高世仁のニュース・パンフォーカスNo23「スウェーデンに『新しい資本主義』を学ぶ」を先月末に公開しました。お知らせが遅くなり失礼しました。
国民の暮らしのレベルは下がり続け、デジタル化や脱炭素化では新興国にも及ばぬ周回遅れの体をさらし、もはや先進国とはとてもいえなくなった日本。思い切ってスウェーデンのやり方を勉強したら、との提案です。
一昨年に会社を閉じたが、それまでは取材でいろんな土地に行く機会が多かった。
「いいね、タダで旅行ができて」とよく言われたものだが、実際は名所旧跡を見たり、その地の名物グルメを堪能することはほとんどない。せいぜい帰りの空港でお土産を見つくろうくらいだ。
というのは、アタマが取材のことでいっぱいになっているうえ、日程がぎりぎりに設定してあるから。朝昼晩とコンビニ飯で終わることもある。取材が終わればさっと帰って、撮影素材を編集にまわす。番組制作費が削られ、ますます取材日程は過密になっていった。
だから、今回のように、取材が急に延期になって空き時間ができるという事態はとても稀である。せっかくの機会なので沖縄について学ぼうと本屋へ。
地図と、ガイドブックになりそうな本として『大島和典の歩く見る考える沖縄』(高文研)と『これならわかる沖縄の歴史Q&A』(大月書店)を購入した。
一冊目の著者、大島和典さんは、四国放送のディレクターから転じて沖縄平和ネットワークの「平和ガイド」をながく務めた方で、基地や戦跡にとても詳しい。
二冊目の『これならわかる・・』の著者の名を見て驚いた。
梅澤和夫。私の大学時代のサークル「中国研究会」の後輩ではないか!千葉県で社会科の高校教師になって、社会科教育では指導的な立場になったとは聞いていた。著者紹介を見ると、『高校日本史A・B』(実教出版)など教科書の他、多くの本の出版にかかわっている。沖縄の本屋で彼の本にめぐりあうとは、うれしいご縁だ。
嘉手納基地に続いて、「辺野古」移転で揺れる米海兵隊普天間飛行場を見に行った。
「ゆいレール」というモノレールに乗って終点「てだこ浦西駅」へ。そこから、めざす嘉数(かかず)高台は歩いて30分のはずだが、駅を出たら急に風雨が激しくなってきたので、タクシーで行くことに。今回の滞在では毎日のように雨が降った。
タクシーを降りる時、運転手さんが、「オスプレイ見るなら、普天間基地はあっちの方角ですよ」と教えてくれる。
高台の展望台へとつづく石段に桜が咲いている。これはヒカンザクラ(緋寒桜)といって台湾や中国南部が原産だそうだ。カンヒザクラ(寒緋桜)ともいう。ちょうど今頃が旬で可憐な花を咲かせている。
展望台からは飛行場の滑走路が正面に見える。2012年に配備されたオスプレイがずらりとならぶ。上空に着陸態勢にはいったオスプレイがやってきたので、スマホで撮影。今回はスマホしかないので、機影は大きく撮れない。
オスプレイは「ウィドウ・メイカー(widow maker)」つまり未亡人製造機と呼ばれるほど、事故を起こして墜落してきたそうだ。
04年8月13日に沖縄国際大学に大型ヘリCH53Dが墜落し、爆発、炎上した大事故をはじめ、オスプレイに限らず、普天間所属機の事故は多い。
「2016年12月、夜間に空中給油訓練していたオスプレイが名護市安部の浅瀬に墜落し大破した。乗組員2人が負傷。国内配備後、初の負傷者となった。翌17年はエンジントラブルなどで、伊江島や奄美大島など県内外で緊急着陸が頻発。同年8月にはオーストラリアで墜落、乗組員3人が行方不明になった。
同年12月には、宜野湾市の緑ヶ丘保育園の屋根でCH53ヘリの部品が落下したが、米軍はその事実を認めなかった。同月は同市の普天間第二小学校グラウンドに同型ヘリが窓を落下させる事故も起き、保護者や子どもたちは不安を抱えたままの日常を送っている。
事故のたび米軍は再発防止を強調するが、普天間のオスプレイは13年2月にもプラスチック製の水筒を落下させていた。17年10月に東村高江の民間の牧草地に不時着・炎上したCH53ヘリは同年6月、久米島空港に緊急着陸したのと同じ機体だった。」(沖縄タイムス21年11月25日付)https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/868618
さらに、オスプレイは他の飛行機と違って、低周波騒音を出すという。人間の耳で聞こえない低い周波数の「音」をふくむ重低音で、近くの住民ならすぐに「あ、オスプレイだ」と分かるそうだ。言われてみれば、確かに低くくぐもった感じの音だ。これは健康上、よくない影響が出るという。(なぜオスプレイ配備が必要なのかについては別に書きます)
普天間飛行場は「世界一危険な基地」だという。
03年11月に視察したラムズフェルド米国防長官が言った言葉だが、その危険さを示す一つの指標がこの基地の「クリアゾーン」だ。
クリアゾーンとは、ヘリや回転翼機(オスプレイのような)が墜落する可能性が高い区域で、滑走路の端から高さ900m、長幅700m、短幅460mの台形の区域で、米国では人は住んではならない。
ところが、普天間ではこのクリアゾーンに小学校、保育所、公民館など18の公共施設と約8百戸の住宅があり、3600人が暮らしているという。
ここにある普天間第二小学校(児童約700人)では、飛行機が落ちたらどう逃げるかを毎年訓練しているという。
これが日本にある現実とは信じがたい話だが、この危ない基地をどこかに移転しなければという動きが出てきたのは、1995年の米兵による少女暴行事件の翌年だった。
(つづく)