「さきの大戦」が残したもの

 
朝、家を出たら蝉がいた。死んでいる。生をまっとうしたのだな。
蟻に運ばれて、命が循環していくだろう。
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 きょう帰宅して、録画しておいた番組を二つ観た。

 まず、NHKスペシャル『届かなかった手紙 時をこえた郵便配達』(19日OA)で、これは軍事郵便の話だ。
 《太平洋戦争中、戦場の兵士と故郷の人々の間を行き交った「軍事郵便」は、年間4億通に達した。ところが戦況が悪化するにつれ、“宛先に届かない”手紙が増えていった。米軍や豪軍に押収され、その多くは返還されなかったのだ。検閲に配慮しながら、死と向き合う極限状態の中で紡ぎ出された、家族や友人への愛情にみちた言葉の数々。しかし兵士たちが手紙に託した切実な思いは行き場を失い、70年以上の長きにわたって彷徨っている。(略)番組では、宛先の遺族や関係者を探し、70年余りの時を経て初めて手紙を届ける。配達先で見えてきた、手紙に秘められた様々なドラマから、知られざる戦争の一断面を描き出す。》https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20180819
 ガダルカナル島ペリリュー島硫黄島、フィリピンルソン島など、玉砕した戦地では、米軍が戦死した日本兵の所持品を押収し資料にした。その中に、兵士が家族に書いたが送られぬままとなった手紙、また兵士が死ぬまで大事に持っていた妻からの手紙などもあった。番組では、そうした手紙を宛先を辿って親族に渡していく。書かれて70年以上たった今、手紙をみて号泣する遺族の姿が印象的だった。
 あの戦争は日本にとってどんな意味があったのか。終戦記念日天皇の「おことば」でも「さきの大戦」と表現され、日本ではあの戦争にまだ正式名称さえない。もっと戦争のことを勉強しなくては、などと、番組を離れて思いが広がっていった。

 二つ目の番組は、ETV特集『自由はこうして奪われた〜治安維持法 10万人の記録〜』(18日OA)。
 《1925年に制定された当初、主に共産党などの取締りを目的としていた治安維持法。しかし、20年間にわたる施行期間の中で、取締りの対象は、共産党の外郭団体、そして戦争遂行などの国策に妨げとなる人々へと拡大していった。番組では、取締りの実態を記録した司法省や内務省などの公文書の中から、10万人にのぼる検挙者のデータを抽出。なぜ一般の市民まで巻き込まれることになったのか、検証を行った。》
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259621/index.html
 これは怖い番組だった。共産党を取り締まるという趣旨で制定された治安維持法だが、結果として10万人以上が検挙され、そのほとんどが共産主義とは関係のない人々だった。死刑になったケースを含め多くの人が命を落とし、精神的肉体的に消えぬ傷を負わされた。
 どんどん法律の文言が拡大解釈され、法律の相次ぐ「改正」で、拡大解釈に合わせて条文が新たに作られていく。「目的遂行罪」の導入は、共産党員でなくとも、共産党の目的を手助けしていると見なされれば犯罪となる。以降、検挙された圧倒的多数が目的遂行罪によるものだった。このことは現在もまた今後も教訓にしなければならない。
 また、戦前は捜査段階の自白調書は、一般の刑事事件で有罪の証拠には使えなかったのに、治安維持法で自白調書が証拠と認められた。それが、日本の刑事裁判における自白偏へとつながっていると研究者は語っている。戦後に廃止されたとはいえ、治安維持法の見えない姿が残っているのだ。
 45年間、治安維持法の被害者たちは毎年、謝罪と実態調査を求めて請願を繰り返している。「さきの大戦」で積み残された課題がまだまだあることを突き付けられた気がした。