牛久でハンガーストライキ

 ここ2、3日冷え込んでいる。
 40歳代になって体質が変わり、すっかり冬に弱くなった。寒冷じんましん対策で、明日からももひきをはいてガードしよう。また、「ひび」が切れないよう、毎日、軽石で足のかかとの角質をけずり、トウガラシ軟膏をすりこんでいる。毎年この時期のルーティーンである。去年、百均で売ってる人工のではない「本物の軽石がほしい」などとこのブログに書いたら、名古屋の坂東弘美さんが軽石を送ってくださった。ありがたく愛用しています。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20171124
・・・・・・・・・・・・・

 スーパーで商品が並んでいない棚を見かけた。「TV放映の影響により現在、品薄状態が続いております」とある。品薄になっているのは、えごま油だ。ちらほらオメガ3脂肪酸についての記事や番組が目についたが、決定的だったのはやはり「ためしてガッテン」。これで一気に売り切れに。
 雑誌もテレビも、いかにして健康を保つかという特集ばかりだが、これにもトレンドがあるようで、こないだまでは健康のカギは腸内菌叢にあるという話が流行っていた。しかし、これだけ健康、健康と騒がれると、私も感化されて、体に気をつけなくてはと思うようになる。そろそろタバコやめようかな。
・・・・・・・・・・・・

 いま発売中の月刊文藝春秋(新年特別号)に「安田純平【独占手記】シリア<1218日>幽閉記」が特集されています。
 《地獄だった―武装勢力に身動きを禁じられ、目の前で囚人の拷問が行われる。生ゴミのような食事を出され、体は骨と皮だけに…私の精神は狂う寸前だった》
 
 安田さんは「私の身に何が起こり、何を見て、何を感じたのか。それらを正確な記録に残すことが、ジャーナリストとして私に課せられた責務だと考えている」と手記に記しているとおり、これは拘束中の「正確な記録」の第一歩になるものだと思う。
 私もこの編集に協力しています。ぜひお読みください。
・・・・・・・・・・・・・・・
 茨城県牛久ににある「東日本入国管理センター」の酷い実態は以前このブログで紹介した。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20180726
 ここで先月から入所者が抗議のハンガーストライキをやっていた。友人のジャーナリスト樫田秀樹さんの報告をFBから引用させてもらう。

《2週間以上も水も飲まないハンストで手続きの改善を訴えていたブラジル人男性がついに気を失い倒れた。予想はしていたが、とりあえず、すぐに医務室に運ばれ点滴を受けたようで、最悪の事態だけは避けられた。
 (略)同センターでは、不法滞在をしたり、難民申請をしたけど認定されないなど、日本での「在留資格」がなくなった外国人男性の300人以上が収容されている。
 ここで11月20日から20人以上の被収容者がいっせいにハンストに入った。それはこのFBでも伝えたが、その一人がブラジル人男性のWさん、日系3世だ。
 在留資格を失った外国人であれ、逃亡の恐れがなく、保証人などがいれば、「仮放免」で日本に住むことができる。だが、この仮放免は申請したら最短で70日、最長で120日かかるが、一度の申請で認められることはほどんどない。私がアクリル板越しに取材した延べ約20人の被収容者は、最も多い人で15回前後も仮放免申請を出している。しかし、3カ月前後も待って「不許可」の通知をもらっても、その理由は一切告げられない。書類に一言「理由なし」と書かれているだけだ。
 自分たちはいつここから出られるのか。
 この仮放免制度の運用があまりにも不透明なことに憤りを覚えた被収容者のうち20人以上が話し合いの末に、いっせいハンストに入った。
 11月26日。私はWさんに会ったが、他の人と違って、彼は「水なしハンスト」を貫いていた。その時点で既に1週間。私は大丈夫なのかとの不安を覚えた。
 管理センターは、建物の中がいくつかのブロックに分かれているが、11月28日、Wさんは1Aブロックから7Bブロックに移送された。7Bブロックとは一人部屋だけの区画だ。つまり、それまで一緒にハンストをしていた1Aブロックの仲間とはもう会うことができず、28日にWさんと面会した市民団体のメンバーはこれを「ハンスト崩しだ」と見るが、その意図があるかどうかはともかく、確かに、ハンストを実施する人はこの日を境に激減する。
 そして、私は12月5日にWさんを再訪。アクリル板の向こうのWさんは11月26日に会った時よりも痩せていた。驚くことに、まだ水なしハンストをやっていた。
 「もう体が慣れたのか、水がなくても苦しいとは思いません」
 すでに水なしハンストを始めて2週間が経った。危ない。やめるべきだと思ったが、Wさんは「いつまでやるか、いつやめるかはまったく考えていない。ただ、朝起きたら、今日もやると思うだけ。その繰り返しです」との決意を固めていた。それは決意かもしれないし、意地なのかもしれない。
 私がやめるべきだと思ったのは、 同センターは、Wさんたちの11月20日の申入書に対して、その翌日には「回答しない。仮放免の運用も変えない」と回答しているからだ。つまり、ハンストをしても効果はない。たった一つ効果があるとすれば、それは誰かがハンストで亡くなり、マスコミがやっとこの問題を報じた時だ。
 翌日の12月6日にWさんは倒れた。それを知ったイラン人の被収容者が市民団体メンバーに電話で伝え、メンバーから私に連絡が入った。
 同センターにおける最大の問題は「いつ、ここから出られるのかまったく判らない」ことだ。刑務所なら罪の重さに応じて「あと何年」とわかる。
 だが、難民申請しただけの人たち、あるいは仮放免申請を出している人たちには「いつ』が判らない。
 今回のWさんが倒れた一件で私はつくづく思った。頑張るのはハンストなどで臨もうとする被収容者ではない。普段、人権、人権と声高に叫んでいる人たちなど、外部の人間こそが何かをすべきなのだと。》

 樫田さんに「お前は何をするのか」と突きつけられている。少なくとも関心を持ち続けていこう。