先週末は上田市の友人の家に一家四人が泊まり、手料理をふるまわれ(彼は料理がとても得意 この日は軽井沢に紅葉狩りに行き、雲場池(雲場池)の周りを歩いた。この日は軽井沢に紅葉狩りに行き、雲場池(雲場池)の周りを歩いた。かみさんは「こんな見事な紅葉は生まれて初めて」と感動の面持ち。彼女、先月は休みが2日しかなく、働きづめだったので、いい気分転換になったようだ。
ここは、紅葉の名所としてマスコミで取り上げられてから、観光客が押し寄せてきたという。見物客は日本人だけでなく、コリアンやチャイニーズの声も聞こえた。
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渡辺京二のインタビュー続き。
―では現代はどう見えますか。
《あらゆる意味づけが解体され、人が生きる意味、根拠まで見失って、ニヒリズムに直面しているのではありませんか。だから合理的に働き、合理的に稼ぎ、合理的にモノを買って遊ぶ。グルメや温泉巡り、ゲームがはやるわけです。稼いで遊び、遊ぶために稼ぐ。それが人生だと。それで済む人もいるでしょう。でも人間はいつまでもは満足できない。そのうち空しくなる。》
―生きづらい世の中になってしまったのは、なぜでしょう。
《根本には、高度資本主義の止めどもない深化があると思います。基礎的な共同社会を、資本主義は根っこから破壊してしまうんですよ。たとえば江戸の長屋だったら、お隣さんに「悪いわね」といって子を預けて外出できた。ところが今は、お金を払ってベビーシッターを呼ぶ。つまり共同社会では無償で支え合ってきたものを、資本主義社会は商品化してしまうわけです。》
《お金を払えば済むわけですから便利ではあるんですよ。だけど人間はバラバラになってしまう。資本主義は一人一人を徹底的に切り離して消費者にする。その方が人はお金を使いますから。生きる上でのあらゆる必要を商品化し、依存させ、巨大なシステムに成長してきたのです。》
これを読んだとき、私は南米ペルーに住むS君の言葉を思い出していた。
S君は、お金を使わずに助け合って幸せに暮す先住民の共同体を何度も訪れたあと、お金とは何かと考えさせられたという。
その結論はこうだ。
「お金とは、信頼関係がない人たちの間でサービスを交換する手段」。
―でも、私たちはそれによって経済的繁栄を手に入れたはずです。
《その通りです。何よりも貧しさを克服した。人類は長い間、衣食住の面で基本的な生存を確保できず、初めて手に入れたのが近代ですから。しかし近代は人間を幸せにすることには失敗しました。人間に敵対的な文明になってしまった。》(略)
《まだ経済成長が必要ですか。経済にとらわれていることが、私たちの苦しみの根源なのではありませんか。人は何を求めて生きるのか、何を幸せとして生きる生き物なのか、考え直す時期なのです。》
同感だ。たしかに現代は、「あらゆる意味づけが解体され、ニヒリズムに直面している」。
絶対の意味はどこにもないのだから、なるべくたくさん楽しもうという目的しかなくなる。衣食住を楽しみ、スポーツや旅行、習いものなどの「好きなこと」を追求する。たった一つの倫理は「他人に迷惑をかけないこと」(自分が嫌なことを他の人にやっちゃだめ)。
これはニヒリズムの典型である。
(つづく)