日本の仏教界はなぜ戦争に協力したのか

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑にお参りに行ってきた。

 毎年一度は行くのだが、今年はきょう9月18日の柳条湖事件の日にした。1931年(昭和6年)のこの日、満洲奉天(現・瀋陽市)近郊の柳条湖で、関東軍が満鉄(南満洲鉄道)の線路を爆破し、中国軍による犯行だとして満州事変につながっていく。

 いつもは閑散としているのだが、きょうは浄土宗本願寺派西本願寺)による「全戦没者追悼法要」がとり行われており、貸し切り状態だった。この宗派では、1981年からここで法要を行っていて43回目になるという。

戦没者追悼法要が行われた千鳥ヶ淵戦没者墓苑。気温33度(筆者撮影)

ここは約37万柱の引き取り手のない遺骨が納められた国立の無宗教墓苑。いわば日本の無名戦士の墓である(筆者撮影)

 私が毎年千鳥ヶ淵に慰霊に行くのは、ここに私にご縁がある600柱を超えるご遺骨が納められているからだ。40年近く前、フィリピンの日米の激戦地コレヒドール島で、おそらく太平洋戦争で唯一の大規模な日本兵の集団墓地を「発見」した。それは私にとって初めての大きなスクープで、日本の戦争、人の生き死になどについて考えさせられた。そんなことがあって、年に一度、ここを訪れることが私にとっての一つの「区切り」、「けじめ」になっている。

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 私自身はこの宗派に属しているわけではないが、この法要はいろんな点で興味深かった。

 はじめに「宗門関係学校生徒作文朗読・表彰式」があり、最優秀賞に選ばれた中学生と高校生各1名が、戦争と平和についての作文を読み上げ、平和の鐘をついた。おごそかな鐘の音がうだるような大気を震わせた。同時刻に全国の宗門の寺がいっせいに鐘を鳴らしたそうだ。

 次は法話で、これがとてもユニークだった。地球の歴史46億年から説き起こし、38億年前の生命誕生、700万年前の人類誕生、ヒトがアフリカから広まるグレートジャーニーをひもときながら、最後は阿弥陀如来の慈悲に着地した。私がやっているコスモロジー・セラピーに重なる内容だった。これについては、いずれ紹介したい。

 感心したのは、戦争協力への強い反省の念を打ち出していたこと。

 「追悼法要の願い」という声明文にはこうある。

《1995年4月15日に本願寺で厳修された「終戦50周年全戦没者総追悼法要」に際してのご親教でご門主は、「宗祖の教えに背き、仏法の名において戦争に積極的に協力していった過去の事実を、仏祖の御前に慚愧せずにはおれません」と、宗門の戦争にかかる責任を明らかにされ、平和を求める念仏者としての決意を表明されました。

 また、2004年5月24日には、総局が、「戦後問題」に関する「宗令」「宗告」を発布し、宗門をして改めて「宗門における『戦後問題』への対応に関する総局見解」を示しました。その中で「戦時下における宗門は、政治の全体主義化、軍国主義化とともに厳しい法の統制をうけながら、国策としての戦争や国体護持に協力してきました」とし、「このうえは、『世の中安穏なれ』『仏法ひろまれ』との宗祖の遺訓を体し、過去の戦争への反省に立って、戦争のない平和な世界を築いていくため、世界中の人びととの交流と対話をとおして、非戦・平和への取り組みをさらに進めていく所存であります」との決意を表明しました。

 そうした立場から、国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で追悼法要を修行することは、日本の侵略戦争に協力した私たちの宗門の過ちを反省し、慚愧の思いをもって、戦争のない世界を築くという願いのもと、平和への誓いを新たにすることに他なりません。》

 明確に「侵略戦争」と言い切り、戦争責任を負うと明言している。いまや「侵略」を「進出」などと言い換えるこの時代にあって、立派である。

 それにしても当時、言論統制や世論が戦争への大きな流れを作っていたとはいえ、仏教者にあって「宗祖の教えに背き、仏法の名において」侵略戦争に協力していったのはなぜか。

 そこには仏教の根本理念のねじ曲げがあった。

 例えば、「無我」を「滅私奉公」と同じものと説き、お国のために、天皇陛下のために死ねと若者を戦地に送り出したのだった。

 なお、日本の宗教界の戦争協力と反省については以下を参照されたい。まだ反省していない宗派も多い。
https://www.circam.jp/reports/02/detail/id=5631

(つづく)