「しあわせ」の濫発

 明けましておめでとうございます!


 晦日の夜12時を回り、近くの「内藤神社」に初詣に行った。本来、初詣などは、遠くの著名な神社ではなく、地域のこうした氏神様でお詣りするものだった。12時半ごろでもう長い行列ができ、境内には焚火がたかれ、参拝者にお神酒、甘酒、おでんがふるまわれる。参拝しに来るのはみな地域の住人で、いい雰囲気である。
 この「内藤神社」は明治政府に弾圧された犠牲者を祀ってあるユニークな神社で、かつてはこの辺りの農民の結束の象徴みたいな存在だったと想像する。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20130102
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 晦日の夜は、自宅でおせちを肴に楽しく飲んでいた。うちの取材班は年末年始も仕事だが、時差のある某国からの連絡は未明になるのでゆっくりできるのだ。ウラに観たい番組もなく、何となくチャンネルはNHK紅白に。紅組のトリの前が高橋真梨子なので、そのままずっと観てしまった。20歳過ぎになって、紅白をちゃんと全部観たのは初めてかもしれない。
 出場する歌手、グループの名を知らないことに愕然とする。AKB48はかろうじて知っているが、「なんとか46」が二つも出てきて区別つかず、名前が英語とローマ字の氾濫で男か女かも分からず、いったい何が何やら・・。もちろん楽曲は初めて聴くものばかり。
 もの珍しさで観ているうち、あることが気になってきた。歌詞に「しあわせ」というフレーズが出て来る頻度である。
 まず、紅組トップバッターのLittle Glee Monsterの「好きだ」。(・・どんな本にも書いてないよ ぼくたちの幸福論は・・)
 次の山内恵介の「愛が信じられないなら〜貴公子たちの舞踏会」では(・・僕たちはそれをしあわせと呼ぼう・・)
 昔は「幸せなら手をたたこう」などの歌はあったが、もっとあっけらかんとしていて、今のようななんでもかんでも「幸せ」に結び付けることはなかったように思う。「パパ何やってんの」といぶかる娘の側で、杯片手にテレビをみながらメモをとっていた。
 「しあわせ」「幸福」「ハッピー」まで含めると、坂本冬美「男の火祭り」の(・・あっぱれ幸(さき)はふ国よ・・)なんてのもあれば、三代目J Soul Brothers「HAPPY」(・・未来永劫ハッピーなライフ・・)、Perfume 「TOKYO GIRL」の(・・ハッピーFeeling good・・)などなど。数えると13曲も。せっかくメモしたので紹介しちゃおう。
 Sexy Zoneの「ぎゅっと」(・・生れてから死ぬまでの一生の中にどんなしあわせが待ってるんだろう) 
 SEKAI NO OWARI「RAIN」(・・幸せなような涙がでそうな・・)
 福山雅治「トモエ学園」(・・教えてくれたんですね「大好き」ってこと「幸せ」ってこと・・)
 西野カナ「パッ」(・・ため息ばかりじゃ幸せが逃げていくわ・・)
 松田聖子「新しい明日」(・・生きてることは幸せだときっと感じられるから・・)
 松たか子「明日はどこから」(・・幸せと感じたときに・・)
 星野源「Family Song」(・・ただ幸せが一日でも多く側にありますように・・)
 Superfly「愛をこめて花束を」(・・無理に描く理想より 笑い合える今日の方が ずっと幸せね・・)
 「幸福論」が流行っている。近年、「しあわせ」がひっきりなしに求められる世の中は、どこか病的な感じがして気になっていたところだった。

 すると、元旦の朝日新聞一面は、「平成とは」シリーズでの「幸福論」の第一弾。矢沢栄吉の写真とともに「一瞬のハッピーがあれば、人はまた走れる」の大見出しだ。
 正月のブログでは「しあわせ」について考えてみたい。
(つづく)