「私の苦悩には何ものかの意図がある」福島智

 きょうの日曜美術館水墨画の傅益瑤(ふえきよう、フーイーヤン)さんの特集だった。
 「祭りの水墨画 日本と中国を結ぶ 傅益瑤(ふえきよう)の挑戦」
《中国で“祭りの水墨画”が注目を集めている。長いあいだ祭りが禁じられてきたからだ。作者は、日本の祭りを描き続ける傅益瑤(ふえきよう)さん。創作の日々を追った。》

もう十数年前になるが、東京・立川の彼女の自宅で熱い語りを聞き、魔法のようなすばらしい筆遣いを見せてもらったことを思い出す。
【傅益瑤さん、結跏趺坐で描いている。坐禅しているのかな】
 傅さんの父、傅抱石さんは、20世紀中国水墨画の巨星だったが、文化大革命で伝統文化が破壊されるなか失意のうちに他界。娘の傅益瑤さんは「反革命分子」とされ、田舎に下放させられ、1976年まで重労働に従事した。その後、日本で絵を修業していたが、衝撃を受けたのがエネルギッシュな日本の祭りだった。各地の祭りを水墨画で描くことがライフワークに。今年100作目の「阿波踊り」に挑戦した。

いま、中国では文革時、禁止・破壊された各地の伝統的な祭りを復興する機運があり、傅益瑤さんに白羽の矢が当たり、中国の祭りを描いてくれとの注文が。ようやく本国で認められてきた彼女は、日中のかけはしをめざす。というのがきょうの番組だった。
 相変わらず、活力あふれる彼女をみて安心するとともに、今後の活躍を期待している。

 ところで傅益瑤さんの代表作は「仏教東漸図」で、比叡山延暦寺にある。紅葉真っ盛りだろうな。機会のある方はぜひどうぞ。
http://www.nhk.or.jp/nichibi-blog/
【これはそのなかの延暦寺
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 週末、講演をしてきた。

栃木県ロータリークラブのリーダー養成セミナーで、30歳以下の若者34人に対する基調講演を依頼された。演題は「ともに生きる」。持ち時間3時間を自由に使って、受講者―職業も経歴もさまざま、留学生も4人いる(ベトナムラオス、中国、モンゴル)―に、異なった価値観の人々同士がどう共生できるのかを考えさせよという。
 冒頭、「今年は、日本の犯罪史で特筆すべき年になりました。戦後70年で最悪の殺人事件が起きたが、その事件が何か分かる人?」と問いを出す。多くが、え、何だっけ?という顔。みなさん、分かりますか。
 「ヒント。19人が殺され、26人が重軽傷を負いました」で、ようやく3〜4人が手を挙げる。
 答えはもちろん、相模原障害者施設殺傷事件。戦前は1938年の「津山30人殺し」という横溝正史の「八つ墓村」のモチーフになったとされる事件があるが、戦後では被害者の数が最も多い。プーチン大統領が安倍首相に弔電を打ち、米ホワイトハウスが声明を出すという大事件だったのだが、これが驚くほど我々の記憶に残っていない。

戦後最大の殺人事件と問われて、どうしてこれがすぐに思いつかないのか、印象が弱いのか、ひょっとして「我々とは違う世界の話」、「普通の人間じゃないから」という思いが心のどこかにあるのかもしれない。ニュースでも通常の事件とは扱いが全く異なり、「19人」という数字だけで実名報道をしなかった。そのあたりを考えてみようというのをフリにして、ナチスのT4作戦、尊厳死法案、出生前診断などについて説明したうえ、障害者との共生というテーマで話を進めた。家族や知り合いに障害児が生まれたとき、素直に「おめでとう!」と言えますか、などと問題提起しながら。
 5人一組のグループに分かれて討論し、その結果を発表し合った。真剣に議論した末に、各グループが、これからの障害者との付き合い方を提言。とてもやりがいのある講演になった。
(私はべつに講演が好きなわけではない。仕事の合間に準備するのもけっこう負担だし。でも義理ある人から頼まれると断れないのだ。)

 私はALSの患者さんを取材したことがあるだけで、障害者問題に詳しいわけではないが、先日、『風は生きよという』という映画を観て衝撃を受けた。(http://kazewaikiyotoiu.jp/) そこに出てくる海老原宏美さんという脊髄性筋委縮症2型の進行性の遺伝病をもった障害者の講演を聞き、彼女の『まぁ、空気でも吸って』(現代書館)というちょっととぼけた題名の本を読んで、さらに自分の無知に気づき、あらためて障害者の問題を学ばなければと思ったのだ。

 盲ろうの福島智さんの深い思索に触れて感銘を受けたことも大きい。彼の『ぼくの命は言葉とともにある』(致知出版社)を読んだ。
《自分がなぜ生きているのかわからないけれど、自分を生かしている何ものかがいるとすれば、その何ものかが私にこの苦悩を与えているのだろう。ならば、私に与えられている苦悩には何ものかの意図・意志が働いているはずだ》
 苦しみながら、フランクル神谷美恵子トルストイヤスパースなどの思想を学びながら自分の存在意義についての独自の哲学にたどり着く。その格闘にも似た営みを知って、障害者は健常者よりもはるかに濃密な生を生きているのではないかと考えさせられた。
 これについてはまた書くが、以前このブログに書いた福島智さんの言葉をセミナーで紹介したところ、みなさん深く感じてくださり、うれしかった。障害者の問題はこの社会がどうあるべきかに直結した問題なのだ。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20160827