「人生の目的はしあわせ」でいいのか3

 タレントのRyuchell(本名、比嘉龍二)が自死したニュース。痛ましい。彼を慕う若者たちに自死の連鎖が起きないよう祈る。

Ryuchell(TBSサンデーモーニングより)

 自死の背景に、ネットでの誹謗中傷があると言われている。日本は、ネット上で発信する人の匿名の割合が突出して高い

takase.hatenablog.jp

 匿名の陰に隠れて人を誹謗するという卑怯で卑劣な行為に対しては、これ以上犠牲者を出さないためにも闘う必要がある。まず、匿名の発信者を突き止める発信者情報開示請求が去年10月の法改正でよりやりやすくなった。

 誹謗中傷についてはその内容と程度により、「名誉既存罪」(刑法第230条)、「侮辱罪」(同第231条)などで刑事告訴もできるし民事での損害賠償請求も可能。

 発信内容が「事実」だと訴えられないと誤解している人もいるが、例えば、「Aさんはハゲ、デブ、チビ三拍子そろった希少種です」などという投稿の場合、指摘されたAさんが髪が薄い、太っている、背が低いとすべて「事実」であるとしても、誹謗中傷であることは明らかで訴えることができるだろう。

 女子プロレスラー木村花さんが20年5月に22歳の若さで自死したこともきっかけとなって、22年7月に侮辱罪を厳罰化した改正刑法が施行されている。

 匿名の誹謗中傷への闘いを応援しよう。

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 今日の朝日新聞朝刊に「最古級 三連水車の技継ぐ」「43歳大工『これも縁』江戸からの伝統守る」の見出しの記事。ちょうど前回のブログに、中村哲医師に水車の構造を教える水車大工の妹川幸二さんの写真を載せたばかりだった。

21日付「朝日新聞」朝刊記事

 福岡県朝倉市にある水車群は「現役では国内最古級の木造水車」で、その中でも三連水車は「国史跡」になっている。観光名所でもあるが、現役の灌漑施設で、農家約千戸でつくる山田堰土地改良区が所有し、農家から集めたお金で田んぼに稲がある時期だけ回している。江戸時代から受け継がれてきたその技術の跡継ぎが現れたという喜ばしいニュースだ

朝倉の水車について妹川幸二さん(左)に教わる中村哲さん(2012年筆者撮影)

 水車はメンテナンスが大変だ。毎年6月に組み立てて稼働を開始し、10月には解体するが、稼働中は見回りが必要で、不具合を適宜修理しなければならない。5年に一度は全面的に造り替える。改良区はそれらの作業を地元唯一の水車大工、妹川幸二さん(65)に依頼してきたが、数年前から体調が悪化していた。後継者探しが難航していたが、市内に住む大工の橋本武治さん(43)の腕の良さと地道な仕事ぶりに妹川さんがほれ込み、橋本さんも「これも縁」と引き受けた。すでに6月初めから2人で水車の組み立て作業を行い、17日に三つの水車が無事に回り始めたという。

 とりあえず、ああ、良かったという話なのだが、記事の最後に気になることが書いてある。「資材が高騰し、改良区の資金繰りは苦しい」という。5年に一度の造り替えにも支障が出そうな様子で、朝倉市の林裕二市長の「水車は貴重な財産。存続を支えたい」の言葉に期待したい。

山田堰の中村哲さん(2012年筆者撮影)

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 前回のつづき。

 ビクトール・フランクルは、「しあわせは、けっして目標ではないし、目標であってもならないし、さらに目標であることもできません」とし、しあわせは「結果にすぎないのです」と続ける。

 また、「私たちが『生きる意味があるか』と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、生きる意味を問うてはならないのです」に続けて、「人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです。私たちは問われている存在なのです。私たちは、人生がたえずそのときそのときに出す問い、『人生の問い』に答えなければならない、答えを出さなければならない存在なのですと主張している。

 中村哲医師はどう考えるのか。

 中村さんは、土木学会の技術賞をはじめ実にさまざまな賞を受賞しているが、宮沢賢治学会」の「イーハトーブ賞」というのを04年に受けている。中村哲さんは傾倒していた思想家にフランクルとともに宮沢賢治を挙げているくらいだから、受賞はきっと大変嬉しかったろう。

 その受賞あいさつで、中村さんは自分をセロ弾きのゴーシュにたとえてこう語っている。

 「遭遇する全ての状況が―古くさい言い回しをすれば―天から人への問いかけである。それに対する応答の連続が、即ち私たちの人生そのものである。その中で、これだけは人として最低限守るべきものは何か、伝えてくれるような気がします。それゆえ、ゴーシュの姿が自分と重なって仕方ありません」

 「人生が出す問いに答える」というフランクルの言葉と、中村さんの「天から人への問いかけ」に応えるが響き合っている。

 中村さんは、その答えの積み重なりこそが人生だという。

 「様々な人や出来事との出会い、そしてそれに自分がどう応えるかで、行く末が定められてゆきます。私たち個人のどんな小さな出来事も、時と場所を超えて縦横無尽、有機的に結ばれています。そして、そこに人の意思を超えた神聖なものを感ぜざるを得ません。この広大な縁(えにし)の世界で、誰であっても、無意味な生命や人生は、決してありません」

 では、「天からの問いかけ」、フランクルのいう「人生の問い」に、私たちはどのように応えていけばよいのだろうか。
(つづく)