福島県産米から基準値超えゼロ

takase222015-03-09

叔父の49日で北陸に行き、帰り時間ができたので、金沢市鈴木大拙(すずきだいせつ)館に寄った。
兼六園から歩いて7〜8分か。
白壁の蔵のような建物の周りに水を湛えたシンプルな造作の記念館だ。後ろの小高い丘へと散策路が続いており、この辺を歩くだけでもなかなかいい。
カップルを含め若い人がたくさん来ていたのに驚いた。中には、スライドによる伝記や大拙の書、著作が展示され、読書したり静かに思索できる空間もある。
http://www.kanazawa-museum.jp/daisetz/

鈴木大拙は、自ら参禅しながら禅を英語で紹介し、世界に「禅ブーム」が起こるきっかけをつくった偉大な仏教哲学者だ。
何冊か読んだが、英語で書いた本の邦訳も多く、分かりやすい。

のちに京都学派を率いる西田幾多郎とは同年で、金沢の四高で知り合い親友となった。西田は大拙に誘われて坐禅に打ち込むようになり、その坐禅体験から『善の研究』は生まれたとされる。
ちなみに、近年、西田哲学が、なぜか知らないが世界的に注目されはじめたそうで、英語、中国語、韓国語はもちろん、ルーマニア語など20カ国の言語に翻訳されている。

大拙と幾多郎といえば、幾多郎が終戦直前、1945年6月7日に亡くなったときの大拙の歎きが知られている。
共通の友人の石井光雄がこう書いている。

昼食を食べていると、妻が、鈴木先生が来られたと知らせてきた。
「早速玄関に御迎えに出ると之れは大変、先生は靴も脱がず玄関の敷台に頭をうつ伏せに伏せてさめざめと泣いて居られ、私の顔を見らるるや否やワアーと一層激しく泣き出され『到頭西田死んだ』と云うて愈々涙をぼろぼろ落として居られ、又再び敷台に頭を伏せて泣かるるばかりで其顔色土灰の如く蒼ざめ、悲嘆の状は父母骨肉を失うも之れには及ぶまいと思えた」

鈴木大拙は覚りに達していた思われるが、この嘆きの激しさで、「覚ると感情が動じなくなる」というのは誤解だとわかる。むしろ逆で、覚ると、感性が非常に豊かに働くようになるのだという。
これについては、またいずれ。

こんど、機会があれば、石川県かほく市にある「西田幾多郎記念哲学館」に行ってみたい。
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震災4周年が近く、メディアでは震災関連の特集がつづく。

今年になって、うれしいニュースがあった。
2014年度の福島県産米に、放射能の基準値超えがなかったのだ。
東京電力福島第一原発事故をきっかけに始まった福島県産米の放射性物質検査で、昨年末までに計測した2014年産米約1075万袋全てが国の基準値(1キロあたり100ベクレル)を下回った。収穫した年内の検査で基準値超えゼロを達成したのは初めて。
 全量全袋検査と呼ばれるこの取り組みは福島県が約190台の検査器を配備して12年に始まった。全ての県産米が対象で1袋ごとに放射性セシウム濃度を調べ、食品衛生法上の基準値以下だと「検査済」のラベルが貼られる。基準値を超えると廃棄される。
 (略)基準値超えは、同じく1千万袋以上を調べた12年産米では71袋、13年産米では28袋だった。》http://www.asahi.com/articles/ASH124VDMH12UGTB004.html

少しでも高い値が出ると、そこの田に集中的に調査の手を入れ、さまざまな分野の人々が工夫を重ねた。基準値超えゼロ達成は、単に経年による土中線量の低下によるのではなく、地元でのこうした懸命の努力の結果である。すばらしい。

ただ、難しいなと思うのは、日本人の間でも基本的な判断で合意ができないこと。
先日、あるパーティで、中東取材では知られた戦場ジャーナリストのMさんと久しぶりに会った。
話が福島に及ぶと、「ぼくは福島県からはなるべく脱出した方がいいし、少なくとも若い人はみんな県外に出るべきだと今でも思っている」と言う。
福島県産の農産物は食べない」とも。
私が、米の全量検査で基準値超えがゼロになったことを挙げても、検査結果は信じられないという。
この「信じられない」状態のままで「知ろうとしない」人がいまもけっこういる。
『知ろうとすること』を読んでほしいなあ。
読んだ人の感想が以下に載っているので参考にしていただきたい。
http://i.bookmeter.com/b/410118318X