節季は一昨日までが「立秋」できのうから「処暑(しょしょ)」に入る。
初候「綿柎開(わたのはなしべ、ひらく)」が27日まで。綿の実がはじけて綿毛が顔を出すころ。次候「天地始粛(てんち、はじめてさむし)」が9月2日まで。朝夕はようやく少しづつ涼しくなる。3日から末候「禾乃登(こくのもの、すなわちみのる)」で、稲穂が黄金色になってくるころだ。
未曽有の暑さつづきで、72候の気候の言葉がウソのようだ。世界的にも記録破りの暑さらしく、7月の世界平均気温は観測史上最高だという。各地で大規模な山火事が起きていて、ハワイの事態は私の想像を超える。国連のグテーレス事務局長がいまや地球温暖化ではなく地球沸騰化=global boilingだと危機感をあらわにした。
とはいえ、暗がりで虫が鳴きはじめたのを聞くと、猛暑のなかにも秋の気配が忍び寄っているのが分かる。
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「終戦の日」によせて③
思想家の内田樹氏は、日本人の「平和ぼけ」の起源を、「空襲」を「空爆」と言い始めたときだと指摘する。
たしかに太平洋戦争では「東京大空襲」だが、イラク戦争では「イラク空爆」と言い表す。「イラク空爆」は米軍側から、つまり攻撃側の視点からの言い回しだ。
空から襲われるのは軍事施設だけではなく多くの民間施設、民間人も含まれる。戦争の犠牲者が誰かが読み取れるのが「空襲」だ。しかし「空爆」は、敵にどれだけダメージを与えることができたかが重要で、住民の悲惨は見えにくい。日本人が「空爆」しか使わなくなったのは、戦争の悲惨が自分事になることを想像できなくなっているからだろう。内田氏、とてもいいところを突いている。
そう考えると、「原爆投下」は完全にアメリカの視点に立った表現だ。また、ウクライナからのニュースも「ロシア軍の『空襲』」という方がそこで傷つく人々の視点からは適した言葉なのではないか。
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日本は科学や文化の面で大丈夫かと心配になるニュースがつづく。
先日は、日本の科学研究がどんどん落ち目になっているというニュースがあった。自然科学分野で研究内容が注目されて多く引用される論文の数で、日本は世界第13位(2019年~21年の3年平均)で過去最低となった。20年前は世界4位だったが、年々順位を下げている。1位中国、2位米国、日本が科学研究で後れを取るとはかつては考えられなかったが・・・。
若手研究者が育つ環境がないと、ノーベル賞受賞経験者が何度も憂慮を示し、政府にも訴えたが改善されないままだ。日本の大学の理系論文数は、政府による研究予算の抑制や競争原理拡大と軌を一にして2000年ごろから伸びが止まり、20年近く頭打ちの状態になっているとの指摘がある。
ついで、国立科学博物館が財政難でクラウドファンディングに頼るというニュース。初日に1億円達成し、現在6億円まできているというが、これは決して喜ばしい話ではない。「国立」なのだから、ちゃんと支えるのは政府の責任だろう。
クラファンを始めた理由は、光熱費高騰やコロナによる入場料収入の減少などで研究費事業費を削減せざるを得なくなり、場所がないため大事な史料を廊下に置いたり、人員不足で史料が整理できないような危機的な状況に陥っていること。主要6カ国の文化歳出費を見ると、フランスの5928億円、韓国の4351億円に比して日本1098億円と大きな差があり、国家予算に占める割合は、韓国1.21%、フランス0.81%に対して日本は0.1%と雀の涙。日本をどういう国にしたいのかという政府の構想力が問われる。
科学、文化の劣化は何とか食い止めたい。しかし、最も劣化しているのは政治ではないか。
「エッフェル塔観光写真」事件やら森まさこ首相補佐官「ブライダル補助金」問題は問題外として、秋本真利・外務政務官の「日本風力開発」からの収賄疑惑にみられる底深い大企業とのずぶずぶの癒着による金まみれ政治は全然改まっていない。
国の根幹が揺らいでいる今日、政治家は本来、日本の将来像、どういう日本にするのかを必死で構想すべきときのはずだ。
政治家に政治やらせるおそろしさ (千葉県 田中文雄)0817朝日川柳
先の内田樹氏の次の指摘は、まさに今の政治家にあてはまる。政治家よ、心して聞け。
「今の日本の政治家が語る言葉は、非常に幼児化しています。シンプルな論理でシンプルなソリューション(解答・解決)を出すような語り口ばかり目立ちます。老練な政治家ならば、こういう事態になったらこう、こうなったらこうと、プランAからプランFくらいまでいくつかの事態を想定した対応策を用意して、変化に即応してゆくでしょう。
でも、今の政治家たちはプランAだけを示して、かつ、それに固執する。もちろんプランAが正解である場合もあるでしょう。でも、そうでない場合もある。たいていの場合はそうではない。それはプランが間違っているからではなく、私たちは未来に何が起きるかを完全には予測できないからです。「正解はこれです。これしかありません」と政策にしがみつく政治家は必ず自説にとって都合の悪い変化を過小評価するようになる。みずから進んで現実に目を閉じるというのは愚かなことです。」(広岩近広編『わたしの平和と戦争』集英社P212-213)