きょう11月1日から、性的マイノリティーのカップルを公的に認める「パートナーシップ制度」が東京都で始まった。
この制度は2015年11月に東京都渋谷区と世田谷区で始まり、導入している自治体は青森、秋田、茨城、群馬、栃木、三重、大阪、佐賀、福岡の9府県を含めて239(10月11日時点)。今回東京都が加わったことで、該当地域の人口は全国の6割を超えたという。
パートナーシップ制度では、病院で家族だけに許される面会や都営住宅の入居、生命保険の受取人になることなどが認められる。社会がパートナーとして公認するというものだが、相続をはじめ婚姻にともなう法的な諸権利の多くは認められない。あくまで、そこに向かう通過点である。G7で同性婚を認めていないのは日本だけだ。
統一協会は、自民党議員に性的マイノリティの権利には「慎重」に対処するよう政策協定を結ばせていたことが発覚している。今後、自民党においては統一協会の「呪縛」を断ち切れるかが試される。
一方、台湾の台北市では10月29日、NGOが主催した性的少数者への理解促進を求める恒例のパレードがあった。今年で20回目を迎え、小雨の中、主催者発表で約12万人が参加した。台湾では3年前にアジアで初めて同性婚が法制化されたが、国際結婚などで制約が残されており、参加者たちは制度の早期改正を訴えた。(朝日新聞29日)
こちらは3年前に同性婚が法制化されていて、それでも不十分だとしてパレードに参加したのが12万人!(しかも小雨のなか)というのだから、ちょっと日本では想像できない。
産業の競争力が落ちているとか、賃金が上がらないとか、日本の「立ち遅れ」が目につくこのごろだが、市民が声を上げて主張するという点でも、つまり民主的権利の行使という点でも、私たちはだいぶ世界に置いてきぼりをくっているように思う。
これについては、どういう手をうったらいいのか。
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埼玉県東松山市に「原爆の図 丸木美術館」がある。
ここは、画家の丸木位里・丸木俊夫妻が共同で制作した《原爆の図》を、誰でもいつでも見ることができるようにとの思いで建てた美術館だという。
私はこの美術館を先月半ばに訪れた。土門拳記念館での写真展を観たあとだったので、《原爆の図》に描かれた被爆した人々の姿につよく胸を揺さぶられた。
ナイフや銃で殺されるのも、原爆で殺されるのも人が死ぬという事実は同じだ。しかし、一瞬にして、数千度の熱線、殺人的な中性子線そして激烈な爆風の三つが、すべての生き物と文明を根こそぎ抹殺する核兵器の恐ろしさは異質なものである。10枚を超える巨大な屏風絵は、こんな兵器を作り出した人類の罪深さを鬼気迫る悲しみとともに訴えてくる。
米国による原爆投下は、ナチによるホロコーストとならぶ、人類史上最大の人道への罪だと思う。作家の小川洋子さんは、ホロコーストは文学のテーマとしてすたれることはない、日本も原爆をもっと世界文学に広げていくべきだと言う。
文学、写真、絵画などを含む原爆の記録を妨げた要因の一つは明らかに米軍の進駐だろう。例えば、丸木夫妻は、原爆投下直後の広島にかけつけたが、当時は米軍占領下にあって原爆被害の報道が厳しい検閲を受けていたという。このハンデを背負いながら、先人たちは少なからぬ被爆の記録を残してくれたことの感謝の念が湧いてくる。
水、水。
人々は水を求めてさまよいました。
燃える炎をのがれて、末期の水を求めて─
傷ついた母と子は、川をつたって逃げました。
水の深みに落ち込んだり、あわてて浅瀬へのぼり、走り、
炎が川をつつんであれ狂う中を水に頭を冷やしながら、
のがれのがれて、ようやくここまできたのです。
乳をのませようとしてはじめて、
わが子のこときれているのを知ったのです。
20世紀の母子像。
傷ついた母が死んだ子を抱いている。
絶望の母子像ではないでしょうか。
母子像というのは、希望の母と子でなければならないはずです。
(第三部 水より)
(つづく)