安田純平さんへのバッシングに思う

 安田純平さんが、きのう、2日(金)11時から日本記者クラブで記者会見を行った。
 帰国直後、成田空港で、奥さんを通じて「大変お騒がせし、ご心配をかけました。おかげさまで無事帰国することができました。ありがとうございました。可能なかぎり、説明をする責任があると思っています。折を見て対応させていただきます」という声明を出していた。帰国便の中から記者の問いかけに積極的に応じていたが、早く話したいのだろうなと思っていた。会見では、1時間の予定が、質疑応答を含めて2時間半も語り続けた。事実関係を詳細に誠実に語った。安田さんは逃げ隠れせず、まっすぐな対応をしている。

 9時半の受付時刻にはカメラ機材をもったテレビ取材関係で長い列ができ、おそらく200人を越えるメディアの人間で会見会場はいっぱいになった。私は最前列で、報道写真家の広河隆一さん、ジャーナリストの土井敏邦さんの隣にいた。
 会見冒頭、安田さんは「解放に向けてご尽力いただいたみなさん、ご心配いただいたみなさんに、お詫びしますとともに、深く感謝申し上げたいと思います。ほんとうにありがとうございました」と深々と頭を下げた。
 安田さんの口から、はじめて「お詫び」という言葉が出たので、ちょっと意外だった。安田さんは、お詫び、と言いかけ、下を向いてちょっと間があって、しますとともに・・と続けた。やはり、葛藤があったのか。安田さんは、悪いことをしているわけではないと思っているはずで、2004年の拘束事件の際も謝っていない。その彼でもお詫びせざるを得ないほど追い詰められているのかと同情した。
 会見はライブでワイドショーでも流れ、ある番組のスタジオに出ていた東国原英夫氏が
 「最初に謝罪とお礼等々がありましたので。あれで一応、僕の気持ちはホッとしました。あれがなかったら、ちょっと席立とうかなと思ったくらいです」などと語ったという。https://lite-ra.com/2018/11/post-4348.html
 とにかく、まずは謝らないと承知しないぞというのだ。
 ダウンタウンの松本仁志氏は「個人的に道で会ったらちょっと文句は言いたいと思う」とし、「今後、身代金を(テロ組織と)折半しようやってやつが出てくるかもしれない。安田さんはそういうのじゃないでしょうけど、『これ以上はやめようね』って(言いたい)。(今後もジャーナリストとして危険な場所へ向かうことは)それはもうちょっと許せないかな。ジャーナリズムって何なんだろうか」と発言している。https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/10/28/kiji/20181028s00041000205000c.html
 ネットで酷いバッシングがピークに達するなか、こうした発言は危険だ。2004年にイラク武装組織に拘束された高遠菜穂子さんたちが激しい「自己責任論」のバッシングを浴びたが、そのあと、彼らのなかにはいきなり後ろから殴られたり、家族が仕事を辞めざるを得なかった人もいる。安田さんが安心して道を歩けないなどという事態を想像したくない。

 紛争地を取材するフリーランスへのバッシングは、社会の弱者、少数者を排除する風潮、ヘイトスピーチにもつながっていると感じる。いやな世の中になったものだ。バッシングする人は、政権、「お上」にたてつくやつはけしからんと権力者の側に立って、虎の威をかりて攻撃する。安田さんは、安倍政権を厳しく批判していたから、なおさら叩かれやすい。
 ベトナム戦争の時代は、一発スクープを狙ってやろうという若いフリーランスだけでなく大手メディアも取材班を送り込んで戦争報道を積極的に行った。日本人だけで15人もの犠牲者を出したが、フジテレビや日経新聞共同通信などの記者、カメラマンも命を落としている。そのときには亡くなった人は「殉職した」とみなされ、敬意をもって受け止められた。いまのギスギスした雰囲気とは違っていた。
 もっとおおらかな世の中になってほしいものだ。

日本記者クラブの色紙に安田さんは、あきらめたら試合終了という言葉を書いた