中村哲が見た「飽食の国」日本

 去年、1年間に自殺した人の数は全国であわせて2万1881人となり前年から874人増えた。うち女性は7135人で3年連続で増加し、自殺した小中学生や高校生は。小学生が17人、中学生が143人、高校生が354人で、あわせて514人となりました。前の年から41人増え、これまでで最も多くなったという。

 ほんとうに痛ましい。
 根本的にはコスモロジ―(人生観・世界観・宇宙観)が問題だと本ブログで繰り返し書いてきたが、現在のそれは世の中の「空気」に現われている。

 中村哲医師は、今の日本の精神状況を衝く文章を数多く残している。日本は彼の目にどう見えたのか。

 中村哲医師が凶弾に斃れたのが2019年12月4日。その年の4月1日発行の『ペシャワール会報』(No.139)に中村さんの「飢餓の国vs飽食の国」という原稿が載っている。

 飽食の日本が精神的飢餓に陥っているとの厳しい指摘がずばりと本質をえぐっている。閉塞感の深まる中、羅針盤なくただよう国にすむ私たちが、現状を変えるためにも心して読みたいと思った。中村さんは真の愛国者だった。愛するが故の「日本人よ、お前たちの足元が危ういんじゃないか」との直言と受け止めたい。2回に分けて紹介する。

中村哲医師(2012年取材時)


 なお、冒頭の言葉は、会報に「水のよもやま話」を連載していたこともあり、また灌漑などのテーマで話をすることが多かったことなどを指す。

 最近、「水や川の話ばかりで、他に話題はないのか」との声が身の周りでもあった。さもあろう、浦島太郎なのだ。日本にいない時間が多く、共通の話題が少なくなっている。現地でも水や川のこと以外は余り考えない。干ばつの危機、治安の悪化―現地の緊迫した動きは戦場にも等しく、ついゆとりがなくなる。

 だが、日本の世情を思えば無理もない。水道の蛇口をひねれば水が出て来るし、コンビニに行けば懐具合に応じて好きな食べ物が手に入る。テレビの番組は四六時中、美食の作り方や、評判の店や料理を紹介する。味見をして「うーん、おいしい!」と叫ぶ場面が頻繁に登場する。悪いことではないが、飢餓の世界から突然戻ってくる者は、違和感を覚える。しかし、それを日本で言うと座がしらけるから、調子を合わせて仲間外れになるまいとする。すると芝居じみた会話が空疎になり、自分の言葉が失われていくのだ。

 これに情報の洪水が重なり、ペットの死も人間さまの餓死も同列に聞こえる。何とか理解を得ようと説明を試みて、よく通じないことも多い。極端な場合、「日本でも栄養失調の子が問題になっているのに、アフガニスタンどころか」と言う者もある。干ばつと飢餓の関係が分からない者もある。つい怒り心頭、日本の豊かさや便利さを呪う発言が飛び出し、孤立していく。性格が悪ければ犯罪者かテロリストのコースだ。これも良くない。自分だって江戸時代の惨状を読んでも、芯から分かっているとは思えない。

 かつては飢餓を体験した世代が社会の中堅にいた。今ならおおよそ80代から上の方々で、男は兵隊に取られ、女は勤労奉仕に駆り出された。戦中戦後は食糧欠乏に悩み、財産を食糧に換え、農村にあっては汗して食糧増産に励みながら、生き延びてきた世代だ。彼らが社会の中堅であった時代、飢餓の問題は多くを語ることなく同情と支援の手が差し伸べられた。空腹を抱えることの苦痛を身に染みて知っているからである。「敗戦直後のことを思えば・・・」と言いさえすればよかった。途上国の飢餓の実態がいま一つ伝わり難いのは、時代が共有した体験が薄れていることも確かにある。

 しかし、それだけなら問題は永久に解決されない。共感しにくくなったもう一つの背景は、全世界的な都市化である。農業生産に直接関わる機会がなく、食べ物尾生産から口に入るまでの過程―生産し、集荷し、食する、そのパターンが実感し難くなってきている。正確に言うと、それを観念の上で処理して特別視しないのだ。これを解剖学者の養老孟司さんは「脳化」と呼び、人間の思考の必然の帰結なのだが、自然認識のつまずきの開始と見る。自然相手の仕事は思い通りにならないが、観念は容易に操作できる。出来ないことでも出来ると思い込みやすい。水泳の本を読めば泳ぎができる、情報を集めれば全世界が分かる、差別語を言い換えれば差別が亡くなる、危機管理マニュアルを作成すれば事故を減らせる—この倒錯はキリがない。市場で実物取引がわずかになったように、現代は言葉の洪水の時代で、実が失われていく時代だ。自分の経験で確認しない知識は偽モノになりやすいということだ。

(つづく)