香港の若者は「暴徒」なのか3

 昨夜深夜、台風19号の中心が東京から北に抜けた。雨が止んだので外に出ると、満月が見えた。遠くに救急車のサイレン、そしてそばの草むらから虫の音が聞こえる。生き物はすごいな。
 被災した地域が早く日常を取り戻すよう祈ります。
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 もう月は神無月。節気はとっくに寒露(かんろ)。今年はまだ蒸し暑く台風も来ているが、露が冷たく感じられる時節という意味だ。
 8日から初候「鴻雁来」(こうがん、きたる)。ツバメと入れ替わるように雁が北からやってくる。井上陽水の『神無月にかこまれて』にこんな歌詞がある。
 「逃げるように渡り鳥がゆく/列についていけないものに/また来る春があるかどうかは誰も知らない/ただひたすらの風まかせ」
 とても好きな悲しい歌である。
 次候の「菊花開」(きくのはな、ひらく)が14日から。末候「蟋蟀在戸」(きりぎりす、とにあり)が19日から。きりぎりすはコオロギのことらしい。
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 香港のデモ隊で警察との衝突を辞さない「勇武派」。彼らの実態は、これまでもこのブログで書いてきたが、日本の怖い過激派のイメージとは全く異なる。常設の組織はなく、見知らぬ者同士が現場で知り合い、催涙ガス対策の防塵マスクやゴーグル、ペットボトルを配る兵站係、警察の動きを知らせる連絡係、催涙弾に交通規制用の円錐形のカラーコーンを被せて処理するグループと役割分担して動いている。女性も多い。

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10月6日(日)「覆面禁止法」施行後初めての大規模デモ。雨のなか多くの市民が集まった。ほとんどがマスクをして政府に抗議の声を上げた

 私が会った「勇武派」はいずれもごく普通の心優しい若者たちだった。「いいヤツ」なのである。共通しているのは切羽詰まった危機感である。
 ある男子大学生は「勉強は未来のためにするものだよね。でも僕らには未来が見えないんだ。勉強している場合じゃないよ」と言う。そして「デモでは催涙弾の処理など、大学では教わらないことを学んでる」と笑顔で語った。
 家族に遺書を書いてデモに参加する若者も少なくない。一人の若い男性の遺書にはこう書かれていた。「もう家に帰れないかもしれない。中国人民解放軍に殺されるかもしれない。でも、妹や甥にこんな濁った社会で生きてほしくない」。

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日中の平和的なデモのあと、夕方になると「勇武派」の出番だ。道路を遮断するバリケードを作って警官隊との衝突に備える。前方右のビルが政府総部、左が中国人民解放軍駐香港部隊のビル。

 こういう思いつめた「いいヤツ」が暴力を使うようになったのはなぜか。
 尋ねると返ってくる答えは「100万人が街頭に出ても、政府は市民の声を聴いてくれなかった。平和的な手段だけではだめだ」というものだ。
 今の香港は「真の普通選挙」が実現していない。立法会は各業種のエリートにしか投票権がない職能別選挙などもあって親中派議員が多数を占め、行政長官は事実上共産党政権の指名で決まる。そこで市民は選挙の代りに民意をデモや集会で示してきた。6月には香港史上最大のデモがあったが、その訴えをも無視されるとなれば、では平和的な手段以外の方法を使おうとなる。
 そして実際に実力行使が効果的だったと「勇武派」は考えている。逃亡犯条例改正を政府が撤回したのは9月4日。その前、8月12-13日にはデモ隊が香港空港を占拠して発着便が欠航となり、9月1日には再び空港への交通を妨害し到着客が空港で足止めされている。空港機能をマヒさせるという経済的ダメージを香港政府に与えたことが条例改正案撤回につながったとして、「勇武派」は実力行使への傾きをいっそう強めることになったのである。
 5日朝、前夜に破壊されてシャッターが下りた地下鉄の駅の前で、「地下鉄がストップして不便ではないですか」と通りかかった高校生に聞くと、「仕方ないですよ。こうでもしないと政府には伝わりませんから」と破壊行為を容認していた。
 しかし、デモ隊の暴力行為は次第にエスカレートしており、危険なレベルに達しつつあるように感じられた。
(つづく)