高世仁の報道されない見えざるニュースを更新しました。
ジャーナリストの後藤健二さんがIS(イスラム国)に殺害されて十年。あの場所で後藤さんの亡骸を捜す…
1月31日、都内で開かれた「ジャーナリスト後藤健二 追悼イベント」で、後藤さんの遺族に健二さんの縁(よすが)となるあるものが手渡された。桐の箱に大切に収められたものはシリアの特別な場所にあった”石“。ジャーナリストの遠藤正雄さんが、同じフリーランスの後藤さんの「無念を晴らしてあげたい、弔ってあげたい」と危険を冒してシリアに入り持ち帰ったのだった。

後藤さんの死から3年が経った2018年4月、遠藤さんはシリアに向かった。かつてのISの支配地はクルド人勢力によって解放されていた。後藤さんが殺害されたマンビジュではISが公開した写真の背景の地形から“処刑”場所を特定、花を添えて冥福を祈った。
さらに亡骸(なきがら)を捜してかつてISの“首都”だったラッカへ。「英国人と日本人のジャーナリストが埋められた場所を知っている」という人物の案内でそこへ向かう。車を停めた道路から約100メートル離れた空き地に埋められているというが、地雷がある近づくことは許されない。その埋葬場所とされる地点には、ISの“囚人”が着せられたオレンジ色の服が起き罪にされていた。シリアでは昨年末にアサド独裁政権が崩壊し新たな国づくりが始まっている。将来治安がよくなれば遺体が回収できる日も来るだろう。
遠藤さんは後藤さんを偲ぶ縁(よすが)として、殺害現場とみられる丘にあった石を数個拾って日本に持ち帰り、桐の箱に収めて遺族に渡す日を待っていた。先日の追悼イベントで石を手にした遺族は「私たち家族には絶対にできないことをして下さって本当にありがとうございます」と涙ながらに感謝の言葉を述べた。遺族は、健二さんをここまで思ってくれる人がいたことが何よりも慰めになっただろう。
しかしこの感動話は同時に、日本政府の「不作為」を際立たせる。日本政府は、後藤健二さんと湯川遥菜さん、二人の日本人がISに囚われ脅迫と身代金要求をしてきたとき交渉はおろかまともに接触すら行わず、さらには当時の安倍首相が「ISと闘うため」の支援を行うと発表して状況をいっそう緊迫させていたのだ。国民を救おうという意思が伝わってこない。
私は、40年前にフィリピンで起きた二件の日本人誘拐事件、「若王子事件」と「石川重弘誘拐事件」を取材したが、日本政府の対応の仕方のあまりの違いに驚いた。
若王子信行さんは当時三井物産マニラ支店長。私は誘拐される直前に彼をインタビュー取材するご縁があった。マルコス独裁政権を倒した1986年2月革命のあとの11月、若王子さんは郊外のゴルフ場からの帰りに武装したグループに拉致された。当時マニラ首都圏には日本赤軍の泉水博が長期滞在していたほか、日本赤軍のメンバーがひんぱんに出入国していた。犯行は「フィリピン新人民軍」(共産党)と「日本赤軍」の共同作戦と見られている。これに日本政府は特別態勢で対応し、革命によって発足したアキノ新政権と協力して若王子さんの救出にあたった。テレビニュースでも大きく取り上げられ国民的関心事となった。結果は巨額の身代金を支払って彼は解放され、現地の多くの人々に祝福されながら帰国した。
一方、85年1月、フリーカメラマンの石川重弘さんは、フィリピン南部のホロ島でイスラム主義武装勢力「モロ民族解放戦線(MNLF)」に拘束された。同行したガイドのフィリピン人2人は「スパイ」とみなされ射殺された。MNLFは身代金約7000万円と重火器を要求したが、日本政府は全く対応しなかったばかりか、外務省は石川さんの家族に「死んだと思われたし」と通知したという。なお、当時の外相は安倍晋太郎氏だった。メディアではベタ記事扱いで、事件は知られることもなく時間が過ぎていった。
そのころ、山口組直系組長、黒澤明氏が山口組・一和会分裂を機に黒澤組を解散、引退してフィリピンに通っていた。彼はマニラ在住の貿易商、ヒロ山口から事件を聞き、日本政府が放置していることを知って即座に救出を決意。民族派右翼の野村秋介氏、山口組の代理人だった遠藤誠弁護士らの協力を得て、「石川重弘君を救う会」を作った。
「救う会」はMNLFと直接交渉し、3000万円分の医療物資支援という条件で妥結し、石川さんは86年3月に解放された。拘束されて1年2カ月が経っていた。
日本政府=外務省には、海外で難に遭う日本国民をわけへだてなく救う義務があるはずだが、巨大総合商社の幹部と一介のフリーランスカメラマンでは、政府にとっての命の価値はまったく異なっていた。
北朝鮮による拉致問題でも見られるこの日本政府の「不作為」を、今後、さらに追及していきたい。
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