また、ヒョイとあの時代に・・(野坂昭如)


カンボジアの最高の織り手による草木染めの絣(かすり)の布をきょう家に飾った。
シエムリアップに森本喜久男さんが作った織物の村「伝統の森」を10月に訪問したさい、思い切って買ってきたのだった。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20151011
眺めていると、養蚕からデザイン、染め、織りとさまざまな工程で作業中の人々が浮かんでくる。
家宝である。

写真家の内藤順司さんが、2008年から「伝統の森」に通って撮影した写真をまとめた『いのちの樹 IKTT森本喜久男 カンボジア伝統織物の世界』が出版された。
https://www.facebook.com/IKTTtreeoflife/

伝統織物の世界の奥深さ、村のゆったりとした日常、取り囲む自然の美しさ、そして森本さんの織物への情熱が見事に写しとられている。

先月20日、東京で出版記念のトークショーがあり、そのとき森本さんに会ったのだが、ちょっと疲れた顔をしていた。ヘビースモーカーの森本さんがタバコにほとんど手をのばさないのも気になった。
すると、カンボジアに戻った直後、入院したことをフェイスブックで知らされた。
《日本からの帰国便で、体力がなく初めて車椅子の世話になった。
今回は日本滞在中も、何度か呼吸困難になり心不全と貧血の症状があらわれていた。
シェムリアップに到着後、再び心不全による呼吸困難のため行った州立病院では対処できず、急遽アンコール国際病院に入院することに。そして2泊、今朝、少し改善が見られたので一旦退院することにし、市内のホテルに移動し様子を見ることにした。
一時緊急に輸血の必要な状況で、シェムリアップ在住の一部日本人の方にお心配をお掛けしましたこと、感謝するとともに、あらためてお礼申し上げます。》
https://www.facebook.com/kikuo.morimoto/posts/1026332337418158?fref=nf
よくなって通常生活に戻ったようで安心したが、さすがに禁煙を言い渡され、口寂しさにストローをくわえて仕事をする森本さんの姿をFBで見て笑った。
くれぐれもお大事に。

この機会に、森本さんのFBにアップされた村の日常を映した動画を紹介したい。
https://www.facebook.com/video.php?v=1031205796930812&theater
「幸せ」とは、「働く」とは、などいろいろ考えさせられる。

森本さんは、「人間も生(なま)ものだから賞味期限があるんだよ」と言うが、最近それを実感する。ここ一ヵ月だけでもいくつか変調が出てきた。
まず手の指の関節が痛んで腫れ、変形してきた。調べるとどうやら「ヘパーデン結節」らしい。不思議なことに第一関節にしか起きないという。原因も治療法も不明のようなので放置することにする。第二関節に同じような症状が出る病気に「ブシャール結節」というのがある。いろんな病気があるものだ。
次に、目に気になる症状が。
左目の視界の端にときおり白い光がパパっと走る。さらに右目の視界に黒い糸くずがブラブラしてきた。眼科で診てもらうと「まあ、老化ですね」。
「だましだまし」というモットーで暮らしていこう。
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開戦の次の日星になる火垂(ほた)る岩手県 桃心地) (12日の朝日川柳より)

野坂昭如氏が永六輔の番組に出した手紙は彼らしい内容だった。

 永六輔さんが出演するTBSラジオ「六輔七転八倒九十分」には、「野坂昭如さんからの手紙」コーナーがあり、7日放送分で野坂さんは今の日本を危惧する内容の手紙を送っていた。全文は次の通り。(朝日新聞11日)

《はや、師走である。町は、クリスマスのイルミネーションに、さぞ華やかに賑(にぎ)やかなことだろう。ぼくは、そんなログイン前の続き華やかさとは無縁。風邪やら何やら、ややこしいのが流行(はや)っている。ウィルスに冒されぬよう、ひたすら閉じこもっている。賑わうのは結構なこと。そんな世間の様子とは裏腹に、ぼくは、日本がひとつの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない。

 明日は12月8日である。昭和16(1941)年のこの日、日本が真珠湾を攻撃した。8日の朝、米英と戦う宣戦布告の詔勅(しょうちょく)が出された。戦争が始まった日である。ハワイを攻撃することで、当時、日本の行き詰まりを打破せんとした結果、戦争に突っ走った。当面の安穏な生活が保障されるならばと身を合わせているうちに、近頃、かなり物騒な世の中となってきた。戦後の日本は平和国家だというが、たった1日で平和国家に生まれ変わったのだから、同じく、たった1日で、その平和とやらを守るという名目で、軍事国家、つまり、戦争をする事にだってなりかねない。気付いた時、二者択一など言ってられない。明日にでも、たったひとつの選択しか許されない世の中になってしまうのではないか。

 昭和16年の12月8日を知る人がごくわずかになった今、また、ヒョイとあの時代に戻ってしまいそうな気がしてならない。野坂昭如