斉藤文代さん「よど号拉致の二人は田口八重子さんと同地区にいた」

 きのう午後2時から、参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会」で、飯塚繁雄家族会代表、横田早紀江さん、斉藤文代さん、西岡力救う会会長、荒木和博特定失踪者問題調査会代表の参考人陳述が行われた。
 私はたまたま仕事がひと段落したので、ライブでインターネット中継を見ていた。そこで、私が知らなかった事実が語られた。スペインから「よど号」犯の妻たちに石岡亨さんとともに拉致された松木薫さんの姉、斉藤文代さんの陳述である。

 お父さんが平成2年に亡くなったあと、お母さんが認知症になった。「薫はどこにいるの?」と聞くので文代さんが「海の向こうで元気でいるよ」と言うと、毎日のように海岸に出てテトラポッドに座って海を見ていた。そのお母さんも平成26年に92歳で亡くなった。涙を見せながらこう語った
 おや、初めて聞く話だな、と驚いた。荒木さんが、きょうの「調査会ニュース2456」で、荒木さんにとっても初めて耳にした証言だったと書いている。

 《昨日の参議院拉致特での参考人陳述の中で、松木薫さんのお姉さん、斉藤文代さんが「田口八重子さんが松木薫さん・石岡亨さんを目撃していた」と陳述をされました。この話は初めてされたそうです。後から電話で確認して補ったことを加えると、次のような内容でした。
・地村保志さん・富貴江さん夫妻に薫さんの話を聞きたくて、富貴江さんのお兄さん、浜本雄幸さんの民宿に行って二人と一晩話をしてきた。時期ははっきり覚えていないが、夏だったので帰国の翌年か、それ以上先のこと。
・そのときの話の中で、富貴江さんが同じ招待所で田口八重子さんから聞いたとして、「田口さんが平壌の招待所の中を散歩していた薫さんと石岡亨さんと思われる二人とすれ違った」という話をした。田口さんによれば二人は「北朝鮮は良いところだと言っていたけれど、何もない所だね」という会話をしていたとのこと。
 横で聞いていて驚いたのですが、後で確認すると斉藤さんがこの話を公にしたのは始めてだそうです。富貴江さんも北朝鮮にいたときには松木さん・石岡さんのことは知らなかったのですが、帰国して資料を見て背格好などから二人のことだと気付いたとのこと
 招待所での目撃がいつかは分かりませんが、会話の内容からすれば北朝鮮から出られなくなるとは気付いていなかったようで、拉致されてまもなく、おそらく昭和55年(1980)の夏頃だと思います。
 本当はスクープだと思うのですが、気付いた限りではこのことは報道されていないようです。さらに詳しいことが分かればまたお知らせします。》

 荒木さんは夜になって「調査会ニュース2457」に続報を載せた。この事実は報道されたことがあったという。
 《前号ニュースの記事について、斉藤文代さんがこのことについて語ったのは初めてでしたが、田口さんが松木さん・石岡さんを目撃したという地村富貴江さんの証言についてはすでに報道されていました。
 拉致問題対策本部の担当者が教えてくれたのですが、平成19年(2007)2月12日付毎日新聞では「よど号グループ拉致 松木さん・石岡さん 田口さんと同地区に」との記事が載っています。それによると次のような記述になっています。
2人は「『別荘がある』と誘われた」と語っていたという
田口さんは平壌郊外の地区の招待所に80年ごろ住んでおり、近くの招待所に日本人男性2人がいたと話した。2人が「北朝鮮はいいところと聞いてきたが大したことなかった」と話していたのも聞いたという
 よど号グループが拉致した人と日本から直接拉致された人の近くにいたというのは寡聞にして知りませんでした。これまで出てきた情報でも自分が気付いていないことがまだたくさんあるのではないかと思います。特定失踪者につながる情報も見落としているかもしれません。あらためて情報の見直しが必要だと思った次第です。》

 同じく「よど号」グループによって欧州から拉致された有本恵子さんについては、曽我ひとみさんが平壌の外貨ショップで見かけたという証言をしている。しかし、「よど号」拉致の被害者は、日本から拉致された他の被害者とは工作機関の所管が異なり、同じ招待所の区域で暮らしてはいなかったと私は思い込んでいた。
 拉致に関して解明されていないことはまだまだあるな、とあらためて思ったことである。