北朝鮮を人権で追い詰めろ

takase222008-12-14

きょう、明治大学で「北朝鮮全体主義国家の実情を訴える6団体共同集会」があった。
すばらしい集会だった。
http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/topics081204.htm
6団体とは;
北朝鮮難民救援基金 http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/
北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 http://hrnk.trycomp.net/
特定失踪者問題調査会 http://www.chosa-kai.jp/index.html
RENK http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/
●ノーフェンス http://nofence.netlive.ne.jp/
北朝鮮による拉致・人権問題にとりくむ法律家の会 
そして、集会のテーマが「拉致、収容所、脱北、アジアの人権」である。こういうテーマが「人権」で並ぶのは本来的なあり方だと思う。
靖国参拝派の議員しか来ない、いつもの拉致集会とは全然雰囲気が違う。
8つの教室でそれぞれ展示、映画上映、報告会があり、ミャンマー問題の部屋もあった。カレン族とカチン族の人たちがいたので入ってみた。インタビューしたことがあるボーミヤ(カレン民族同盟KNU議長)やブランセン(カチン独立機構KIO議長)の思い出話をしながら、軍事政権の弾圧の写真などを観た。
北朝鮮人権問題とミャンマーの人権問題が同時に扱われるのは画期的だ。拉致VS脱北者の「棲み分け」も、北朝鮮VSミャンマーの「棲み分け」も取っ払われて、真に説得力を持つ運動になる萌芽を感じた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20081130
ビデオ上映では、ジンネットが入手した「公開処刑映像」もやっていた。私は「金日成のパレード―東欧の見た“赤い王朝”」を観た。これは88年の建国記念日に招待されたポーランドの映画会社が、北朝鮮がお膳立てしたものをそのまま撮影して延々と見せるもの。指導者への賛辞、マスゲーム、「マンセイ!」と叫びながら行進する数十万の人々・・・。批判的なコメントは一切ないのだが、映像から狂気がにじみ出てくる。
3人の脱北者の報告が予定されていたが、うち韓国にいるトヨタ・アキコさんという日本人妻の娘さんがまだ「保護観察中」だとして急遽来日できなくなった。
彼女は脱北後、日本に来て日本国民になりたかったのにそれがかなわず、いま韓国の釜山に住んでいる。北朝鮮に渡ってから生まれ、日本人妻の娘だと証明できなかったのだ。今も北朝鮮にいるお母さんをぜひ助けたいという。以下に短い手記がある。
http://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/news58.htm#
北朝鮮に渡る前、朝鮮総連の活動家たちは、日本人に対して「3年経ったら必ず里帰りできる」と繰り返した。日本に脱北してきた日本人妻は全員これを証言する。アキコさんのお母さんは帰してくれと政府に「提議書」(意見書)を出したという。そのために平壌に住んでいたのが咸鏡北道に追放されている。
アキコさんは手記で《日本政府は、私の母が日本に戻れるように努力してもらいたい。「日本に戻りたい」との願いは、私一人の願いではなく、北朝鮮にいる日本人たち全員の願いだと思う。もう60-70歳になった高齢者の日本人を北朝鮮で死なせないでほしい。故国に戻させ、そこで最後の安息を迎えるようにするべきだと思う。》と書いている。
最後の「大討論会」がまたよかった。北朝鮮への風船ビラとばしや短波放送、中朝国境での救援活動、アメリカでの講演会など各団体の実践を持ち寄ると、非常に広く深い情報を共有できる。
討論会の中で、「日本が拉致問題だけ言っているのは問題だ」という雰囲気が国際的にあるのを何とかしなくてはならないとの発言が「守る会」の宋事務局長からあったが、全面的に賛成だ。
例えば、申東赫『収容所で生まれた僕は愛を知らない』は韓国で3千部発行のところ、日本語版は1万部出ている。収容所経験者の手記も日本語でたくさん出版されている。実際には、脱北者や収容所を含む北朝鮮人権問題で、日本は先鞭をつけているのだ。もっとこれをアピールしなくては。
アムネスティも話題にのぼった。日本人拉致問題を慎重に扱うようにとの指示が国際事務局から日本支部に出されているとの事実が討論会で公開された。政治的な思惑を離れて人権に取り組むべきアムネスティが、こういう立場にあるというのは大変な問題だ。
2年前には北朝鮮の人権問題や拉致にもっと積極的に取り組むべしとの決議案が、国立支部から出されたが、賛成43%で否決されている。http://www10.atwiki.jp/ai-kunitati/
アムネスティはかつて北朝鮮の収容所問題で非常に先駆的な業績を上げていた。90年代には平壌近郊の勝湖里(スンホリ)収容所を告発し、北朝鮮があわててこれを閉鎖したこともあった。また、私自身、ロンドンのアムネスティで、北朝鮮まで行って行方不明になった帰国者(日本人配偶者)に消息を迫ったスタッフにインタビューしたことがある。
それなのに、日本や韓国の支部の動きが鈍いとは以前から言われてきた。十年前には、拉致問題に対しては、いわゆる進歩派文化人的な「ぬるい」対応だったことを覚えている。
あまたいる脱北者への聞き取り調査などやれることはいくらでもあるはずだが。