先々週のことになるが、NHK『国際報道』の酒井美帆キャスターのフィンランド取材を特集していた。
フィンランドは幸福度ランキングで6年連続世界一。男女平等を示す指数で世界2位、女性の働きやすさで世界3位。
お手本にしたい国である。
2000年に女性ではじめて大統領になったハロネン氏(79)に女性活躍への歩みをインタビューしていたが、興味深いことに、かつてはフィンランドでも、女性は家にいるべきで、子どもを外に預けるなんてとんでもないこととされていたそうだ。現在のような環境を作るまでには大変な努力があったという。
実はフィンランドは第二次世界大戦では枢軸国側で戦い、戦後は敗戦国としてソビエト連邦に領土を譲り多額の賠償金を負った。日本は戦後復興のさいアメリカの「マーシャル・プラン」の援助を受けたが、フィンランドはソ連からの圧力でマーシャル・プランを拒絶せざるを得なかったという。
戦後復興の歩みは厳しく、女性たちの多くも就労を求められた。このことが保育所の拡充などの女性が働く環境の整備を求める運動につながっていった。ハロネン元大統領はシングルマザーとしてすべての子どもに保育を受ける権利を認めよと強く運動した。政治的に多くの抵抗や妨害があったうえ、個人的にも子育てと政治活動の両立は大変だったが、自らが「ロールモデル」になり、後ろに続く女性たちに道を示してきたという。
以前、スウェーデン大使に聞いた話を思いだした。スウェーデンでもかつては女性は家にいろという風潮だったそうだ。政治の力で国のかたちはいくらでも変えられるんだなと勇気づけられた。
https://takase.hatenablog.jp/entry/2016
0225
為せば成る、ということだ。
自民党が、宗教右派(統一協会をふくむ)に足を引っ張られて、女性や外国人などへの差別をなくす、当たり前の政策が打ち出せないのが情けない。
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岸田首相だのお膝元の広島市では、小中高校で使う平和教育の教材から漫画「はだしのゲン」を削除すると決定、大きな議論を呼んでいる。
広島で被爆した少年を主人公にした漫画「はだしのゲン」は、1973年6月4日号の週刊少年ジャンプで連載が始まった。今年の6月で50年を迎える。また今年は作者の中沢啓治さんの没十年にもあたっていてイベントが予定されている。
「はだしのゲン」は24もの外国語に翻訳されていて、今も新たな言語への翻訳作業が進んでいるという。被爆の実相にこの漫画で触れた人は内外とわず多いことだろう。
この漫画でもっとも衝撃的だったのは、ゲンの家族が生きたまま目の前で焼かれていくシーンだ。母親は気がふれそうになる。私の想像を絶する悲惨だが、これは作者の中沢啓治さんの実体験だという。
《多くの民家がつぶれ、自宅も全壊していた。「あんちゃん、早うかえって来いよ」。出かける時、玄関先で遊んでいた弟は、自宅の柱に頭を挟まれた。母が柱を必死にどかそうとしたが、動かない。
「お母ちゃん、痛いよー!」。泣き叫ぶ弟の声は、火の手が迫ると「お母ちゃーん、熱いー!」に変わり、意識があるまま焼かれた。いつも一緒に登校する優しい姉は「学校の準備ができていないから、先に行って」と自宅に残り、家の下敷きに。父は、倒壊した家の中で「何とかできんのか」と叫びながら火に包まれた。
臨月の母はショックでその日に女の子を出産するが、栄養不足か被爆の影響か、生後4か月で亡くなった。
原爆が落とされたら、人間になにが起きるのか。6歳の中沢さんの目に焼き付いた。》
その後、原爆のことは忘れたいと人にも言わずにいた。上京して漫画家になるが、27歳のとき、母親の死を故郷から知らされる。広島に戻って、母の遺体を火葬場で焼くと、3~4センチの小さな白い破片と灰しか残らなかった。
《原爆で人生をめちゃくちゃにされながら、残った子どもたちを必死で育て上げたお袋。「骨の髄まで、原爆は奪っていきやがるのか・・・」。猛烈な怒りがこみ上げ、東京に戻る列車で決心した。
〈おやじ、姉、弟、そして生後4か月で死んだ妹のうらみを晴らしてやるぞ。日本政府だろうが米国政府だろうが、戦争と原爆の責任を徹底的に追求してやる。(中略)漫画の中で徹底的に闘ってやる!!〉(自著「はだしのゲン わたしの遺書」)》(朝日新聞24日記事より)
こういう現実を知れば、核兵器はぜったいに使ってはならないと素直に思えるはずだ。