CO2温暖化説はウソなのか? 5

takase222013-03-24

おとといは娘の短大の卒業式だった。
よく晴れて桜が満開。
私は入学式はじめ学校行事にほとんど出たことがない。卒業式くらいはと行ったのだった。ところが講堂は満員で、別会場の大型プロジェクターで式を見物。
キリスト教の学校なので賛美歌で始まる。ぽかぽか暖かいので気持ちよくうとうと寝てしまった。
宗教主任の聖書朗読があって、読み上げられたのは、なじみの一節だった。
《わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい》(マタイによる福音書 第10章16節)
このブログでも紹介し、さらに去年暮れに出版した『あきらめるのは早すぎる』(旬報社)にも引用した。
キリストが弟子たちを布教の旅に送り出すときのアドバイスである。厳しい危険の多い旅になるだろうから、賢く立ち回ることも必要だと言っている。同時に、世渡りがうまいだけでは本末転倒で、あくまで純粋な優しい心を持ちつづけなさいと。
これから社会の荒波に乗り出す卒業生におくる言葉としてはとてもいいと思う。

それにしても桜が見事だったな。
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原発=クリーンエネルギー」の宣伝に、広瀬隆氏や小出裕章氏が何とか対抗しようとしたという意図は理解できる。しかし、そのCO2温暖化説を批判の中身は、過去の懐疑論の繰り返しになっている。
先進国では珍しく、日本ではCO2温暖化論に対する懐疑論が大きな影響力を持っている。日本では2006年ごろから本が出始め、IPCC第4次評価報告書が出された2007年以降、次々に本屋に並ぶようになった。
槌田 敦『CO2温暖化説は間違っている』(2006)/武田邦彦環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(2007)/赤祖父俊一『正しく知る地球温暖化−誤った地球温暖化論に惑わされないために』(2008)/丸山茂徳『科学者の9割は「地球温暖化」CO2犯人説はウソだと知っている』(2008)/武田邦彦丸山茂徳地球温暖化論で日本人が殺される!』(2008)
温暖化問題の著作の売上げ上位を懐疑論が独占するという状況が、このときから今も続いている。
これに対し、IPCC報告書を支持し地球温暖化に警鐘を鳴らす側の研究者は「懐疑派バスターズ」というグループを作って、温暖化懐疑論に反論している。
代表格の一人、東北大学の明日香寿川(じゅせん)教授(環境政策)は、地球温暖化に対する懐疑派の主張は七つのグループに分けられるという。
? 温暖化は起きていない
? CO2より水蒸気・太陽活動の方が影響が大きい
? IPCC気候予測モデル(地球規模の平均気温上昇)は信じられない
? CO2の増加は海面から出たためで人為起源ではない
? 温暖化は歓迎すべきことだ
? 温暖化問題は原発推進派やリベラルの陰謀だ
? 貧困など優先順位のもっと高いことがある
広瀬氏と小出氏の主張している内容も、みなここにあてはまる。
地球が温暖化していること自体を否定する人は非常に少ない。ある限られた地域の統計ではなく、地球全体の平均気温を調べれば、次第に上昇しているのは、世界的にほぼ合意に達している。
懐疑派は、平均気温が変化しているとしても、その原因は、太陽黒点の変化、氷河期・温暖期サイクルその他だと主張する。つまり、人間には責任のない要因を挙げるのである。
最も主要な論点は、気温の上昇が「人為由来」(human induced)つまり人間活動によってもたらされたものかどうかだ。
ここがせめぎあいの焦点になる。これを認めると、人間が行動を起こすことが求められる。すなわち「政治」の問題になる。
2008年の洞爺湖サミットでは、2050年までに世界の二酸化炭素排出を半減させるという目標が採択された。とりわけ先進国の削減義務は厳しい。だが温暖化が人間の活動によるものでないとすれば、苦しい削減努力は不要になるのだ。

そもそもCO2地球温暖化への懐疑論は、十年以上前に欧州でさかんに唱えられ、IPCC側に立つ研究者によれば、どの主張もすでに論破されたものばかりだという。そして、「周回遅れ」の懐疑論ブームは日本特有の現象で、温暖化の原因が「人為由来」の温室効果ガスの排出にあることは国際的に決着のついた問題であるという。
来年は第5次報告書が採択される予定で、いま査読作業が進行中だ。そのドラフト(草案)の一部が、昨年末リークされた。
それによると、2007年の第4次報告書の「20世紀半ば以降に観測された世界平均気温の上昇のほとんどは、人為起源の温室効果ガス濃度の観測された増加によってもたらされた可能性が非常に高い(very likely)」の“very likely”(非常に可能性が高い=実現性が90%以上)は“virtually certain”(ほぼ確実=実現性が99%以上)へと格上げされた表現になっているという。

「人為起源の温室効果ガス」が温暖化の犯人であることはまず間違いないという認識になってきている。
紹介したように、小出裕章氏はこう言っていた。
「人類の諸活動が引き起こした災害には大気汚染、海洋汚染、森林破壊、酸性雨、砂漠化、産業廃棄物、生活廃棄物、環境ホルモン放射能汚染、さらには貧困、戦争などがあります。(略)温暖化が仮に脅威だとしても、無数にある脅威の一つに過ぎません・・・」
さまざまな「災害」「脅威」を列挙したあとで、その「一つに過ぎない」から、特別に重大視する必要はないと言う。
こうなると、「認識の枠組み」、「問題のとらえ方」が問われなければならない。
これと同じ論法を使えば、小出氏が喫緊の課題として提起する原子力発電の廃絶もまた「一つの問題に過ぎない」のではないか。無数の課題に優先順位をつけないことで、温暖化問題を事実上無視するのである。
温暖化問題は、単なる「一つに過ぎない」問題ではないと私は思う。
一つは地球(ガイア)に住む人類全体にかかわる「広さ」であり、一企業、一地方、一国ではなく、世界全体で取り組むべき問題であることだ。
もう一つは、人類の生存・存続そのものにかかわるという「深さ」である。先ほど見たように、サヘルにおいては戦争が引き起こされているのである。小出氏が列挙した「沙漠化」「貧困」「戦争」などの根底には温暖化の問題がある。
さらに三つ目として「緊急性」も付け加えたい。時間がないのである。すでに2年前、国際エネルギー機関(IEA)は詳細な調査をもとに「大胆なアクションを採らなければ、あと5年で、温暖化に歯止めをかける機会を失うだろう」(2011年版 World Energy Outlook)と警告している。
地方の利益、あるいは狭い意味での国益を超えて、世界全体で同時のアクションが求められている。
早くからIPCCにも関わってきた西岡秀三氏(国立環境研究所)は、原発のリスクと気候変動のリスクを比較してこう述べている。
「気候変動のリスクは、地震災害のリスクとは急性・慢性・自然・人為などの点で姓アックを異にする。しかし、自然の計り知れない挙動、備えを忘れる人類の油断、論議先行と行動の手遅れ、一旦ことがあったときの対応の困難さ、命や生態系など取り返しの付かない多くの損失という、さまざまな共通点をもつ。気候変動は四〇年後のことではなく今でも現実に進行中であり、先延ばしの対応はますます対応をむずかしくする。先のことと気を緩めることなく、今の削減目標をしっかり見定めた対応が必要である」(『低酸素社会のデザイン』p148)
原発にもNO、温暖化にもNO」。これしか進む道はないのではないだろうか。
(終わり)