石破茂首相は、戦後80年に合わせて自身の「見解」を発出するという。
政府はこれまで、戦後50年以降の節目に閣議決定が必要な総理談話を出してきたが、石破総理は80年談話を見送った。石破首相なら、アジアに「謝罪」して“自虐史観”を振りまくと恐れたのだろう、右翼や自民党内からの反発は強烈だった。
西村康稔元経済産業相は安倍首相の談話があるから、それで十分だと主張する。先月29日、自身のX(旧ツイッター)で、安倍晋三元首相の戦後70年談話で既に言及されているとして石破首相の談話は「不要」「無用な混乱を招く」との見解をつづった。
きょう12日は、石破首相による「談話」・「見解」の発出阻止を訴える集会が首相官邸前で行われた。写真を見ると、畏友、三浦小太郎さんが演説しているではないか。以下、『産経新聞』記事より。

《評論家の三浦小太郎氏は、80年談話について「石破首相であれ、どの首相であれ、出すべきではない」と主張し、「既に80年が経ち、歴史学者やそれぞれの人の思いの中で語られるものだ。国家が政治的判断を下し、日本の英霊だけではなく、戦死したアジア、米国、連合国の人たちを政治がもてあそぶべき対象にすべきではない」と訴えた。
その上で、石破首相に対し「もしも何かを申し上げたいなら、『わが国のため、さまざまな理想のために戦った、すべての方々に心から感謝と敬意を表する』。その一言ならば、あまり問題にならない。それ以上、政治的に利用されることは言ってはならない」と語った。
三浦氏は、インド独立のため日本とともに戦ったインドの人々に言及のない安倍晋三首相(当時)の戦後70年談話についても、「かつて日本軍と戦ったアジアの人々に対する敬意のないところに談話などありえない」と苦言を呈した。》
三浦さんは安倍首相の談話さえ否定している。ちなみに三浦さんは、私とは過去の戦争に対する考え方がまったく違うが、彼の気高い生き方を尊敬しており仲良しである。
石破首相は個人の見解を出すにあたって、過去に出された総理談話を踏まえて表明する考えだという。
寺島実郎氏が、過去に出された総理談話として安倍晋三首相による2015年の「戦後七十年談話」を俎上に挙げて論じている。寺島氏は、この談話に決定的に欠けているものがあるとしてこう指摘する。(『世界』9月号「能力のレッスン278」)
「戦争に至った認識が、あまりにも狭小であることに気付かざるをえない」

では、戦争に至った認識が安倍談話においてどう語られていたかを見てみよう。
「世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、1,000万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は『平和』を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。」
戦争に至った認識では、「外部要因のみが語られ、国内の政治システムが機能しなかった内部要因にはまったく論及しない。それゆえに、『日本だけが悪かったわけではない』という姿勢が際立ち、『これ以上、アジアの国々に謝罪する必要はない』という意図が滲み出て、日本自身が敗戦を教訓にどう変わらなければならないのかという考察にはつながらないのである」と寺島氏は厳しく批判する。
たしかに、自分の過ちを環境や他人のせいにするなら、その人は成長しない。こんな国策を採ったのは、我が国を取り巻く厳しい状況に迫られたからだと言い訳すれば、被害者意識しか残らず、教訓を生かして生まれ変わることはできない。その指摘はもっともであり、私の問題意識と共通している。
寺島氏は、重要なのは「日本が悲惨な戦争にのめり込んだ内部要因、すなわち明治期日本の政治社会構造」だという。それはいったい何だったのか。
(つづく)