「東京クルド」主人公のいま

 街のあちこちに彼岸花を見かける。
 もうすぐお彼岸だ。
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 このブログで7月、映画『東京クルド』(日向史有監督)を紹介した。

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「東京クルド」の主人公、ラマザン(左)とオザン

 在留許可がないまま日本で成人になり、将来の夢をどう描くのかに苦悩する二人のクルド人青年を主人公にした出色のドキュメンタリーである。

takase.hatenablog.jp

 主人公の一人、ラマザンは、定時制高校を卒業後、いま話せるトルコ語クルド語、日本語に英語を加えて4ヵ国語をあやつる通訳になりたいと英語学校に申し込むが、次々に入学が断られ、その数は8校に上った。そんな挫折に苦しみながらも前を向いて歩もうとするラマザンに、私も感情移入しながら映画を観た。

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ラマザン(毎日新聞

 いま、彼はどうなっているのか。

 映画のラストは救いのない状況だったので、とても気になった。

 監督の日向さんに尋ねたら、映画制作のあと、ついに滞在許可が出たとの朗報。そして彼女もできたという。

 よかったですね、というと、でも「解決」にはほど遠いんですと、毎日新聞の記事(7月9日、10日)を紹介してくれた。

 ラマザンさんは、家族の在留特別許可を求めて国を提訴していた。その裁判は進行中だが、彼と弟(高校2年)に在留特別許可が出たという。裁判が影響したのだろう。
 とりあえずよかったな、と思ったが、しかし、5人家族で在留特別許可が出たのは2人だけで、両親と小学6年の妹(11歳)の在留は認められなかった。このままだと最悪、家族が引き裂かれることもありうる。

 クルド人たちが置かれた状態を知るにはとでも良い記事なので、以下、抜粋する。
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日本で育ち、日本語も日本の生活習慣も身についている。それなのに在留資格がなく、生きるために働くことも、自由に移動することもできない。そんな外国人が私たちの社会にいることをご存じだろうか。事実上の「故郷」で、「不法残留」のレッテルを貼られ続ける不合理。日本で暮らして15年になる、ある青年の歩みをたどった。
  
「働くことっていいことじゃないんですか? なんでそこまで否定するのかが、本当に分かりません」。埼玉県川口市で暮らすラマザンさん(23)はそう言うと、肩をすくめた。彫りの深い顔立ちが目を引く。だがよどみのない日本語が、紛れもなくこの国で育ってきたことを実感させる。
 
ラマザンさんはトルコ出身のクルド人だ。「国を持たない最大の民族」と呼ばれるクルド人は、トルコやイラク、シリアなどの中東地域に推定で約3500万人が暮らしている。独自の言葉や文化を持つ一方、各国では少数派で差別や弾圧の対象にもなってきた。ラマザンさんは9歳の時、両親と当時1歳の弟の4人でトルコから日本に来た。近しい親族が政治犯として摘発されるなど、危機が切迫していることが理由だった。
 
川口には日本最大のクルド人コミュニティーがあり、一家は先に来日していた親族宅に身を寄せた。ラマザンさんは地元の公立小学校の3年生に編入。すぐに順応し、日本語はみるみる上達していった。
 
5年生になると、クラスメートに誘われ野球も始めた。中学では野球部に入り、周りと同じ坊主頭になった。はたからは、日本人と変わりなく学校生活を送っているように見えたかもしれない。だがラマザンさんと彼らとの間には国籍以上に決定的な違いがあった。在留資格がないことだ。
 
一家は来日後、日本政府に繰り返し難民としての保護を求めている。だが、何度やっても結果は不認定。在留資格のない外国人に認められる権利は極めて限られる。就労や健康保険への加入は認められず、入管の許可がなくては住んでいる埼玉県から出られない。一家の生活は在留資格を持つ親族の援助に頼らざるを得なかった。ラマザンさんは40度近い熱が出ても、病院に行かず家で我慢した。中学卒業後は学費の安い定時制高校に進み、野球は諦めた。
 
在留資格のない外国人はどうなるのか。大半は入管の審査で国外退去処分を受け、本国に送還される。退去に応じなければ入管施設に収容され、その期間に上限はない。ラマザンさんは強制退去のための収容が一時的に免除される「仮放免」の状態が続いたが、20歳になった時に入管に呼び出され、こう告げられた。「(成人なので)いつ収容されてもおかしくない。学校に通っているとか関係ない」
 
クルド語、トルコ語、そして日本語――。ラマザンさんは三つの言語を操る。高校卒業後、自分の強みを生かした道に進もうとしたが、その前にも壁は立ちはだかった。
 
「世界中を回るのが自分の夢だったんですけど、埼玉県の外に出られない時点で世界は無理だなって。それでも自分のできることは通訳かなと思っていました。英語も身につけたら四つになる。面白いなと思って英語の専門学校に申し込んだんですが……」
 
待っていたのは、在留資格がないことを理由とした入学拒否。その数は全部で8校に上った。在留資格がなくても教育を受けることは法的に問題はないのにだ。最終的にラマザンさんは自動車整備の専門学校にたどり着いた。
 
「事情を説明したら『うちは差別していないので入ってください。政府は敵に回せないけれど、やれることはやります』と言われました」
 
2年間の勉強の末、自動車整備士の国家資格を取得。希望とは違う道に進むことになったが、理解ある人たちに巡り合えたことは大きな財産になったと、ラマザンさんは前向きに捉えている。だが、在留が認められなければ「その先」に進めない。それでも専門学校に行かなければならない理由があった。

マザンさんは3年前、家族とともに在留特別許可を日本政府に求めて提訴した。在留特別許可は国外退去処分を受けた外国人に対し、特別な事情を考慮して在留資格を与える措置だ。一家は来日して10年以上が過ぎて生活の基盤は日本にあり、トルコに戻れば弾圧の恐れがある。裁判では、トルコへの送還は幸福追求権を定めた憲法13条や、子どもの最善の利益の尊重を定めた子どもの権利条約などに反すると主張。訴訟は今も東京地裁で続いている。
 
ラマザンさんが暮らす埼玉県川口市や周辺には、およそ2000人のクルド人が暮らしているとされる。だが、在留資格を持っていない人が大半だ。背景には日本の難民認定率の低さがあり、2019年は0・4%だった。
 
家族に連れられて幼少期に来日したり、日本で生まれたりした子どもは難民として認められないまま、成長する。彼らにとって「祖国」は遠い存在で、日本が事実上の「故郷」になっていく。一方、在留が認められない限りは自力で生きていけない。ラマザンさんは、そんな矛盾した状況に風穴を開けたいと考えている。訴訟はそのための手段で、専門学校に進んだのは後に続く子どもたちを考えてのことでもあった。「クルド人の大人の中には『学んでもそれを生かせないのだから、意味がないんじゃないか』と思っている人もいます。でも、それとは違うイメージを見せるために自分はずっと学んできました。『学んだら未来がある』と示したいんです」
 
出入国在留管理庁によると、日本で国外退去処分を受けて本国に送還される外国人は毎年約1万人に上る。それに対し、在留特別許可が認められる外国人はここ数年1000人台にとどまる。「保護」より「排除」に重きを置いた姿勢は、国際的な文脈ではどう映るのか。
 
北村泰三・中央大法科大学院教授(国際人権法)は「欧州では難民認定率が2桁が普通で、非正規滞在者に救済措置を与える考えも広がっている。例えばフランスでは既に一定期間就労し、その間に犯歴がないなどの要件を満たせば、年間万の単位で正規の在留を認めている」と説明する。
 
移民の多いフランスなどと日本では事情が異なる。ただし日本も人手不足を背景に近年、外国人の受け入れ拡大に大きくかじを切っている。
 
北村教授は「非正規滞在者の在留を正規化することを含め、日本も懐の深い柔軟な政策を取り入れることを真剣に考えた方がいい。家屋の解体など昔で言う『3K』(きつい、汚い、危険)の仕事を非正規滞在の外国人がやっている現実が既にある。彼らに頼りながら、一方で『不法残留者は就労できない』という建前を押し通すのは筋が通らない」と話す。そして、こう力を込めた。「そもそも国が『不法残留者』と呼ぶ外国人の多くは帰るに帰れない事情を抱えている。まして日本で育った子どもたちはそうでしょう。最初から社会の一員として受け入れるべきです」
 
一家の在留について入管は今年6月下旬、新たな判断を示した。ラマザンさんと高校2年の弟(16)に在留特別許可を認め、それぞれ定住(期間は1年)と留学(同1年3カ月)の在留資格を与えたのだ。これまでかたくなに「不法残留」と見なしてきた入管だったが、進行中の裁判が一定の影響を与えたとみられる。
 
ラマザンさんにとっては念願の在留資格。だが喜びにはほど遠かった。両親はおろか、日本で生まれた小学6年の妹(11)の在留も認められなかったからだ。家族間で判断がバラバラになったことについて、入管から特段の説明はなかったという。「在留が認められるとしたらまず妹だと思っていました。なぜダメなのか理解できません」(以下略)
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 記事はこう結ばれている。

《日本で生きる権利はようやく手にした。だが、この先に待っているのが家族との別離だとしたら―。そう思うと胸が苦しくなる。ラマザンさんには今、結婚を考えている女性がいる。望むのはありふれた日常であり、ささやかな幸せだ。それがかなう日を、心の底から願っている》(金志尚記者)

 サッカーのミャンマー代表選手として来日後、母国のクーデターに抗議して難民申請中だったピエリアンアウンさんについては、大阪出入国在留管理局は難民と認定した。

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難民認定証を手にするピエリアンアウンさん(朝日新聞

 珍しく迅速な難民認定である。
 8月20日難民認定証明書を手渡されたピエリアンアウンさんは「日本国民、日本政府、今まで助けてくれた皆様にとても感謝しています。安心しています」と話している。(朝日新聞
 
 しかし、裁判になったり、大きく報道されたりしたケースで、例外的に在留許可が下りたり、難民認定されるだけでは、本当の意味での改善にはなっていない。

 名古屋出管に収容されていたスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが3月6日に死亡した事件では、出入国在留管理庁は「最終報告書」を公表し、入管局長ら4人を訓戒と厳重注意処分にした。まともな説明をせず、書類、画像を公開せずに、このまま幕引きさせるわけにはいかない。

 在留許可のない外国人の処遇を抜本的に変えさせるための闘いはこれからだ。

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野火止用水沿いの遊歩道に咲くヒガンバナ(9月17日)