横田めぐみさん写真展での奇怪な出来事5

 はじめにお知らせです。

 私の尊敬する知り合いを描いた番組が放送されます。20日(日)のEテレ「こころの時代」。早朝5時です。「『はだしのゲン』と父 翻訳者・坂東弘美」

 坂東弘美さんはチェルノブイリ事故被災者の救援でも活動していて、私は30年近く前にウクライナに同行取材し、ニュース23で放送しました。私にとって最も印象深い取材の一つです。そのエピソードもチラッと流れるそうです。

www.nhk.jp

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 『アサ芸プラス』に横田早紀江さんに汚いヤジを飛ばしたのは「岸田内閣のブレーン」という「拉致被害者家族の絶望」」という記事が載りました。

asagei.com

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 終戦の日」によせて①

 8月15日は終戦ではなかった玉音放送ポツダム宣言受諾を表明した日に過ぎず、国際法上の終戦は9月2日の戦艦ミズーリ号上での調印式からだから、8月15日以降の外地では戦闘が続いていた。

 8月16日に武装解除の大命が下り、満州関東軍は素直に従ったことから、ソ連軍による居留民への強姦略奪やシベリア抑留、残留孤児の悲劇が生まれた。一方、この悲惨を見事に防いだ軍人がいた。内蒙古方面軍司令官の根本博中将である

根本博中将(Wikipediaより)

 根本は早くからソ連軍の侵攻を予期し、準備していた。法的に終戦となっていない段階で丸腰になると、ソ連軍から無辜の居留民と将兵を守れず、たとえ法的に終戦であってもソ連軍相手に国際法人道主義は通用しないと認識していたため、武装解除の大命に従わず、軍略を駆使して、装備に劣る現地召集の老兵ばかりの守備隊で70人の戦死者を出しながら10倍以上のソ連軍機械化部隊を足止めにした。作戦目的を「居留民を逃がすまで戦う」と明快にしたため、守備隊は「お国のため」ではなく「家族を逃がすため」に奮戦した。結果、退避に十分な時間稼ぎをして4万人の邦人を無事に帰国させた。

小松茂朗『四万人の邦人を救った将軍 軍司令官根本博の深謀』(光人社NF文庫)

 さらに国民党軍の蒋介石と交渉し、帰国船が出航するまでは武装解除しないこと、その後に武器弾薬・食料を国民党軍に引き渡す約束を取りまとめた。そのため、北京から列車にのり、大連から帰国船に乗った在留邦人たちは、三度の食事が与えられた「大名旅行」だったと証言している。将兵を含めたら40万人を早期帰国させた。情勢を見る目、軍事的采配、対外交渉に優れた軍政家だったようだ。

 根本中将の独断専行は、抗命罪に問われる極刑の対象になるが「たとえわが身は刑場の露となろうが、陛下の臣民を無事に帰国させるため」となれば、咎める人はいまい。

 満州での惨劇はもとより、沖縄戦では、民間人を盾にしたり、足手まといだとして自決を強要するなどいたずらに犠牲を増やす作戦指揮がなされたなかで、根本中将のような見事な「負けっぷり」は評価されていいだろう。

 今後の日本の安全保障、国防のあり方、さらには拉致問題の進め方においても示唆を与えるのではないか。(山田修氏のFBを参考にした)

https://www.facebook.com/osamu.yamada.7186

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 さて、8月2日の話の続き。

 横田早紀江さんは、私の問いかけには答えなかった。この理由についてはいずれ明らかにしよう。

 めぐみさんが、田中実さん、金田龍光さんのように「生きてる」という情報が来たときに、でも他の人の新しい情報がないからとして政府に無視されたらどう思いますか、という私の問いには答えず、早紀江さんはこんな話をした。記者会見など、他の機会ではあまり聞いたことがない内容だったので、気になっている。

「(前略)ほんとに人間と言うのは悪いものだと思います。どこかでそういう悪い心の芽が発達していって、それが悲しみとかむごさとか、平和な人たちをかき乱した苦しみの人生におとしていく、それが大きくなったのが戦争ですよね。今もそれが始まってます。あっちこっちで、悪がものすごく増長して、大変なことになったなあと、いまほんとうにどうなっていくんだろうといつも思っていますが・・・

 警察の方もですし、めぐみの行っていた学校の先生も、もっともっと熱心に、めぐみがいなくなったあと、会合にも出たりして、出席して、たずねてくださったりして、という方が不思議にいないですね。めぐみの学校に限っては。それを私はいつも気になって・・(略)

 「拉致をされて気の毒だったねえ」、「私の娘だったらやりきれないよねえ」っていうような簡単な問題ではなくって、いつ、どこで、誰が、どんな目に遭って、国全体が変わってしまうようなことになるかもしれない。あれほど大きな、根っこを抱えた問題がいま日本に、40年たっても、すっきりしないままで、こうやってまだあるっていう、このことを非常に危惧しております。

 一刻も早く、助けてあげたい、会うことさえできない、顔さえ見られない。一生懸命育てた13歳までのあの時の時間を、あれでもう終わりですかと、いつも私は祈りながら、神様に聞いております。何とかして世界が本当に平和になるためには、やっぱり悪を断ち切らないといけない。見えない悪は非常にたくみに悪をまき散らしていきますから、ほんとに心から一人一人が、我がことのように、放っておいたらまた我が子にこういうことが起きるかもしれないとそれぐらいの思いで、みんなが日本の親として、一緒になって戦っていただきたいと心からお願いいたします。」

横田早紀江さんと(8月2日髙島屋)

 ここまで繰り返して「悪」に言及するのは、いつまでたっても先が見えない拉致問題の状況があってのことなのだろうと、痛ましい思いで聞いていた。

 拉致問題が行き詰まっている日本側の問題だが、「拉致被害者の全員の早期帰国」、「拉致問題の完全な解決」を被害者家族がスローガンに掲げることは当然だ。
 しかし、「全員即時一括」で外交の足をしばって、それ以外の北朝鮮側の反応をすべて蹴ってしまうのでは、交渉自体が成り立たない。

 おさらいすると、2014年にスウェーデンストックホルムで行われた日朝高官協議で、北朝鮮拉致問題に関して特別調査委員会を設置し、拉致被害者を含む北朝鮮国内の日本人行方不明者の全面的な調査を行い、これに対して日本側は独自制裁の一部を解除する「ストックホルム合意」を発表した。

 その後、北朝鮮は再調査を行ったとして報告書を手渡そうとする。そこで田中実さんと金田龍光さんの2人が北朝鮮で生存し結婚しているとの情報が提供されたが、「それ以外に新しい内容がなかったので報告書は受け取らなかった」(斎木昭隆・元外務事務次官)と受け取りを拒否した。日本側が求める内容の回答でなければ相手にしないと宣言したも同じである。

 しかし、そもそも北朝鮮が出してくる報告書の内容が、はじめから100%日本側を満足させるものであるわけがない。そんなことははじめから分かっている。けれども、そこをとっかかりにして一人、また一人と交渉で成果を積み上げていくしかないのだ。その過程では、煮え湯を飲まされるような妥協も迫られるかもしれないが、あの全体主義体制が続く以上は、一発でスッキリ解決するという夢想は捨てなければならない。

 報告書の受け取りを拒否したことは、一見「毅然」とした姿勢を装うことができ、一部の事情を知らない国民の喝采を受けるかもしれない。へたに動いて中途半端な妥協をしたと罵倒されるリスクをとるより、行き詰っているのは北朝鮮のせいだと言い続けたほうが政府への支持が減らずにすむ。なにより、苦しい外交交渉をパスできる。ラクして責められないのだから、こんなに良いことはない。

 結果は、2002年の小泉訪朝以来、21年ものあいだ、拉致問題は1ミリも動いていないと言っていい。

 

 5月27日、岸田文雄首相は「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」でこう述べた
「私自身、わが国自身が主体的に動き、トップ同士の関係を構築していくことが極めて重要であると考える」
「私自身、条件をつけずにいつでも金正恩委員長と直接向き合う決意であり、行動していく。早期の首脳会談実現に向けて、自分が直轄して、ハイレベルでの協議を行っていきたい」

 しかし、「首脳会談」といっても、会えばいいという話ではない。一定の「合意」が成果として見込めなければ会談自体実現できない。岸田首相は具体策をもっているのか。
(つづく)