DNAのパスポート

 たいした読書家でもないのに、欲しい本を(主に古書で)どんどん買ってしまうものだから、いきおい積読(つんどく)が増える。

 老い先の短さを考えながら読んでいない(または読んだのを忘れた!)本の山をながめると、「学成りがたし」という言葉がしみじみと迫ってくる。

 『香川紘子詩集』という本に目が留まって拾い上げた。これをなぜ、いつ買ったのかも忘却の彼方だが、ページをめくるとおもしろい詩に出会った。

DNAのパスポート

太古から
豊かな生命を育んできた海に
背を向けて
変わり者の魚が一匹
陸にあがる冒険を敢行したのは
三億五千万年前のことだった

それから二億年が過ぎて
ざわめく巨大な羊歯の葉越しに
日毎夜毎に仰ぐ
空の輝きに魅せられた
爬虫類の夢から
始祖鳥が出現した

気の遠くなるくらい遥かな
生命の系統樹の梢で
世紀末の強風に
吹きちぎられそうに震えている
私たちも また
羊水の海から誕生し
この地上で
這い 立ち 歩み
やがて
魂だけの身軽さで去る
DNAのパスポートの所持者なのだ

 

 香川紘子は、「解説」によれば、1935年兵庫県飾磨町に生まれ、脳性麻痺の重度心身障碍児だったため戦時中は就学せずに家で過ごした。
 44年、父の転勤で広島市に移り、翌年原爆に被爆。その翌月、祖母が原爆症で亡くなると初七日の夜、第二次枕崎台風による洪水で家財流出・・。と大変な少女期だったようだ。 

 15歳のとき中学生新聞の詩壇で第一席入選し、その後、試作に熱中。たちまち詩壇の常連となり、「十代のチャンピオン」として寺山修司らと並び称される存在になる。
 54年、19歳で「原稿の下書きを自筆で書けるようになる」と年譜にあるように、身体の障害を抱えながらの試作を続けてきた。

 寡聞にして知らなかったが、有名な詩人であるらしい。

 むかし、好きな人に「あなたは、ほんとに散文的な人ね」と言われたことがあるが、たぶんそれは誉め言葉じゃないな。散文の反対は韻文でポエムだから、俺ってポエムを感じさせないんだ、と理解した。そういうわけで(笑)、詩とは縁が浅いので、香川紘子の名前も詩も新鮮である。

 利己的な遺伝子』で知られる進化生物学者リチャード・ドーキンスの「生物は遺伝子によって利用される"乗り物"に過ぎない」は、主役の遺伝子から生命を見ているが、香川紘子の「DNAのパスポート」は生命、つまり「私」の側から、遺伝子を、旅をつづけさせてくれる旅券に見立てている。

 そしてその旅券は、太古から生命が連綿と受け継いできたものであることに思いを馳せている。わたしたちは生命樹の梢の葉の一つなのだ。

 生命の荘厳な連続性への自覚がさわやかさを醸し出す、そんな印象を受ける詩である。

 

 この詩で思い出したのが、はやり重い障害をもつ海老原宏美さんだ。

海老原宏美さん(NHKハートネットTVより)

  いまどうしているかなと思ってネット検索すると、昨年末に亡くなっていることを知って驚いた。
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/654/

 数年前、彼女の生き方を描いた映画を観、講演を聴き、本を読んで大きな感銘を受けた。もう一度お話を聴きたいと思っていたのでとても残念だ。ご冥福を心からお祈りします。

takase.hatenablog.jp

 海老原宏美さんの『まぁ、空気でも吸って』という本に収められた「私の障害のこと」という文章を読んだとき、こんな考え方もあるのか!と衝撃を受けた。

 私は、脊髄性筋萎縮症Ⅱ型(SMA type2)という、ちょっと珍しい障害をもって生まれました。「type2」という響きがカッコイイと思っています。一説には、この病気の発症率は四万人に一人とも言われています。両親共に原因となる遺伝子をもっていて、それを一つずつもらい受け二つそろったときに、めでたく発症します。ということは、祖先たちが代々、この遺伝子を受け継ぎ保因者として生きてきたからこそ私もそれを引き継いだわけで、それは一体、何百年、何千年さかのぼる旅だったのだろう? と思うと、この障害が愛おしくてたまりません。(略)

 どんな障害かいうと、人が身体を動かすときには、脳から電気信号を出し、それが神経を通って筋肉に伝わり、筋肉が「ぴょん」となるわけですが、SMAは、その通り道である神経の元にある運動神経細胞が、なぜかよくわからないタイミングで、必要以上にアポトーシス(自殺)を起こし、電気信号が筋肉に届かなくなってしまう、という病気です。ごく簡単に言うと、そういう感じ。アポトーシスが起こるたびに、筋萎縮が進むという進行性の障害で、小さい頃はつかまり歩きもできましたが、今は呼吸さえ自分ではままならない全身性障碍者をやってます。自殺防止キャンペーンを、こっちでも開催したいです。

 

 自分が生まれつき負った障害すらも、無数の「ご先祖」から受け継がれてきた生命の一部として愛おしんでいる

 9月は自殺対策強化月間で、さまざまなキャンペーンが行われている。

(テレ朝モーニングショーより)

 「いのちの電話」など、自殺の直前に思いとどまらせる窓口を増やしたりといった施策も大事だが、これはいわば土俵際の応急処置。

 本来はそもそも「死にたい」と思わない、「生きているってすばらしい」と思うように生きるにはどうするかが問題だ。

 海老原宏美さんの哲学にその重要なヒントがあると思っている。
 これについてはまた改めて書こう。

香川紘子詩集(右)と海老原宏美『香川紘子詩集(右)と海老原宏美『まぁ、空気でも吸って』