大統領選挙とアメリカの時代の終わり

寒くなって、ナンテン、千両、万両など赤い実が目立ってきた。
通勤途中見かけたハナミズキ。赤い実が青い秋空に映えて美しい。

トランプの勝利は意外だった。
アメリカの新聞は圧倒的にクリントン支持だった。
《(アメリカ〉国内日刊紙の発行部数上位100紙中、クリントン氏支持を表明したのは55紙で、発行部数の合計は1282万部に上る。カリフォルニア大サンタバーバラ校などの調査によると、民主党寄りの新聞だけでなく、4年前の大統領選で共和党を支持した保守系の地方紙からも今回、クリントン氏支持への転向が相次いだ。一方、トランプ氏支持はネバダ州の地方紙1紙だけ。》毎日新聞10月31日)
http://mainichi.jp/articles/20161031/k00/00m/030/098000c
日本のメディアもアメリカの新聞の影響下で記事を作る。マスコミからの情報しか得ていなかった私が驚くのは当たり前だろう。
トランプ当選を受けて、テレビや新聞でその理由をめぐり、たくさんの論評が出た。
暴言を繰り返して話題を作った、メディアを敵に見立てて注目を浴びた、不満を煽り集団間の対立を演出した、など彼の選挙手法など戦術面での成功もさることながら、アメリカ社会のなかに本質的な変動が起きているのは確かだろう。

いろいろな分析、評論のなかで、私がもっとも印象に残ったのは、評論家の三浦小太郎さんの《「わが祖国」を歌うアメリカ人はいずこへ アメリカの時代と夢が終わるとき》だった。http://miura.trycomp.net/?p=3979
ある歌を紹介する形で、アメリカ大統領選挙に触れてこう書いている。

《よく誤解されがちなのですが、反知性主義ポピュリズムという言葉は、悪い意味だけではなく、あらゆるイデオロギーの欺瞞性を本質的に見抜く生活者の意識という面もある。この意味で、ガスリーも、そしてスプリングスティーンも、多くのすぐれたアメリカの歌い手は、最もいい意味でのポピュリズム性をどこかで持っています。そして、例えばクリント・イーストウッドの映画には、これこそアメリカの保守派の神髄を感じさせられますが、リベラルと保守という表層の違いを超えて、いずれももっともよい意味での「反知性主義」、もっと言えば、知識人やジャーナリズムの上からの啓蒙を拒絶するものが共有されているように思えます。
今回のアメリカ大統領選挙の複雑さは、このような生活者が持つ既存の権力や特権階層に対しての怒りが、リベラル派でも保守派でもなく、トランプ的なアジテーションにしか共鳴する場がないということではないかと思います。その意味で、本当にサンダースは惜しかった。サンダース対ルピオだったら、全く違う、アメリカン・リベラリズムと保守派の伝統的価値観のぶつかり合う大統領選の構図があったはず。しかし、そのようなアメリカの理想を、リベラルも保守ももう体現できる力を失っていたのでしょう。リベラル派が既得権益的なクリントン、保守派がグラスルーツの本音を最も野蛮な形で体現するトランプを候補にせざるを得なかった今、アメリカの夢も、アメリカの理想も、そしてアメリカの時代も終わりつつあると実感します。クリントンが勝とうがトランプが勝とうが、アメリカの夢も、アメリカの時代も終わります。アメリカの軍事的覇権はまだしばらくは強大なものですが、それとは関係ない。アメリカ的な価値観が世界に対し説得力と魅力を持った時代が終わるということでしょう》

三浦さん、さすがに読ませるなあ。
ここにいう「生活者が持つ既存の権力や特権階層に対しての怒り」は、グローバリズムの行きつく先に、欧米だけでなく、日本でも中国でも、世界中で噴出しようとしている。そしてそれをこれまでの政治システムが受けとめられないという現象がここそこで起きている。
時代を見る眼を確かなものにしなければ。