受ける!」と言えるだろうか。私の知り合いのフリーランスがこの文章を読んだらどう思うかな・・・などなど、

    社会全般の問題から個人の生き方まで、実にいろんなことを考えさせられる。