まだ書けぬ己が名腕に記さるをガザの幼は見つめておりぬ 

 朝日川柳より

まだ書けぬ己が名腕に記さるをガザの幼は見つめておりぬ (中津市 瀬口美子)

乳のみごの服を鋏で切りひらきガザの医師団オペをはじめる稲沢市 伊藤京子)

モザイクがかかって見にくい物体が遺体だと知るまでの三秒五所川原市 戸沢大二郎)                                                                          (永田和弘選)

 

 人質交換と休戦が続いているのはいいが、イスラエルによってガザで一カ月で1万人超の民間人が殺されたというおそろしい事態は毎日でも糾弾しつづけなければならない。

犠牲者の集団埋葬(Women for Palestineより)

 その常軌を逸した殺戮のさまは、死者1万人といえば、昨年2月のロシアの侵攻以降のウクライナ市民の犠牲者に相当することを思えば、どんなに酷い事態が起きているかわかる。(ウクライナの民間人犠牲者1万人は確定しただけの人数だが)

NHKニュースより

 「ハマスを攻撃しているだけで民間人は狙っていない」などというイスラエルの言い分は、子どもだけで6000人の死者が出ていることで簡単にくつがえる。

 国際社会では、イスラエルはこれまでにないほどの孤立ぶりだ。アメリカも人権の「二重基準」があまりにも露骨で、過去にないほど威信を失墜している。世界のパワーバランスの変化のはじまりになりそうなほどの事態に想える。

 私が懸念するのは、ウクライナアメリカに「お付き合い」する(せざるをえない)ことで、対ロシア抵抗戦争の大義に国際社会からの理解を得られにくくなることだ

 今月2日、国連総会は、「米国の対キューバ経済・貿易・金融封鎖解除の必要性」に関する決議を賛成票187、反対票2、棄権1の圧倒的多数で採択したが、反対はアメリカとイスラエル、棄権はウクライナだけだった。

 つまりイスラエルアメリカが国際社会からつまはじきにされて、それにウクライナがついていく形。ウクライナにとってアメリカからの軍事支援が頼みの綱だという苦しい事情には同情するし理解するけれど、それにしてもこのイスラエルアメリカとの「一蓮托生」の構図は危うすぎる。

 アメリカ国内ではユダヤ人もまた声をあげている。1996年設立の「平和を求めるユダヤ人の声」という団体は、70組織、4万人の会員を擁し「パレスチナ人へのジェノサイドをやめよ」と運動を強めている。

 国内外で信用を失い、国内の分裂が深刻化するアメリカ政府にあくまでも寄り添おうとする日本もまた非常に危うい。

 寺島実郎の以下の指摘はもっともである。

 21世紀に入って22年が過ぎ、現在の日本に如何なる国家構想があるかを自問する時、「自由で開かれたインド太平洋」を語り、「中国の脅威を封じ込める日米同盟強化」という枠組みでしか対外構想を描くことのできない日本に気付く。国家構想に関する真剣な議論さえ存在しない現実に驚く。不思議なまでの国家構想の空白と硬直、ここに現代日本の悲劇があると言えよう。何故、こうなったのか。間違いなくそれは、この30年の日本経済の埋没とも相関している。そして、それは冷戦後のパラダイムたる、「グローバリズム」と「新自由主義」の潮流に吞み込まれ、主体的な思考を見失ったことによるものと言わざるをえない。

 冷戦終焉後の1990年代から21世紀初頭にかけて、多くの日本人は戦後日本経済の成功体験の余韻に浸り、「これからはグローバル化の潮流に乗って、グローバル・スタンダードに準拠して生きる」といった方向感を共有し、真剣に日本国としての構想を模索することをしなかった。その空白の反動で、「安倍政治」に象徴される偏狭なナショナリズムと日本回帰主義を呼び起こすことになったともいえる。(『世界』12月号P58)