中村哲が見た「飽食の国」日本2

 山田洋次監督(91)の新作映画「こんにちは、母さん」の先行上映会が23日、山田監督の父の出身地である福岡県柳川市の市民文化会館であったとのニュース。91歳にして新たな映画を作ったのはすごい。

山田洋次監督(NHK

 山田監督の生き方はどこか中村哲医師のそれに通じるものがあるように感じる。

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 岸田内閣の支持率が急降下している。

 毎日新聞」の22、23日の調査では支持率28%で、6月の前回調査(33%)から5ポイント下落。2月調査(26%)以来となる20%台へと落ち込んだ。不支持率は65%。

 「読売新聞」の調査では支持率35%で、これは過去最低。支持率が52%で最高。

読売新聞より

 相次ぐマイナンバーのトラブルや保険証廃止などの理不尽な方針が響いたと報じられている。

朝日新聞28日朝刊


 「朝日新聞」朝刊一面に岸田首相が「保険証廃止延期を示唆」との大見出し。支持率急降下にショックを受けたのか。これが国民の声に耳を傾けるってこと?
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 前回のつづき。中村哲医師の「飢餓の国vs飽食の国」後半。

 

 かつて日本人の大半が農村にルーツを持っていた。職を辞して「邦(くに)に帰る」とは、援農で暮らしを立てることであって、無職になることではなかった。行き詰まったとき、いつでも温かく迎えるのが故郷であった。既婚女性の場合は穏やかではないが、「里に帰る」とは、独り身になることではなく、婚姻前の家族に戻ることであった。故郷に戻りさえすれば最低限の食べ物には困らず、変わらぬ人間関係が温かく迎え、貧乏でも飢え死にしないという安心感があった。アフガニスタンではないが、生きていく上でカネが余りかからなかったのである。現在のような都市化は農村の衰退と表裏にあり、日本人のふるさと喪失と一体である。

 しかし、サービス業だけで社会は成り立たないから、誰かが農業や漁業を営まなければならない。労働力が足りなくはないが、知識を崇拝する都市社会では身体を使う仕事が低く見られる。高学歴の者の仕事ではないような言い方をする向きもある。3K(汚い、きつい、危険)と言い、できるだけ手を汚さず、安全な仕事が良しとされる風潮も根強い。世の中の流れはそうなっている。さらに、交通手段が発達し、お金や物の移動が速やかになった現在、「必要なら外国から買えばいい」という意見が一般的だ。第一、「経済成長」が現金収入の多寡で量られ、それを増やすのが善だと指導されるから、抗いようがない。

 農民を支配した昔の武士や貴族でさえ、こんな考えは持たなかった。豊作の祈願は重要な神事であり、武士の大半は農業をも生業とした。亡国などと大袈裟なことを言いたくないが、ご先祖さまが営々と築いてきた遺産をないがしろにするのは、大切なものを失うようで、何だか合点が行かない。

 かつて「晴耕雨読」とは知識人の理想の生活だった。耕すとは、自然相手の農の営みで、知識に実を伴わせる知恵があったと思われる。人が自然の一部である限り、不自然な都市化は長続きしない。やがて人々がスピードや競争、派手な自己宣伝や奇抜さに疲れ、その空虚さに気づくとき、静かな郷愁を伴って本来の自然との関係が姿を現すような気がしてならない。

 

 私たちが、足をしっかり地面につけずに、ふらふらと危うく漂っていることに気づかされる。結果、人情はすたれ、カネがすべての世の中になってしまった。ここからどうやったらまともな道に戻れるのか。

 さらに学んでいきたい。