いまニュースをにぎわせている広域強盗事件。
なぜ多くの若者たちが簡単にSNSでリクルートされ、犯罪に加担してしまったのか。
メディアの言葉の使い方を批判するのは、ジャーナリストの浜田敬子氏だ。
《メディアもふくめ『闇バイト』という言葉を使う。私はこの言葉の軽さが、犯罪に対するハードルを下げている感じがする。お金に困ったら『高額バイト』、『闇バイト』とSNSに気軽に書き込んでしまう。これによって、「犯罪」なんだという意識が、とくに末端で使われている人には非常に薄いのではないか。
メディアの言葉の使い方、『闇バイト』もそうだが、『パパ活』などもよく使うが、これも「売春」なんですね。性犯罪なんですね。
これは「犯罪」なんだということと、今回のような一連の強盗の仲間に入ってしまったら、身分証もとられているし、逮捕されるまで抜け出せないんだということをメディアもしっかりと伝えていく必要があると思う》(5日のサンデーモーニングでのコメント)
賛成です。言葉一つで、実態が覆い隠されることがよくある。
政府は去年12月に閣議決定した安保関連3文書で、長年使われてきた「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」に言い換え、正式に名称変更した。
近年、名称変更による印象操作が多すぎる。
「安全保障関連法」➡「平和安全法制」、「共謀罪」➡「テロ等準備罪」、「武器輸出三原則」➡「防衛装備移転三原則」などなど。
メディアはもっと言葉に注意を。
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ビクトール・フランクルの『夜と霧』には、被収容者にとって、「生きる意味」が死活的に必要だったことがこう描かれている。
収容所では、1944年のクリスマスと45年の新年のあいだの週に大量の死者が出た。
「この大量死の原因は、多くの被収容者が、クリスマスには家に帰れるという、ありきたりの素朴な希望にすがっていたことに求められる」。落胆と失望でうちひしがれ、抵抗力を失わせたというのだ。
精神科の医師であったフランクルは、被収容者に、「彼らが生きる『なぜ』を、生きる目的を、ことあるごとに意識させ、(略)収容所生活のおぞましさに精神的に耐え、抵抗できるようにしてやらねばならない」と考えた。
「生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましいかぎりだった。そのような人びとはよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。あらゆる励ましを拒み、慰めを拒絶するとき、彼らが口にするのはきまってこんな言葉だ。
『生きていることにもうなんにも期待がもてない』
こんな言葉にたいして、いったいどう応えればいいのだろう。」
ここでフランクルは、「コペルニクス的転回」で答えを提起する。
「ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない」。
そして、その問いと答えは、つねに具体的であるという。
「この要請と存在することの意味は、人により、また瞬間ごとに変化する。したがって、生きる意味を一般論で語ることはできないし、この意味への問いに一般論で応えることもできない。ここにいう生きることとはけっして漠然としたなにかではなく、つねに具体的ななにかであって、したがって生きることがわたしたちに向けてくる要請も、とことん具体的である。この具体性が、ひとりひとりにたったの一度、他に類を見ない人それぞれの運命をもたらすのだ。だれも、そしてどんな運命も比類ない。どんな状況も二度と繰り返されない。そしてそれぞれの状況ごとに、人間は異なる対応を迫られる。」
収容所では自殺をはかる人が多かった。しかし、「自殺を図った者を救うことはきびしく禁止されていた。仲間が首を吊ったところを発見しても、綱を『切る』ことは規則で禁止されていたのだ。したがって、あらかじめそうさせない努力が重要だったことは言うまでもない」
フランクルは自殺願望をもつ二人に、生きることが彼らからなにかを期待していることを示して、自殺を思いとどまらせた。
一人には、外国で父親の帰りを待つ、目に入れても痛くないほど愛している子供がいた。もう一人は研究者だったが、彼を待っていたのは、まだ完結していない、余人に代えがたい仕事だった。
「このひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気づかせる。自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない」。(『夜と霧』新訳P128~134)