ジャニーズ事務所のタレントを起用した広告を取りやめる企業が相次いでいる。
「タレント自身に非があるとは考えていない」(メニコン)として直ちに契約解除はいないところもあるが、「納得いく説明があるまで新たな契約を結ばない」(サントリーHD)という対応が多数派になっているようだ。
7日の記者会見で同事務所の新経営陣は今の社名を続けると語ったが、事態の深刻さを認識していないと批判されている。ジャニーズ(Johnny’s)とは「ジャニーの(’s)」事務所という意味。ジャニー氏が歴史に残る大犯罪者と内外で認定されたいま、この名前を残すことはありえないだろう。
サントリーHDの社長で、経済同友会の新浪剛史代表幹事は、同事務所の対応があまりに不十分であると指摘した上で、所属タレントの起用を続けることは「児童虐待を起業として認めることだ」と語る。
同事務所所属のタレントを起用する場合は、個人とではなく事務所との契約関係にはいることになるので、「人権デューデリジェンス(Due Diligence)」の観点からは当然の対応になる。
同事務所は13日、今後1年間、広告や番組などに所属タレントが出演した際の出演料を全て本人に支払い、芸能プロダクションとしての報酬を受け取らないと表明した。
https://www.johnny-associates.co.jp/news/info-714/
タレントや企業をつなぎとめ、批判をかわそうとする狙いだろうが、同事務所の改革や犠牲者への補償がどう具体的に進むかを注視しなければならない。
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関東大震災における朝鮮人にかんする流言、風説ははじめ横浜から起こった。
これについては後に横浜地方裁判所検事局で徹底した追跡調査が行われ、朝鮮人による放火、強盗、殺人、投毒などの風説は全く根拠のないものだと判明している。ただ、流言のもとになった「タネ」のような事件があった。それは日本人による悪質な犯罪行為だった。
大地震直後、横浜市で大規模で組織だった強盗事件が起きていた。その代表的なものが、右翼の立憲労働党総理を名乗る山口正憲を主謀者とする集団強盗事件だ。
山口は家が倒壊し、近くの小学校に避難した。避難民たちは絶えず襲ってくる余震と随所に起こる火災に平静さを失っていた。救援物資は届かず、飢えと渇きに対する激しい不安を抱いていた。
山口は避難民を扇動して物資を調達しようと、「横浜震災救護団」という団体を結成、巧みな弁舌に多数のものが入団を申し出た。物資の調達は「掠奪」を意味した。いくつかの決死隊が編成され、山口は彼らの左腕に赤い布を巻き付けさせ、赤い布を竿にしばりつけさせ、物資の掠奪を指示した。
彼らは、日本刀、竹槍、鉄棒、銃器などを手に、横浜市内の類焼を免れた商店や外人宅などを襲い、凶器をかざして食糧、酒類、金銭等をおどしとって歩いた。その強奪行動は、9月1日午後4時ごろから4日午後2時ごろまで17回にわたって繰り返された。
この山口を主謀者とする強盗団の横行は、他の不良分子に影響を与え、横浜市内外は地震と大火に致命的な打撃を受けると同時に強盗団の横行する地にもなった。赤い腕章をつけ、赤旗をかざした男たちの集団が人家を襲い、凶器で庶民を威嚇するのを見た市民たちは恐怖におののいた。
不穏な空気のなか、「朝鮮人放火す」という風説が本牧町を発生源に流れてきた。だれの口からともなく、焼け跡に跋扈する強盗団が朝鮮人ではないかとの憶測が生まれた。日本人と朝鮮人は顔や体つきでは区別できない。強盗団の行為はすべて朝鮮人によるものとして理解され、朝鮮人の強盗、強姦、殺人、投毒などの流言として膨れ上がった。
「横浜地方裁判所検事局は、後になって朝鮮人に関する流言の発生が山口正憲一派をはじめとした強盗団の横行と密接な関係のあることをつきとめたが、さらに山口らが朝鮮人と称して掠奪をおこなったのではないかという疑いもいだいた。そして、検挙した山口をはじめ強盗を働いた者たちを個別に鋭く訊問したが、かれらの供述は一致していて、そのようなことを口にした事実は全くなかったことが判明した。つまり朝鮮人に関する流言は、山口らが作り上げたものではなかったが、かれらの犯行が庶民によって朝鮮人のものとして解釈されたのである。
流言はたちまち膨張し、巨大な怪物に成長した。そして、横浜市内から人の口を媒介にすさまじい勢いで疾駆しはじめた。
関東大震災で最も被害の甚だしかった横浜市の市民は、東京方面に群をなして避難していた。そのためかれらの口から朝鮮人に関する流言が、東京に素早くひろがっていったのである。」(吉村昭『関東大震災』P166~169)
大地震発生直後、各町村では、消防団、在郷軍人会、青年団等が火災防止、盗難防止をはじめ被災民の救援事業につとめた。被害を免れた地域では、炊き出しを行い、救護所を設けて避難してくる人々を温かく迎え入れた。ところが朝鮮人に関する流言が広まると、様相は一変した。
これらの団体は自衛のため、凶器を手に武装し、自警団として次々に組織された。自警団の数は東京で1,145にのぼったという。
武装した彼らは、昼夜交代で検問所を設け、隊を組んで町内を巡回した。凶器をもった暴徒集団と化した彼らは、手当たり次第に通行人を訊問した。国家を歌わせたり、映画「福田村事件」にあったように、歴代天皇の名前を言わせたり、濁音の入った言葉を発音させたり(朝鮮人は濁音の発声が苦手だから)した。朝鮮人を発見すると暴力を加え縛り上げ、ついには殺害までした。
日本人も被害者になった。凶器をもった男たちに囲まれ、動転してうまく答えられなかったり、言葉を間違えたり、地方出身者でなまりがあったりすると自警団の疑惑をまねき、日本人でありながら殺害される事件が続発した。
罪を朝鮮人になすりつけるケースさえあった。
「9月11日、渋谷区下渋谷に住む平野という男から渋谷署に通報があった。かれの雇人である高橋という男が、凶器を手にした朝鮮人に襲われ殺害されたという。
警察では、ただちに署員を平野宅に急がせた。
たしかに家の中では、高橋某が鋭利な刃物で刺され死亡していた。
署員は、平野から事情を聴取したが、その言葉に曖昧な点が多く追及した結果、高橋を殺害したのは平野であることがあきらかになった。
平野は、雇人の高橋がかなりの額の金銭を所持していたので、その金銭を奪うために殺害した。そして、流言を利用して犯行をくらますため朝鮮人に殺されたと警察に訴えたのである。」(吉村前掲書P184)
日本人が殺された事件の一つが「福田村事件」だった。ただ、この事件には他とは異なる特殊な事情があった。犠牲者が「部落民」だったのである。
(つづく)