棺を覆うて人定まる

takase222013-01-01

新年おめでとうございます。
元旦は家でゆっくりすごした。
夕方うす暗くなってから、近くの内藤神社に初詣。十数年前の275年祭の碑があるから、江戸時代にここにできた村社なのだろう。何万人もが参拝する有名神社とは違って、近くに住む人たちが三々五々静かにお参りに来ていた。
『神社は警告する』の執筆過程で、神社のおもしろさを知ったが、とくに地域コミュニティとともに歩んできた村社を大事にしたいと思う。
とりあえずは、今年の世界の安穏を祈りたい。
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年末は板垣好記君の急死で締めくくられた。
30日にお通夜。通夜のあと、参列した同窓生十人以上で飲み屋に行って飲んだ。
はじめはしんみりしていたが、北海道への修学旅行の温泉での話で盛り上がり、爆笑につぐ爆笑となった。
男湯と女湯の間にスリガラスのような材質の仕切りがあった。それにお湯をかけるとより「透ける」ことがわかった悪ガキたちは、せっせとお湯をかけ、「いま入ってきたのは誰々だ」などと「実況放送」。なかには仕切りをよじ登って覗く奴まで出て、旅館に大顰蹙をかったのだった。率先して騒いでいた板垣は、即先生に呼ばれて大目玉をくった。
板垣はガキ大将だったので、この手の逸話には事欠かない。
こういう昔話をして笑っている顔を見回すと、しぐさや表情、語り口も昔と同じだ。人は変わらないものだなあとしみじみ感じる。
31日大晦日が告別式。大晦日に喪服を着たのは初めてだ。
式場での読経までは現実感がなかったが、「お別れ」で、お棺に入った彼の顔を見るとどっと涙がこみ上げて、父の時より泣いてしまった。なにしろ中学以来の親しい付き合いなのだ。
4人のお子さんのうちご長男があいさつした。これが素晴らしかった。

口やかましい母と違い、あなたは多くを語らず、背中で私たちを導いてくれました。心から尊敬する最高の父親でした。
二人のおかげで私たち4人は成長することができました。ありがとう。もうしっかりと生きていけますから安心してください。
天国から5人を見守るのは大変でしょう。私たち4人は大丈夫ですから、母だけを見守ってください。
寂しがりのあなたですから、そちらに独りでは寂しいでしょう。でも、しばらくはがまんして、私たちが母に親孝行をする時間を少し与えてください。
私たち4人は、あなたの背中を追って歩いていきます。あなたの背中は大きく、超えられないかもしれませんが、私たちは追いかけていきます・・・

涙で何度か詰まりながらも、原稿もなく、言いよどむこともなく語り切った。あまりに健気で涙を誘われ、参列した同窓生はみな目にハンカチをあてっぱなしだった。女子たちはしばらく嗚咽が止まらなかったほど。
「子どもにあんなにすごいスピーチをするなんて、板垣はすばらしい父親だったんだねえ」と感嘆の声がもれる。
これまでで、彼をもっとも尊敬した瞬間だった。
挨拶の後、ロビーで長男をみかけたので、「とても立派だった。俺たちもこれで安心したよ」と声をかけた。
「棺を覆ってはじめて人の真価がわかる」という言葉があるが、まさにそうだった。