新任務の訓練に入る自衛隊

 台風で暴風雨の中、長靴を履いて出かける。
 台風が来ると天気予報で「猛烈」という言葉が使われる。「県内各地で猛烈な雨が・・・」と。昔、小川ローザがミニスカートがまくれて「Oh!モーレツ!」と叫ぶCMがあったが(古い話だな)、「猛烈」というのは当時でもあまり日常では使わない言葉だったから流行ったのだと思う。天気の表現だけに「猛烈」を使うのはなぜなのか。台風が来るたびに考えてしまう。
 それはともかく、猛烈な風雨だった。傘が壊れ、ズボンはびしょ濡れに。ちょうど雨がやんだとき国会図書館に着いた。するとあたりが蝉の声でいっぱいになった。それまでの風雨の時間を取り戻そうとするかのように。早く雌を引き寄せなくては・・と。
【雨上がり、ワーンといっせいに蝉の声が】
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 いよいよ自衛隊が「新任務」の訓練に入る。
《政府は、安全保障関連法施行に伴い自衛隊の新たな任務となった「駆け付け警護」と「宿営地の共同防衛」の実施に向け25日にも国内訓練を開始する方針を固めた。自衛隊の海外活動を拡大する安保法が運用段階へ本格的に移行する。南スーダンの国連平和維持活動(PKO)にこれから参加する陸上自衛隊部隊へ新任務を付与することを想定。稲田朋美防衛相が24日に訓練開始を正式表明する見通しだ。政府関係者が19日明らかにした。南スーダンでは現在、陸自第7師団(北海道千歳市)を主力とする約350人が10次隊として活動している。》(共同)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016081901002097.html
 各地のPKOの実態を知る伊勢崎賢治氏は、南スーダン自衛隊は、日本の「PKO派遣五原則という虚構」を守るためだけに駐留させられていると指摘、強く警鐘を鳴らす。http://wpb.shueisha.co.jp/2016/08/22/70504/
 新しい安保法制にもとづく具体的措置が南スーダンから始まるというのは、きわめて危険である。「稲田防衛相が24日に訓練開始を正式表明する」とされるが、何を語るのか。
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 前回お知らせした番組「ゲンよ、中国へ渡れ」。坂東弘美さんは、漫画『はだしのゲン』10巻を6年がかりで中国語に翻訳、中国本土での出版を意図するが、政治的な理由で出版社がのってこない。壁にぶつかるなか、関心をもつ台湾の出版社が現れ、ついに今年台湾で書店に並び、中国語圏への普及の第一歩を踏み出した。坂東さんの熱意が報われてよかった
 坂東さんが中国にここまで関わるようになった大きなきっかけは、戦争中のお父さんの行為に衝撃を受けたことだったという。お父さんは、1937年の上海・南京攻略戦に参加し、手記にこんな記述を残していた。
 「占領した集落には残敵がいるかも知れぬので掃討を隅々まで行う」「家の角に一団となって隠れていた婦女子を見つけ始末に困った。やむを得ず銃剣で刺殺せねばならぬ」「一番可哀想であったのは一団の中で若い母親が子どもを抱き泣きながら助けを求め機関銃の犠牲になった光景である」
 お父さんは心ならずもではあったにしても、兵士の一員として残虐行為に手を染めていたのだった。坂東さんはお父さんが残した手記を『私は「戦争」から生きて帰った―日中戦争従軍兵士阿部要の手記』という本にまとめている。
 以前、このブログで日テレのNNNドキュメントで放送された「南京事件 兵士たちの遺言」を紹介した。日本軍兵士たちの陣中日記に記された「捕虜せしシナ兵の一部5千名揚子江の江岸に連れ出し機関銃をもって射殺。その後、銃剣にて思う存分突刺す」などの記述から実際に起きたことを検証していく番組だった。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20151019
 ここでは、南京攻略後、捕虜になった敵兵を集団的に「処分」した例が紹介されていたが、それだけでなく、坂東さんのお父さんの部隊のケースのように、農村部での民間人虐殺も広く行われていたわけである。現場にいた兵士たちの手記は資料的価値が高く、公的機関がしっかり保存し利用できるよう整備すべきではないか。