横田めぐみさん48歳の誕生日

takase222012-10-05

きょうは横田めぐみさんの48回目の誕生日だ。
お父さんの滋さんは「本当の意味でおめでとうと言ってやれる日が一日も早く来ることを願っています」。
お母さんの早紀江さんは「ことしこそは帰って来て、みんなでお祝いしたいと待ち望んでいましたが、かなわぬまま、きょうを迎えたことが悲しく、今夜はめぐみの姿を思い浮かべながら静かに過ごしたい」と語った。
きょう横田夫妻は他の拉致被害者家族とともに、田中慶秋拉致問題担当大臣と面会した。(写真)
民主党政権下でなんと7人目だ。
2002年の拉致問題の電撃的な一部解決は、小泉政権という、好き嫌いは別にして、強力な政権があってはじめてできたのだが、首相自体がころころ替わるいまの日本は不利である。
政府の取り組みを補強するためには、拉致だけでなく北朝鮮の諸問題を広く視野に入れ、民間団体を支援し、その力を汲み上げることが必要なのだが、それができていない。何年たっても改善されないのを見ると、やる気を疑ってしまう。
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先日、横田早紀江さんの新著『めぐみと私の35年』をいただいた。
めぐみさんの誕生について、こんな文章がつづられている。
《めぐみがこの世に生を受けたのも、コスモスの花が秋風にそよぐ頃。
 私たち夫婦にとって、待ち望んだ女の子でした。
 めぐみが生まれたのは、1964年10月5日。日本銀行に勤める主人の赴任で名古屋にいましたが、ちょうど東京オリンピックの開幕をひかえ、街中が活気にあふれていました。
 その日の朝、主人は陣痛が起きた私をタクシーで病院へ送ると、「すぐにも生まれそうだ」という医師の診断を聞くなり、慌てて勤務先の銀行へ向かいました。そして、職場においてあった愛用のカメラを手にすると、休暇届けを出して病院に戻ってきたのです。
 夕方、ようやく産声を聞いた主人は、カメラを抱えて分娩室へ入ってきました。看護師さんに「あなたは新聞記者さんですか」と怒られながらも、ニコニコと嬉しそうに、身長や体重を測ってもらう赤ちゃんを撮り続けていました。
 体重は3260グラムのしっかりした女の子で、腕に抱くとずっしり重く感じました。ふっくらと色白で、まん丸い顔。目はすっと細かったので、病院の看護師さんたちには「御所(人形)ちゃん」と呼ばれていました。
 そんな娘に、私たちは「めぐみ」と名づけました。自分の名前が「早紀江」という名で書きづらかったので、私はひらがなで優しい名前にしたかったのです。二人でいろいろ考えて、「めぐみ」がいいと。皆に愛される子になってほしいと願って、この名前に決めました。》
両親に待ち望まれ、喜ばれて生を受けためぐみさんだった。
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きのう4日、北朝鮮から帰国して今月15日で10年を迎えるのを前に、拉致被害者の地村保志さん、富貴恵さんが小浜市で会見した。
北朝鮮に残る被害者に向け、保志さんが「苦しい、厳しい環境だと思うが、元気に生きてさえいれば、念願の帰国を果たせると考えている。どんな環境にあっても何とか頑張り抜いてほしい」、富貴恵さんは「家族は会える日を待ち望んで活動している。元気で頑張って生き抜いてほしい。負けるな」と呼びかけた。》(産経)
北朝鮮は、拉致被害者はもういないと言い張っているが、帰国した拉致被害者自身が、まだ残っていると言っているのだ。
肉親や友人が元気なうちに、日本で再会させてあげたい。