タイでクーデターの可能性

takase222013-12-30

けさ、外に置いていた鉢に氷が張っていた。初氷。今年もあと2日だ。
せわしくて大掃除もしなかったので、家の中も散らかったまま年越しだ。

伊藤律研究の第一人者、渡部富哉さんから、来年3月2日に岐阜県瑞浪市で行われる伊藤律生誕100年シンポジウムの案内が送られてきた。
5つの自治体と教育委員会の後援という画期的な催しとなる。http://goo.gl/5266zp
スパイの汚名を着せられた伊藤律をこうした形で取上げる催しはもちろん初めてだ。
律自身は生前、公の場で身の潔白を語ることはなかったが、「スパイかどうかは歴史が明らかにするでしょう」と言い遺した。取材で、日本共産党にも問い合わせたら、除名措置を取り消すつもりはないという。しかし、いつか謝罪せざるをえなくなるだろう。
テレメンタリー2013で放送された「父はスパイではない!〜革命家・伊藤律の名誉回復」はYoutube にアップされているので、見逃した方はどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=cP0LwfDb92E
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さて、タイの情勢は「落としどころが見えない」と今月あたまから書いてきたが、実際いっこうに沈静化の兆しがなく、クーデターの可能性も出てきた。
22日には反政府が17万人という最大規模の反政府集会をひらき、総選挙をボイコットすることを決めている。その後、テロも続発。27日までの死者は7人、負傷者は447人におよんでいる。(東京新聞28日)
一昨日から、さらに情勢が緊迫している。
《タイ国軍当局によると、バンコク中心部にある反政府デモ拠点の近くで29日午後、デモ参加者に対して何者かが投げ込んだ爆発物が爆発し、5人が負傷した。タイでは来年2月の総選挙に向けて、反政府派が妨害行為を続ける一方、反政府派に対する襲撃事件も起きている。
 爆発は、陸軍本部や国連事務所などが並ぶ一角で起きた。デモ隊が11月から拠点としていた。オートバイに乗った何者かが爆発物を投げ込み、走り去った。
 一帯では28日未明にも正体不明のグループが自動車から小銃を乱射し、反政府派の1人が死亡、3人が負傷した。
 総選挙に向けては、28日から選挙区立候補者の受け付けが全国で始まった。野党・民主党の地盤である南部を中心に反政府派が妨害し、全77県のうち8県でこの日、受け付けができなかった。》(朝日新聞
プラユット陸軍司令官は27日の会見で、クーデターは「状況次第だ」とその可能性を否定しなかった。異例の発言だ。軍の反タクシン派が2006年にクーデターで政権を転覆したが、さすがにこれが最後で、もうクーデターはないだろうと見られていたのだが・・。
このブログで書いてきたが、背景には、国王が高齢になり、「次」がどうなるかが不透明になっていることがある。順当にいけば、ワチラロンコン王子(写真)が世継ぎということになるが・・。
Wikipediaによれば、
《ワチラーロンコーン王子の評価については、タイ国内では不敬罪に触れる可能性があるため公の場で議論されることはまずないが、一般的にはかなり悪い。これはその親しみにくい人柄や、結婚と離婚を繰り返していることが「素行が悪い」と言う評価を作り出していることなどが挙げられる。これは国内外を問わず各地を訪問し地道に活動する妹のシリントーン王女の人気とは対照的である。このため未来の王位にはシリントーン王女が就くことを望む者が多いと一般に言われている。ラーマ9世が高齢の今、この不人気をどのように克服するかが今後のワチラーロンコーン王子の課題となっている。》
成熟した近代国家の「枯れた」王制は、温和的かつ民主的であるが、タイの体制は国王が大黒柱であり、この帰趨が抗争を呼ぶ。タイのカントリーリスクは一般に考えられているより高いと私は思っている。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080223
カンボジアでは1970年のロンノル・クーデターで共和制になったが、1993年にまた王制に戻した。ネパールは2007年に王制から共和制になった。東南アジアでは、いま政体の模索が続いている。
なお、タイの王制についてはタイのメディアは不敬罪を恐れて口を閉ざすが、私の友人の五十嵐勉さんが主宰するHPに評論があるので、関心のある方はどうぞ。
http://www.asiawave.co.jp/4tainonanbokusennsou.htm
また、以下は以前タイの政局について書いた私の日記。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20090416