蓮池薫さんが語る北朝鮮の嘘②

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 北朝鮮の権力中枢が、過去にない戦略の転換を行い、戦争の危機が現実化している・・

 北朝鮮の政策を研究してきたロスアラモス研究所のヘッカー元所長元米国国務省北朝鮮担当カーリン氏が、強い警告を発している。

金正恩が戦争を準備か?」38North

朝鮮半島情勢は(朝鮮戦争勃発直前の)1950年6月初旬以降のどの時期より危険である。ドラマチック過ぎるように聞こえるかもしれないが、金正恩は1950年の彼の祖父(金日成)のように、戦争へと進む戦略的決断をしたと我々は信じている。いつ、どのように金正恩が引き金を引くかはわからない。だが、危機は、米、韓、日で日常的に警戒されている北朝鮮の「挑発」というレベルをはるかに超えている。》

 私はこの見方に概ね同意する。

これは単なる脅しではないと二人は指摘する(NHK国際報道より)

 南朝鮮=韓国を同じ民族の同じ国の一部とみなすのをやめたのはその一環であり、ロシアと急速に近づいているのも戦争を意識した動きと解釈する。かつての朝鮮戦争前夜の中・ソ・北朝鮮連携がよみがえりつつある。

朝鮮中央テレビの天気予報も、韓国(南朝鮮)を別の国と扱いはじめた。これは過去にないこと(20日ウエークアップより)

 2人は、このさい、「戦争など起したら、米国と韓国が北朝鮮の体制を破壊することを金正恩は分かっているから、そんなことはしないはずだ」という陳腐な議論はやめよと危機感をあらわにして訴えている。

 北朝鮮の動きをよりいっそう注視すべし。この問題については、あらためて論じたい。
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 先日のテレ朝の蓮池薫さんインタビューから。

 蓮池薫さんは、拉致問題の現状に強い危機感を抱いて公の場で発言を始めている

北朝鮮が依然として拉致問題は解決済みだと、そういうふうに言っているわけですね。この辺でしっかりと国民に知っていただくと同時に、北朝鮮にとってもですね、こういうごまかしきれないというところを知らせたい。」と。

 いま日本政府が認定する拉致被害者は17名5名が帰国し、安否不明の拉致被害者12人のうち8人は、ほとんどが若くして交通事故や心臓麻痺、ガス中毒などで「死亡」したと北朝鮮は主張しているが、証拠はいまだに提示されていない。また4人については「未入境」として拉致そのものを認めていない。

テレ朝より

テレ朝より

 ただし、このうち田中実さんについては、北朝鮮が日本側に「生存」を伝えている。これを安倍政権が無視したことから今の拉致問題の停滞を招いていることは、なんども本ブログで指摘してきたとおりだ。

takase.hatenablog.jp

 これら拉致被害者に関する北朝鮮側の説明は「嘘」ばかりだと蓮池さんは指摘する。

 1987年に大韓航空機爆破事件を起こした北朝鮮工作員金賢姫元死刑囚に日本語を教えていた田口八重子さんについては―

 北朝鮮は「1984年に原敕晁さんと結婚。2年後に原さんが病死し精神的な慰労のための旅行中、交通事故で死亡した」と説明していたが・・

蓮池薫さん「結婚していないんですよ、断ったんです。うちらとしては料理師だって覚えてるんですよ。料理師さん。だから間違いなく原さんと思われる人ですけど、その方と北はくっつけようとしたんですよ」

 この蓮池さんの証言は、八重子さんから日本人化教育を受けた金賢姫元死刑囚が言っていることに合致する。金賢姫によれば、リウネ先生(八重子さん)が日本から連れて来られたある男性と結婚させられそうになったが、背が低く、好みでなかったので断ったという。原敕晁さんは大阪市内の中華料理店で働いていたときに拉致された。

(結婚)してないのは事実なんですよ。なぜかって言ったら、86年まで田口八重子さんは、金淑姫(工作員)とめぐみさんと84年から、1年半か2年くらい一緒にいたし。ところが彼らの報告によると2年くらい暮らした後に、原さんが亡くなって、それに思いを病んで、田口さんもその後、亡くなったみたいな。嘘もいいところですよ。作り話で」

 鹿児島県から、増元るみ子さんと共に拉致された市川修一さんについて北朝鮮は、1979年7月に増元さんと結婚。そのわずか2カ月後、海水浴中に溺死したと説明していたが・・

蓮池薫さん「結婚した時期、 それから市川さんが亡くなったという時期。その時期がるみ子さんとうちの家内が一緒に暮らしていた時期なんですよ。(結婚)2カ月後の9月に、市川さんは元山に行って溺れ死んだ。それは嘘。うちの家内は『違いますよ』と。『るみ子さんとはずっと一緒にいましたよ』と。どこに行くにも一緒でしたよ。結婚なんかしてませんし

 

 では、なぜ8人は「死亡」とされたのか?

(つづく)