青空に柿。秋深し。
思うようにいかずにいるときに、トラブルが降ってわき、そこに安田純平さんが帰国したりと、落ち着かない日々だった。気が急いていると周りの景色や、月や星なども目に入らなくなる。意識的に自然に目を向けよう。
もう月末、資金繰りがきびしいな。
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日本が世界報道自由度ランキングで低く評価されるのはなぜか。
小熊英二氏が、香港フェニックステレビ東京支局長の李苕(リミャオ)氏(女性)の体験談(『Journalism』誌10月号)を紹介しながら論じている。的を射た指摘である。どこから変えていったらいいのか、考えさせられる。
《李が東京に着任したのは07年、ベテラン外国人記者に「日本で取材するのはとても大変だよ」と言われる。官邸で取材したいと官邸記者クラブの幹事社キャップに面会すると、「あなたみたいな外国メディアが、簡単に取材できると思っているのか」とあしらわれた。
私も外国や日本のフリー記者から類似の話を聞いた。民主党政権下で官邸や官庁の会見が記者クラブ外のメディアや記者にも開放されたが、現政権では事実上の制限がなされているという。
李は何とか官邸記者クラブに加入できたが、日本の官邸クラブの風習に違和感を持つ。「質問できるのにしない日本の記者が多いことを、いつも不思議に感じている。私が質問すると、びっくりしたような表情をする記者も時々いる」。大臣の取材に行くと、官庁の広報から「質問はできません」「あなたには場慣れする必要がある」と告げられる。麻生太郎財務相に経済問題を質問すると「(日本は)中国と違って何でも言える国ですから、いい国なんです」と無関係な返答をされる。それでも李は、「馬鹿にされようと、まともな答えが返ってくるまで私は繰り返し質問した」という。
李はいわゆる「反日的」な記者ではない。中国で「日本が宮古島でミサイルを配備」という誤報が出た時は、誤りを指摘し、中国のネット右翼から「売国奴」「死ね」などと罵倒された。それでも、「自国の誤った報道を知りながら放置することも、事実を伝える仕事を半分放棄したのと同じ」というのが信条だ。
李の体験は、日本の「報道の自由」の性格を教えてくれる。大手メディアの正社員になり、記者クラブに所属し、外国人や女性ではなく、大臣や官庁が嫌がる質問をしなければ、「報道の自由」を享受しやすいのだ。だがこうした「自由」は、国際的には高く評価されない。
またこうした大手報道機関の排他的な「特権」は、メディア不信の温床になりやすい。報道に限らず、技能や専門知識のある者が他と違った地位に就くのは、役割分担として正当化できる。しかし責務を果たさずに地位に安住していたら、既得権にしか映らないだろう。
李はいう。「私はこの平和な国・日本で質問し、取材できるありがたみを感じている。だが、日本の記者はどれだけ感じているだろうか。もっと質問すべきだと思う」。日本の報道機関が国内外で評価されるには、報道する側が自分の地位を自覚するとともに、その地位にみあう責務を果たすしかない。》(朝日新聞10月26日論壇時評より)