いま脚光を浴びるリトアニア

 きょうは猛暑のなか、背丈より高く茂った雑草を抜きながらジャガイモを収穫するという重労働をやって日射病寸前になった。この辺は32度くらいになっていたはずだ。いつになったら秋の涼しさがやってくるのか。

シロザという雑草でジャングルのようになったイモ畑。大きなものは2人がかり、3人がかりで引き抜く。まるで「大きなカブ」みたいに

 畑から早々に撤退して、昼食時にたまたまテレ朝の「ワイド!スクランブル」をつけていたら、バルト三国の一つ、リトアニア共和国の駐日大使、オーレリウス・ジーカス氏が生出演して「リトアニア特集」をやっていた

ワイド!スクランブル」より

 リトアニアといえば、日本とのかかわりでは、第二次大戦中にカウナス総領事だった杉原千畝ちうね)がナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人に「命のビザ」を発給したことで知られるくらいで、あまりなじみがない。

 私は40年前にバルト三国を訪れ、それが初めての海外取材だったので、とても印象に残っている。当時はソ連の一部だったが、ロシアに対する嫌悪感、拒否感の強さに驚いた覚えがある
 日本人はバルト三国のことを知っていますか、と聞かれ、日露戦争バルチック艦隊と戦ったことは知られています」と答えると、一気に座がしらけた。あれはロシアがやったことで、私たちとは何の関係もありませんと、がっかりした顔で言われ、恥ずかしい思いをした。

 リトアニアは1940年、スターリンヒトラーの秘密協定でソ連領にされた。圧制に苦しんだ末、1990年3月、ソ連連邦構成共和国の中でいち早く独立を宣言する。これを認めないゴルバチョフが軍隊を投入したが、市民は体を張って抵抗、多くの死傷者を出しながらも独立を守り抜いた。

 その独立運動の過程を描いたのが映画『ミスター・ランズベルギス』で、これを観て、すっかりリトアニアびいきになった。

takase.hatenablog.jp

 リトアニアは、人口300万人弱、面積は北海道より少し小さい、小国であるウルグアイホセ・ムヒカ元大統領といい。小国にはときにすごい人物がリーダーに現れる。リトアニアの場合、大国ロシアとのせめぎ合いのなかで、いかに独立を守っていくか、懸命に知恵を絞って国を運営している。その明確な国家目的にかなった人材が輩出されるのだろう。

 ジーカス大使は、スタジオでの受け答えがとても気さくでオープンな「いいやつ」だった。世界で一番難しい言語と聞き、日本語に挑戦したといい、金沢大学と早稲田大学に留学経験がある。スタジオのどんな質問にも実に流暢な日本語で即答していた。

 リトアニアのここ数年の政策は、ロシアの動向に鋭敏にそして大胆に対応している。2014年にロシアがクリミアを併合すると、翌15年、徴兵制を復活し、男子に9カ月の兵役義務を課した。軍事費はクリミア併合前のGNP比1%から去年は2.52%に急増させている。またガスと石油のロシアへの依存率がほぼ100%だったのを、現在はなんとゼロにしている。このエネルギー供給元の変更には大変な痛みが伴ったと想像するが、ロシア以外から輸入するためのLNG基地を早くから建設するなど、しっかりした準備があったから可能になった。政策の善し悪しの評価は人によって異なるだろうが、戦略性をもった臨機応変のかじ取りには感心させられる。

 リトアニアは、ウクライナ支援を基も熱心に行っている国の一つで、その理由を聞かれたジーカス大使、「もしウクライナが負けたら、プーチンは次のところを侵略します。だからウクライナを勝たせるしか道はないのです」と答えた。ベラルーシとロシアの飛び地、カリーニングラードに国境を接し、ロシアに対する警戒感がウクライナへの強い連帯につながっている。

 おやっと思ったのが、「リトアニアウクライナと500年間いっしょの国でしたから」理解し合える仲間だと言ったとき。500年間いっしょの国だったって?

 調べると、リトアニア大公国というバルト海から黒海まで達する巨大な国家が13世紀から1795年まであった。たしかに「500年間いっしょ」だった!

1387年頃のリトアニア大公国の領土(Wikipediaより)

 そして夕方、これもたまたまTBSの「Nスタ」をつけていたら、またジーカス大使が出ていた。大使館の中で、民族衣装を着た2人の可愛い娘さんと登場。その後は、襟元にピンマイクを付けられて、大好きな回転寿司を楽しむという企画。

 ウクライナ侵攻で急にスポットライトが当てられた格好のリトアニアだが、この機会にちゃんと歴史や文化を勉強しよう。