ストレスフルな日々がやってきた

takase222014-03-27

オフィス近くのビルの歩道に面して、色とりどりの花が満開だ。
ビルにこんなスペースをもうけるとは、「日本も豊かな国になったな」などと思ってしまう。こんなことを言うと、娘たちはぽかんとするだろうか。若いころ、年配の人との感覚の差を感じたが、今はその年配者に自分がなっている。
・ ・・・・
いま、強烈なストレスがかかっている。
年度末特有の金や人の動きとそれにからむ様々な調整・交渉、リスクの大きい取材で発生する軋轢(まだ具体的に書けない)、新たな番組枠の開拓など仕事関連でのトラブルが発生すると、なぜか私的なトラブルも重なるようで、次から次へとエンドレスに難題が出てくるように見える。
煙草の本数が増えている。いつもはアメリカン・スピリッツを吸っているが、両切りピースなどの強い煙草がほしくなったりする。
睡眠時間が長くても5時間で、電車で座るとすぐにうとうとしてしまい、駅を乗り越してドタバタ。情けない日常である。
こんなときこそ、しっかり坐禅しよう。
・ ・・・・・・・
こういうとき、厳しい体験をした人の本を読みたくなる。どう感じ、どう乗り越えたのか知りたい。
本棚の多田富雄『寡黙なる巨人』が目にとまった。
多田氏は免疫学の大家で、『免疫の意味論』という本を読んで感銘を受けた。文章家で、この本は大仏次郎賞を受けている。
『寡黙なる巨人』は、多田氏が2001年に脳梗塞で倒れてからのエッセイを集めたもので、小林秀雄賞を受賞している。2007年に出た本だが、パラパラと眺めただけの「つんどく」になっていた。
脳の発作のあと、話すことはおろか唾を飲み込むこともできなくなった。専門の仕事で超一流だっただけでなく、能などの芸能や文芸、音楽にも造詣の深い活動域の広い人だったから、絶望感もひとしおだったという。そこから立ち直る様子が興味深い。
自死の方法を考えて毎日が過ぎた。今思えば危機一髪だった。
でもこうして生きながらえると、もう死のことなど思わない。苦しみがすでに日常のものとなっているから、黙って付き合わざるを得ないのだ。時には「ああ、難儀なことよ」と落ち込むことがあるが、そんなことでくよくよしても何にも役に立たないことくらいわかっている。
受苦ということは魂を成長させるが、気を許すと人格まで破壊される。私はそれを本能的に免れるためにがんばっているのである。
病気という抵抗を持っているから、その抵抗に打ち勝ったときの幸福感には格別のものがある。私の毎日はそんな喜びと苦しみが混ざりあって、充実したものになっている。》(P116)
つづく