藤沢周平のいろり端の情景

 明後日はお彼岸だ。日が短くなったわけである。きょう、八百屋に柿が並んでいるのに気づいた。稲刈りが終わって、少しづつ冬に向かう。

 23日から初候「雷乃収声(かみなり、すなわちこえをおさむ)」。入道雲からイワシ雲へと空も変わる。次候「蟄虫坏戸(むし、かくれてとをふさぐ)」が28日から。虫たちが土の中へと潜っていく。10月3日からが末候「水始涸(みず、はじめてかるる)」。田んぼから水が抜かれて涸れる季節。
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 この間の気になるニュースを駆け足で。

 ロシアが占領する東部と南部で、親ロシアは派勢力が20日「ロシアへの編入」を問うための住民投票を実施すると発表した。投票はルハンスク州、ドネツク州と南部ヘルソン州のロシア軍支配地で今月23日から27日にかけて行うという。急である。

 この住民投票の話は以前からあったが、棚上げになっていた。今回のこの決定は、ロシアの軍事的劣勢による方針転換だと見られている。

 元大統領のメドベージェフ氏はSNSで「ロシア領土への侵犯は犯罪で、ロシアは自衛のためにあらゆることをする力を行使できる」と脅迫に近い文言を連ねている


 つまり、住民投票の結果、「編入」となればそこはロシア領となってしまい、ウクライナからの攻撃を「ロシア領土に対する攻撃」とみなすというのだ。

 欧米はウクライナにロシア領に攻撃しないよう求め、ロシア領にまで届く長距離砲の供与も渋ってきた経緯がある。プーチンがこれを逆手にとって、これ以上の劣勢を食い止め、ウクライナの攻撃を抑えるために一気に「編入」にもっていこうとしているのだろう。

 追い込まれたときのプーチンは何をするかわからないからあぶないぞ。
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 防衛省ミャンマー軍の留学生受け入れを来年度から停止するという。

 防衛省は現在、17カ国から計192人の留学生を防衛大学校や各自衛隊幹部学校などで受け入れており、ミャンマーからはクーデター後も幹部や幹部候補生を受け入れていた。

 停止の理由について、7月に民主派の4人の死刑を執行したと報じられたことから「ミャンマーとの防衛協力・交流を現状のまま継続すること適切でないと判断した」という。

 遅きに失したが、これまでの対ミャンマーの無原則な対応が批判されたことがこの変更の背景にある。批判、抗議は無駄だと思う人がいるが、いろんな条件の組み合わせで動きをもたらすこともある。あきらめずに声を上げ続けよう。
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 日朝平壌宣言から20年の17日、拉致問題にかかわるある団体が「拉致被害者全員奪還デモ」を実施した。その動画が知り合いのFBにアップされていたので見ると、日朝平壌宣言を破棄せよ!」シュプレヒコール

(kazuo Inagawa氏FBより)

 横断幕には「(拉致被害者を)還さなければ戦争だ!」、「自衛権の行使を」などとある。これは「外交」とは別次元の「解決方法」だ。

 金正恩を罵倒し、戦争してでも奪還するぞ!と主張するのは勇ましくて気持ちいいかもしれないが、これでほんの少しでも拉致問題が進展すると本気で思っているのだろうか。

 こういう路線に政府が引っ張られた(安倍氏らが煽った面もある)からこそ、20年も何の成果もなく時間を無駄にしたのではないか。

 

takase.hatenablog.jp

  頭を冷やし、北朝鮮とのより良い交渉ルートを開拓し、水面下もふくめて地道に外交努力をするしかない。方針を転換できる政治家よ出でよ。

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 最近は家族団らんなどという言葉をとんと聞かなくなった。

 藤沢周平が自らの生い立ちを振り返った『半生の記』を繰っていたら昔の田舎のいろり端の様子が描写されていた。心温まるものを感じ、情景を想像した。

 

 そのころは茶の間にある大きないろりが、家の中心としてどっしりと構えていた。いま、しいて家の中の中心をもとめればテレビのある居間ということになるだろうが、人があつまっても会話が少ないから、テレビにむかしのいろりのような中心性をもとめることは無理のように思える。いまは一軒の家に、人人はばらばらに住んでいる。農村といえども例外ではない。

 むかしは大人も子供もなにかといえばいろりのそばにあつまった。いろりはあたたかくて明るい場所だった。停電の夜は、当然いろりのそばは家族で混み合い、人人は炉に燃える火に顔と胸を照らされながら、いろいろな話をかわした。そしてそういう夜は、子供が親にむかし話をせがむいい機会でもあった。母親は栗をゆでながら哀れぶかいママ子の話とか、ある雨の夜に、貧しいひとり者の百姓の家に一夜の宿をもとめてきた若くてきれい女、じつは人に変身した蛙の話などをした。

 母親のむかし話はたいていは歌まじりだった。変身蛙の話もそうで、その家の嫁になって何年かたち、子供を三人も生んで気がゆるんだものか、ある日居眠りをして蛙の正体をみられてしまった女は、泣く泣く夫と子供にわかれて山奥のふるさとに帰ってしまった。しかし女は、田植えどきになると子供たちに呼びもどされて、一族や仲間をつれて山から里に手伝いにくる。

 そして大勢の蛙の助っ人たちと一緒に、働きながら声をあわせて陽気にうたうのである。

アオジ ムラサメ ヒデリの田ァは
稲にならねで 米になァる

 まるで井上ひさしさんの戯曲のようだが、アオジ、ムラサメ、ヒデリは蛙のかあちゃんが生んだ子供たちの名前である。その歌があまりに陽気でにぎやかなのに村人は失笑するが、やがて秋になると、その家の稲田には穂の粒がひょうたん型をした見たこともない大粒の稲がみのり、殻を割ると中からざらざらと米がこぼれ落ちて、家は大金持ちになるのだ。

 父親も、せがめばむかし話をすることもあったが、レパートリィは貧しくて、「猿の嫁」と貧しい老夫婦が吹くジヨッコ(家ネズミ)のおかげで金持ちになる話の二つぐらいだった。それでも父母が語るむかし話の別世界には、私たちの空想を無限に搔き立てる力があり、私と妹は、母親がいそがしくてむかし話どころではないというときは、聞きあきた父親の「猿の話」を聞いた。

 そういう夜は、私は少しも眠くならず、話が終わるともう一度とせがんできりがないので、しまいにはさあ寝ろと寝部屋に追いやられるのがつねだった。

 

 藤沢周平がこれを書いたのは1992年なので、テレビが中心と書いている。今では「ばらばら」の度合いがはるかに進んで、食事も各自が勝手にとる家庭は多いし、一緒に食卓を囲んだとしても、それぞれがスマホを見ながら会話もなく咀嚼運動をやっていたりする。テレビならとりあえずみなが同じものを見ているが、スマホは各自が別の世界に向き合っている。

 いろりの回りの情景は、現代の生活がどこかおかしいと感じさせるに十分だ。藤沢周平が父母のむかし話をよく覚えているのは、ゆったりしながらもそれほどに濃密な時間だったのだろう。