国連安全保障理事会は28日、北朝鮮に対する制裁の履行状況を監視してきた「専門家パネル」の任期を1年延長する決議案を否決した。日米など13カ国が賛成したが、常任理事国で北朝鮮との関係を深めるロシアが拒否権を行使。中国は棄権した。約14年続いたパネルの監視が止まることになり、北朝鮮が核やミサイルの開発などを加速させることが懸念される。(朝日新聞)
3月7日付けで専門家パネルの最終報告が安保理に提出された。パネルが消滅するのでこれが最後の報告となる。615頁にぎっしり書かれた詳細な調査結果の報告だ。
はじめの「要約」では、北朝鮮が国連の制裁逃れや違法な経済活動で大量の資金を得、核・ミサイル開発がいっそう促進され、「朝鮮半島の政治的、軍事的緊張がさらに高まった」と結論づけている。
https://www.un.org/securitycouncil/sanctions/1718/panel_experts/reports
今回の報告で注目されるのはサイバー攻撃で、「パネルは2017~2023年に朝鮮民主主義人民共和国により暗号通貨関連の会社に対してかけられた約30億ドル(約4,500億円)に相当する58回のサイバー攻撃を調査しており、この資金は大量破壊兵器の開発に寄与するとされている。偵察総局所属のハッカー集団による大量のサイバー攻撃は続いてきたとされる」(「要約」)
報告本文では、違法なサイバー攻撃で得た資金が北朝鮮の外貨収入全体の50%にもおよび、核を含む大量破壊兵器の開発資金の40%が違法なサイバー攻撃から得られると推測されることに触れている。
また、北朝鮮ハッカー集団は、NGOや学術機関になりすまし、相手をだます巧妙なメールを作成するにあたって生成AIを使った疑いがあるという。
去年から北朝鮮は、韓国の半導体企業を狙ったサイバー攻撃を集中的に仕掛けている。国家情報院によれば、北朝鮮は兵器製造のため半導体の需要が高まるなか、制裁で外国製の入手が困難になっており、そこで情報を入手して自国での半導体製造を準備しているのではないかと見ている。
北朝鮮の動きを広く深く調査する専門家パネルがなくなることは、監視の目が緩むことを意味する。今回ロシアが拒否権を行使したのは、もちろん、砲弾やミサイルなどウクライナ攻撃のための兵器供給に見られるように、北朝鮮との軍事的な関係を急速に強めているからだ。ロシアのウクライナ侵略は極東の緊張にも影響を与えている。
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前回、横田めぐみさんの「遺骨」について触れ、夫の金英男氏の説明には疑問が残ると記したが、これを裏付けるのは蓮池薫さんのテレビ朝日のインタビューに答えた以下の証言だ。
Q:めぐみさんのものとして提出した遺骨について北朝鮮は「夫の金英男氏が97年から保管していた」と説明していますが…
蓮池薫さん
「97年というと少なくても97、98、99年くらいまでは、我々はその部屋にしょっちゅう行っているのに遺骨がなんでないのって話ですよ、見たこともないし。めぐみさんがもし亡くなったということを知ったら我々に言うわけじゃないですか。それから遺骨の相談もするでしょうし、一切ない。あり得ないんですよ。だから彼の言っていることは、作られた話を言わされている。私はこれは間違いないと思います」
金英男氏は薫さんの同じ職場の同僚で親しく交流していた。この薫さんの証言はリアルである。
さて、福澤真由美さんは日本テレビ報道局社会部拉致問題取材班キャップを務め、20年以上にわたって拉致問題を取材しつづけてきた。通常テレビ局では記者は2年か3年で取材の担当を交替する。そのなかにあって福澤さんのようなスペシャリストはきわめて少なく貴重だ。
福澤さんは朝鮮労働党幹部で日朝交渉を担当する“ミスターX”の後任の“李先生”と知り合い、中国の北京、瀋陽、北朝鮮の平壌で十数回取材し、北朝鮮を6回訪問している。「拉致問題は私の記者人生の原点であり、ライフワークともなっている」と福澤さんは言う。
福澤さんが取材でつかんだ横田めぐみさんの精神状態はとても痛々しい。
1983年、忠龍里(チュンリョンリ)招待所にめぐみさんが転入してきたが、そのときにはすでに情緒不安定で躁鬱状態になっていたという。めぐみさんは19歳くらいだったはずだ。忠龍里招待所については本ブログで何度か記した。
《毎日、指導員に向かって机を叩き、大声で「帰せ!」と言ったりしていた。蓮池夫妻は、めぐみさんの部屋で「拓也・哲也」という双子の弟の名前が書かれた紙を何度も見たことがある。また、めぐみさんが拉致されたときにカバンに入っていたディズニーの「101匹わんちゃん」のイラストが描かれたアルミの弁当箱や、母の早紀江さんから誕生日にもらった赤い爪切りを大事に持っていたという。》(福澤さん)
めぐみさんは田口八重子さんと一緒に3号舎で暮らしたが、《二人が部屋の中でプロパンガス自殺を図ったという話がある。すぐに発見され,二人とも無事だった。》
その後、めぐみさんは韓国から拉致された金英男氏と結婚。蓮池、地村夫妻とともに86年、太陽里(テヤンリ)招待所に移る。
めぐみさんは蓮池祐木子さんとバドミントンをするとき、ワインレッドのジャージを着ていたという。めぐみさんは新潟の寄居中学ではバドミントン部で、部のジャージはワインレッドだった。それをめぐみさんはそのまま着続けていたようだ。
《あるとき、めぐみさんはお気に入りの赤い服を焼却炉に入れて燃やしていた。しかしその2,3日後に(地村)富貴恵さんに「私の赤い服は知らない?」と尋ね、自分で燃やしたことを全然覚えていないようだったという。》
わずか13歳のとき暴力的にあらゆる絆を断たれ、たった一人で異次元の世界に放り出されためぐみさんが心を破壊される過程を想像するに、切なさ、悲しみとともに怒りがこみあげる。
福澤さんのコメントでもっとも衝撃的だったのが、日本人拉致被害者を殺せという金正日の指令だった。
《1987年11月に大韓航空機爆破事件が起き、翌年の88年に金正日氏より「拉致してきた日本人を殺せ」という指令が下された。蓮池さんと地村さんの指導員は、「蓮池も地村も共和国で一生懸命がんばっている。トラブルにならない」と言って組織と交渉して、必死に守ってくれた。蓮池夫妻、地村夫妻の4人は処刑されずに済んだが、他の人がどうなっているかわからないという》
これが事実であるとしても、1994年に義州の隔離病院に送られためぐみさんは「処刑」されなかったことになる。
福澤さんは「非常にセンシティブな話で、確認の術もない」が、あえて今回そのまま公表したという。ただ、蓮池、地村夫妻4人の指導員が必死で命乞いをしたということは、何らかの「処置」が指示された可能性は否定できない。
あらためて思うのは、帰国した拉致被害者の証言はきわめて重要で、もう一度しっかり検証されるべきだということだ。拉致被害者本人への直接取材は、驚くなかれ、今もしてはいけない建前である。
《家族会と救う会は、拉致被害者5人の帰国直前に、マスコミの集団的過熱取材を懸念し、日本新聞協会・日本民間放送連盟・日本雑誌協会に、5人に対する直接取材を取りやめるよう申し入れ、マスコミ側もそれを受け入れた。2002年以来22年間、この直接取材の禁足令はいまだに解かれていない。直接取材の代わりに、5人の拉致被害者に接している家族や支援団体、官邸や拉致対策本部、警察などが私たちの取材対象となった。そのため、支援団体や当局によって一部の報道にバイアスがかかったのも事実である》(福澤さん)
福澤さんは制限をくぐりぬけて、「こっそり」拉致被害者に接触して情報を集めていったという。今回初めて明かされた事実には、今後の対北朝鮮交渉に役立つ情報もたくさん含まれていた。
(つづく)