報道されないことは存在しないこと

takase222015-02-22

昨夜の湯島天神
もう梅が満開だった。

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明けてきょう、誕生日がきて62歳になった。
少年老い易く、学成り難し。実感する。
おかげさまで心身ともに元気なのがありがたい。
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カメラマンの旅券取り上げ事件で、外国特派員協会が17日、「会長声明」を出している。
http://www.fccj.or.jp/images/PDFs/2015-2-20Statement.pdf
ほとんど紹介されていないので、ここに訳出しておこう。

「外務省による日本人ジャーナリストの旅券没収への懸念」
(略)
 我々は、今回の旅券取り上げが、海外に出る他の日本人ジャーナリストへの危険な前例となり、日本における報道の自由を侵害することを憂慮します。
 我々は日本政府に対し、杉本氏の旅券をただちに返還し、彼にフリーランスのカメラマンとして海外に出る権利を与えるよう求めます。これは報道の自由の問題だけではなく、彼の生計、生活を守るという問題でもあります。
 我々はまた、海外の日本人ジャーナリストを―常勤スタッフおよびしばしば危険な仕事に地域的に雇われるフリーランスともに―よりよく保護するために、日本政府が報道機関・メディア企業と協同するよう求める。
 海外の紛争を取材するすべての日本人ジャーナリストが直面する危険がますます大きくなるなか、これは、日本が、海外にいるジャーナリストと国民に対するグローバルな安全という面で世界のリーダーとなる好機なのです。》
 最後の一文は、安倍ちゃんにアピールしようとしたのかも。

次は、きのうのブログに書いた朝日新聞の杉山正記者の受賞に寄せた池上彰氏の文章。
《「報道 悲劇なくす第一歩」

 国際ニュースは、何のために報じるのだろうか。日本人の関心が薄い地域での内戦や紛争、事件の報道を見るたびに感じる素朴な疑問です。
 でも、それを伝える新聞を読むたびに思うのです。たとえばルワンダの大量虐殺。それまで隣人だった住民たちが、突然殺し合う。そんな悲劇が、なぜ起きるのか。人間という存在の恐ろしさを改めてかみしめる一方で、和解への努力を見ることで、人間の気高さも知ることができます。
 たとえば南スーダンの内戦勃発。紛争地に派遣された自衛隊にとっての困難さとは何かを知ることで、自衛隊員の安全確保の課題に取り組めます。
 たとえばナイジェリアのボコ・ハラムの蛮行。過激派がなぜ勢力を伸ばすのか。そこには、それを許してしまう国内情勢があるからです。そんな事情を知れば、過激派を生む土壌を減らしてための条件づくりの大切さがわかります。
 自称「イスラム国」による残虐行為を見ると、報道する側は、取材に当たっての危険性にも目配りをしなければなりません。それでも、「危険だから」と言って紛争地にまったく近づかなくては、その紛争は報道されません。情報社会の現代においては、報道されないことは存在しないことでと同じです。報道することで、存在が世界に知られ、救援の手が差し伸べられたり、対策が取られたりするのです。
  

 悲劇の存在を伝える。それが悲劇をなくすための第一歩なのです。