8月10日、周防大島の沖家室(おきかむろ)島で泊めてもらった泊清寺住職、新山玄雄さんがフェイスブックにこんな写真を載せていた。
「流れ灌頂の精霊船」というものだそうで、「お盆にこの娑婆世界においでになった精霊が、極楽浄土にお還りになるための精霊船です」との説明が書かれてある。浄土系の宗派の行事なのか。毎年、檀家の人々が船を作って16日に流すのだという。精霊流しの一種なのだろう。
お盆というのは、仏教行事となっているが、仏教渡来以前から日本列島にあった魂祭(たままつり)という祖霊祭がベースになっているという。そして盆踊りは本来、お盆に祖霊を慰めるための行事だったというから、あらためて、我々の文化の根っこには「ご先祖様」の存在があることに気づかされる。
私は、今年はお盆の時期をはずして、今週末にお墓詣りをする予定だ。
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節気はそろそろ処暑(しょしょ)になる。
処は止まるという意味。残暑のなか、少し暑さが収まるころ、ということになっている。本来の七夕はこのころなのだそうだ。新暦の7月7日は梅雨のただ中で見えない天の川も晴れた秋空によく見えるようになる。
23日から初候「綿柎開」(わたのはなしべ、ひらく)。はなしべが開いて白い綿毛が顔を出すころだ。28日からが次候「天地始粛」(てんち、はじめてさむし)。朝夕が涼しくなる。末候の「禾乃登」(こくのもの、すなわちみのる)が9月2日からだ。稲穂が色づきはじめる。もう秋が始まる。秋刀魚も楽しみだ。
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『紛争地の看護師』(小学館)という本が好評だという。新聞や雑誌の書評でもよく取り上げられている。著者は国境なき医師団の看護師、白川優子さん。
《「国境なき医師団」看護師として過去8年間でイラク、シリア、イエメン、南スーダンなど17カ所の紛争地に派遣された。彼女を過酷な医療現場に駆り立てるものは何か。そこで何を見たのか。》(内容紹介より)
いわば戦場の看護師である。本の冒頭は、優子さんがイラクのモスルに行くと告げると父親が「また行くのか!あんな危ねぇところによぉ」と心配する場面から始まる。そんな危ないところにどうして行くのか。
《「何もあなたが行くことはない」
「日本でだって救える命はある」
では、誰が彼らの命を救うのだろう。
彼らの悲しみと怒りに、誰が注目するのだろう。》
こうして決意して行った先々で、絶望的な現実に打ちひしがれ、泣いては再び気持ちを奮い起して医療に取り組んできた。
「イスラム国」の首都、シリアのラッカ近郊に派遣されたときのこと。運び込まれてきたなかに空爆で負傷したカディージャという女性がいた。爆撃で手を足を負傷し、妊娠5ヶ月の赤ちゃんを失い、さらに夫も亡くしていた。看病する母親は、娘の回復とともに笑顔を見せるようになったが、父親はいつも無表情で、誰とも会話を交わさず、水を汲み、食糧を調達し、娘の体を動かす手助けをしていた。
《娘の繰り返される手術のたびに、彼女の病室で待てばよいものを、椅子のない手術室の前で、彼女が出てくるまでじっと黙って待っている 。
彼は鬱でも心神喪失でもない。彼は巨大な怒りを放っていた。
娘と妻の笑顔の向こう側で渦巻いている彼の怒り。
この怒りを彼は誰にぶつけたいのか。
彼の怒りを世界はどこまで知っているのか。
彼が自ら発信できぬならば、それは私が世界に伝えていかなければならない。》
これが白川優子さんの執筆の動機になっている。発信できない人びとに代わって自分が伝える。ジャーナリズムとは何か、その源を考えさせる文章である