きのうは衆議院第一議員会館での「拉致問題の膠着を破る鍵とは何か」という集会に参加した。
これは26日刊行の『北朝鮮拉致問題の解決』(和田春樹編、岩波書店)の出版を記念したもので、こじんまりした学習会かと思っていたら、大きなフォーラムやシンポジウムを行う国際会議室が会場だった。
参加者は超党派の国会議員、議員秘書など含め100人超。ジャーナリストや、なぜこの人が?と思うような著名な国際派の識者も顔を見せた。個人的には平沢勝栄衆院議員や蓮池透氏などご無沙汰していた何人もの旧知の人たちに挨拶する機会を得た。
出版された本は、和田春樹東大名誉教授が主宰した「日朝国交交渉30年検討会議」の成果をまとめたもので、その執筆者が拉致問題についてコメントした。最後は員鈴木宗男参院議員と元外交官の佐藤優氏が、小泉総理時代に北朝鮮と秘密交渉にあたった田中均氏をボロクソに非難して参加者を唖然とさせる一幕もあったが、全体として非常に興味深かった。
拉致問題にもようやく転換点がきたのだなとの感慨もあった。
統一協会と裏金の問題によって自民党安倍派が「雪隠詰め」状態になっている。安倍総理の「呪縛」が解けてアベノミクスは失敗だったとされ、ついに日銀が金融政策を転換した。同様に、拉致問題の進展を妨げてきた安倍総理=救う会=日本会議の路線の否定が始まったと感じる。
まず、執筆者の発言のなかで私が知らなかった重要な指摘がいくつかあったので、そこから紹介したい。
日本の歴代政権は拉致問題に関する重要な事実をきわめて政治主義的に扱い、きちんと検証しないばかりか、事実の隠蔽までしてきた。とくに酷いのは安倍政権で、その一例が2014年に北朝鮮が日本に渡そうとした調査報告書をめぐる事態だ。田中実さんという政府認定の拉致被害者の生存情報を握りつぶしてきたことについては本ブログで繰り返し指摘してきた。
そんな隠蔽事例の一つが、めぐみさんの遺骨をめぐる事態である。
2004年11月、拉致問題の再調査のため、政府代表団(団長:藪中三十二外務省アジア大洋州局長)が訪朝した。その際、めぐみさんの前夫の金英男氏がめぐみさんのものとされる「遺骨」を藪中団長に手渡したとされる。
12月、細田博之官房長官は会見で「遺骨をDNA鑑定の結果、他の2人の骨が混ざったものであることが判明」と発表。これは北朝鮮が別人の遺骨で日本を騙そうとしたという意味になる。しかし、鑑定を行った帝京大法医学研究室講師の吉井富夫氏は「火葬された標本の鑑定は初めてで、今回の鑑定は断定的なものとは言えない」と語っている。
高い温度で焼くとふつうは鑑定は無理とされている。吉井氏の結論は、単にめぐみさんではない二人のDNAが検出されたということで、それは遺骨を触った人の手の皮膚のDNAではないかと当時から言われていた。
その数ヶ月後、吉井氏はいきなり警視庁科学捜査研究所法医学科長に転職し、公務員の守秘義務を理由に取材はできなくなった。「吉井隠し」と見られても仕方がない。他の、例えば外国の研究機関でも鑑定を試みたらどうかという声もあったが、資料を使い切ってできないとされた。
この遺骨の問題では、政府が隠している「ウラ」がもっとありそうだ。
コメントした執筆者の一人、福澤真由美さん(日本テレビの拉致問題取材班のキャップを長年務めた)がこう証言している。
《他にもいまだに謎に包まれていることがある。2006年7月、藪中調査団のメンバーの一人が私のオフレコの取材に対し、「金英男さんが藪中さんに渡した「骨壺」に、骨以外に歯が混じっていた」と話した。そして歯の所在は、「帝京大学か科学警察研究所か官邸にある」と証言した。また藪中調査団には、北朝鮮当局から横田めぐみさんのものとされるカルテも渡されていた。かなり分厚いものだったという。その中にめぐみさんの歯の治療や、歯を抜いたり差し歯にしたりする記述があり、いろいろなデータが残っていた。「骨壺」に入っていた「歯」は、そのカルテにある歯のデータと符合し、横田めぐみさんの本人の歯のようだという。しかし、金英男さんの話では、一度埋めていた「遺骨」を友人三人と掘り出し、火葬して、例の「骨壺」に入れたということになっている。1500度を超えるような温度で骨を焼いたら、歯はすぐに溶けるはずである。「だから、なぜ歯が「骨壺」に入っているのか謎なのよ」と、調査団メンバーの一人は疑問を呈していた。「遺骨のDNA鑑定云々というよりも、歯が入っていることで金英男さんが説明したストーリーがおかしいということになる。なぜか、警察側はずっとこの情報を極秘にしている」と、こっそり教えてくれた。
その踏査団のメンバーは、こんなことも明かした。「横田めぐみさんの分厚いカルテは、かなり悲しいものがあった。めぐみさんは、一人きりのときに、いつも日本語でぶつぶつしゃべっていた。血圧はすごく低くて、上の数値が100も行かない。昼まで寝ていて、午後起きて、夜中まで徘徊してたりしていた」。》
めぐみさんは精神のバランスを崩して平壌の工作員専用の915病院に入退院を繰り返し、その後、中朝国境近くの49号予防院に送られたが、その時期のカルテと考えられる。
そして福澤さんの証言はさらに、「すべての日本人拉致被害者を抹殺せよ」という金正日の極秘指令に及んだ。まさか・・事実なのか・・私は戦慄を覚えた。
(つづく)
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きょうのニュースに旧知の弁護士がたまたま3人も登場した。おやおや。
まず、松本人志が「週刊文春」の記事に関して文芸春秋に5億5千万円の損害賠償を求めた民事訴訟の第1回口頭弁論が東京地裁であったというニュースで、文藝春秋の代理人、喜田村洋一弁護士。彼は私が「よど号」犯に名誉棄損で訴えられたときに代理人として2年におよぶ裁判を闘ってくれた「戦友」である。
それから、この裁判がどうなるかをNHKで解説したのが佃克彦弁護士。彼も私が代理人にお願いしたことがある。当時は若手だったが、もうすっかりベテランの風格。おなつかしい。
また、宝塚歌劇団の劇団員の女性(25)が死亡した問題で、歌劇団側が女性の遺族に直接謝罪したというニュース。歌劇団が否定してきた上級生(先輩劇団員)らによるパワハラを、遺族側が約半年かけて認めさせた。この遺族側の代理人が川人博弁護士。北朝鮮による拉致で一時期一緒に活動したことがあり、彼の東大のゼミに招かれて講義したこともあった。相変わらずお元気のようで何より。
松本人志VS文春の口頭弁論は約4分で閉廷、松本自身は姿を見せなかった。
原告(松本)側は、週刊文春の記事に登場するA子さん、B子さんの氏名、住所、生年月日、携帯電話番号、LINEアカウント、容姿の分かる写真を求め、これを提出しないと認否ができないと主張したという。これについて喜田村さんは記者団に「弁護士を40何年やってきて、こんなこと初めて」、「名前が分からなきゃ、認否できないなんて、そんなアホなことがあるかいなという感じですね」と語った。
喜田村さんは、文春が報じた松本の言動を「それ自体、特異的なものであり、通常人が日常的に行う動作等とは明確に異なっているから、存在したとすれば記憶に焼き付くはずである」とし、「全く身に覚えがないというのであれば『原告の記憶喚起』の必要はない」とばっさり切って捨てた。
さらに「このような情報が必要であるとすれば、原告が2015年の秋ないし冬にかけて、六本木のホテルにおいて、本件記事で描写されたような言動を複数(3人以上)の女性に行っていたという場合しか考えられない。多数の女性を相手に、本件記事で報じられたような行為を行った記憶があるために、そのうちのどの女性がA子さんなのか、またB子さんなのかわからないから、これがわかるような情報が欲しいと、原告は求めているのである」としたうえで、「『原告は本件記事で描写されたような言動(時期・場所含む)の記憶が複数あるため、準備書面1で求めた情報の提示を求めている』と理解してよいかを原告は明らかにされたい」と要請したという。
たしかに認否にあたっては、記事に書かれたような行為について、身に覚えがなければ女性を特定するまでもなく「そんなこと一切していません」で済むだろう。
しかし、原告(松本)側が「写真を見せられて初めて『うすうす思い出してきた』閣僚もいたので、顔写真や名前などを示してもらうと、うすうす思い出すかもしれません」と主張したりして・・・(笑)